2020/01/16
サーミの血 感想
自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます。つまり、アイデンティティを変えた者と、留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。両者は互いに話をしません。
--------アマンダ・シェーネル監督
昨年、映画館で見逃していたものです。
Amazonプライムで見ました。
舞台は1930年代、スウェーデン北部ラップランド。
サーミ人(ラップランド人)の少女が、差別の中で葛藤し、逃れ、戦い、自分であるためにルーツを捨て去ろうとする物語です。
「人種差別と闘う」話ではありますが、主人公は、サーミ人であることで差別され、怒りを覚えるものの、一方で差別されるがままのサーミの血を悔しく呪わしく思っています。
自らのルーツ・民族を誇り、守ろうとするのではなく、捨てて逃れるための闘いです。いわば最初から負け戦であり、ゆえに苦しい物語です。
名前を偽りスウェーデン人のふりをしているときに妹から本名を呼ばれ、
「知らない。汚らしいサーミ人」といい放ち、先生から人種的に頭が悪いので進学できないといわれた後で妹へ同じことばをぶつけます。
「頭の悪いサーミ人、卑しくて泥棒」
黙って涙を流す妹と、酷い言葉を発した姉。どちらも苦しく、憎みあうことも愛し合うこともできずに別れてしまう。
この二人は、ノルウェーで実際にトナカイ放牧をしているサーミ人で本物の姉妹だそうです。
主人公はサーミ人用の寄宿中学校でスウェーデン語の教育を受けています。
教室の中では一番できる子です。優秀なのでスウェーデン人の先生にも好かれ、優しくされています。
ただし、この先生の好意はのちに出てくる都会(ウプサラ)の人々と同じく、「基本的に差別を持ったうえでの優しさ」です。
サーミ人への差別はあからさまに、あるいはひそやかに描かれます。
中学生の少女をもののように扱い、服を脱がせ、調査と称して写真を撮る。
脱いだ服を全裸の胸元に抱え、「腕を頭の後ろで組んで」という男性の命令に全身で拒否を訴える主人公の屈辱、苦しみ、窓からいつも自分たちを馬鹿にする近所の悪ガキがにやついて覗くなか、「みんなのお手本になって」と慕う教師から言われ、見向きもされないでいるシーンは眼を背けたくなるほど残酷です。
差別されているうちに主人公の中では「自分は周りのサーミ人とは違う。差別されるのはいやだ。ここから逃れたい」という気持ちが強くなります。
主人公の視点に寄っているためか、彼女と妹以外のラップ人同級生は愚鈍な風貌に描かれているように見えます。地元の田舎でサーミ人を差別するスウェーデン人の少年たちも同様に醜い。主人公を鞭打つ女性も醜いし、親や親せきも美しくはない。
一方で彼女が恋に落ちる都会のスウェーデン青年、その家族、周囲の人々は非常に美形です。
まるで「いい人はきれい、わるい人は醜い」というステレオタイプのようですが、表面的に美しく優雅で彼女に親切な都会人は陰で「ラップ人よ、何か魂胆がある、追い出して」といい、物珍しい見世物のようにサーミの歌”ヨイク”を余興に歌わせようとします。
サーミ人である自分を捨て、南部スモーランド出身のクリスティーナと名乗る主人公。
その戦いにおいて生きるための手段は暴力的で成り行き任せです。
偶然出会った男の子の家へ押しかけ、セックスし、追い出された後成り行きで学校へ紛れ込み、ドイツ人のふりをしたり、出身地を偽って周囲に溶け込もうとする。
でもその偽りは決して彼女の心を安らがせはしません。
スウェーデン人同士の中にも差別がある。イケてない服を着た少女を笑うグループの中で、彼女は一緒に笑いながらもその顔は引きつっている。
ばれたらどんな誹りを受けるか。
差別をする人は自分が属する集団以外を平気で蔑視し、それは連鎖し、外側だけではなく内側へも及んでいくという心が寒くなる構図が見えます。
スウェーデン人のふりをするため、やむなく人の服を盗み、お金を盗む。
「泥棒、愚かな民族」
そう自分のルーツを罵りながら、何よりも己がそうであるという矛盾。
望むように生きるためにそこから目を背けなくてはいけない。
でも、背けきれず受け継いだ短刀を守り、ヨイクを歌い、何も考えることなく恵まれたありのままの己を肯定している無神経な人々に憎しみを感じる。
差別の残酷さは差別されることだけではなく、自尊心を傷つけられ、自らが所属する世界を否定し、差別する側にまわり、嘘をついて生き続けることの悲劇。
美しい色で描かれた静謐な景色のなかに浮かび上がる、出口のない闇です。
冒頭とラストがリンクして、老女となった主人公がいまだに出身地を偽り、サーミ人を罵倒し、妹の葬式でおそらく何十年ぶりかに帰った変わらぬ故郷に溶け込もうとせず、頑なに異なってる姿が描かれます。
最後に彼女が歩く大地。
歩んでいく先にはなにがあるのか。彼女は自分を受け入れることができるのか。
死ぬまで逃れられない血の宿命にどう抗い、どう受け入れ、何を伝えて生きるのか、
形は違えど同じようなものが我々のなかに、周りにある。
考えさせられた作品でした。