ゴールデンカムイ

ゴールデンカムイ23巻

 

 

色々ありますけど、とりあえず宇佐美時重さんの唐突な狂気について。

第七師団の父権制の闇については前ちょっと書きましたが
月島さんや尾形や鯉登さんへの働きかけは解るんです。
でもそれとは違うよね。

いや、宇佐美の鶴見への感情の強さがちょっと、理解を超えていて…

鶴見さんが一番と認めてくれていた事がそんなに重要なんだ…
両親も仲良く兄弟も明るく自分を認めてくれてるいい関係ぽい家で、いい友人もいて、なぜそこまで鶴見に固執するのか今一つ入ってこないので、宇佐美、サイコだなって微妙に違和感がある感想に。いや、前からそう思ってましたけど、方向性の違う湿度高めのサイコ。
「俺は欠けている」(中二病的兄様の呟き)に対して、両親揃ってあったかい家庭でも関係なく異常者は異常ですよ~、という事実を突きつけてきます。

宇佐美の感情は好きな学校の先生を独り占めしたい的な部分が行き過ぎてコントロールできていないようなもので、愛とか執着とはちょっと違うように感じられます。

つまり心の鍋が小さいのですぐ沸騰してしまう、子供の未発達な感情そのまま。
弟妹が産まれて上の子が嫉妬のあまり殺してしまう感じ。
あるいは「犯行現場に何度も戻ってきて自慰をする」変態性欲者で、殺人と性欲の結びつきに鶴見を利用しているという側面もあるかもしれません。

鶴見先生は戦争で人を殺すハードルを越えさせるのは愛✨って言ってますが、やってる事の仕込み効率が悪くて時間かかるしバレちゃってたりするし、洗脳教育の方が手っ取り早いんではと思ったりする。鶴見さんの父権成り代わり美意識では正しい方程式なのだろうけど、忠誠や「上官の期待を裏切りたくない」って、愛じゃなくて自我の譲渡、前もっての服従だからね…
教養教育は心の鍋を大きく深くして簡単に沸騰したり枯渇したり溢れたりしないようにするものなので、やっぱり自分で考え判断するための教育が大事!なによりもね!と思った次第でした。


杉元さんが鳥ちゃんを毟ってる顔は宇佐美と対なのでしょうか。
誰の中にもウサミはいるよ…みたいな。こわあ。

インカラマッさん出産おめでとう!

鯉登少尉の光属性凄いね!!

月島さんが好きなのでいいことがあるといいなって思ってます。

萌えではないと思うのですが概念としての勇作さんにはとても興味があります。
初読の時に、両親が揃ってたら愛情一杯の家庭~?そんな単純な話あるか弟側にも山岸凉子先生の狂気母みたいなのがいるに違いない、 と歪んだ心で思ってしまったせいで、あの夢小説みたいに純粋に兄を慕う弟って幻みたいな気がして仕方がない。
兄様の単純幼稚な家庭観…それでアクロバティック思考で親兄弟を殺しても愛されてていいなぁ。でも愛されるのはなにか分かるというのはいけ図図しいですが、わかる気がします。


誰が好きっていったら、白石が一番好きです。
イジラれるしチャラいけど人に対する視野が広くて人間の芯がまとも。もっと皆褒めてあげて!
ゴカム合コンがあったら

「シライシ、マジでいいやつだから、ちょ、つきあってみ?」って勧める。誰目線。



 

 

 

 

 

橋本治の恵みとゴールデンカムイ

最近何かが足りないんですよね
なんだろうなあ~と思っていたら

「橋本治じゃない?」

と言われ、それだ!と本屋に行きました。
『そしてみんなバカになった』河出書房新社

ものすごーーーく面白かったです。
もどかしいことをこんなにもわかるように言葉にしてくれるのは、治のほかにいない!


「エラそうなもの」が「売れるもの」に変わっただけというのはすごく納得。
日本における反知性主義ってそれでは。
米国での元々の意味合いは全然違うらしいですが。
売れればいい、ってなかなかに貧乏臭い発想。貧乏はいいけど貧乏臭いはいやだな。


昭和は終わったが昭和という時代のイデオロギーは終わっていない、そこにアップデートされた思考はなくて経済のことばかりになってる。日本人はずっと経済を何とかすることで問題をやり過ごしてきたから「経済ではなく人間の問題」という根本の原因が見えていない。昭和とともに終わったものを終わらせられずにいる

オタクなのでオタク趣味から考えてしまうんですけど、その後ゴールデンカムイを読み返したら、明治っていうとこに遡ってるのがすごく面白くて
近代を最初から考えてみよう、何を切り捨てて、ないことにしてきたのか、今に至る原因は歴史の中にしかないから、そこから検証しようってなるのかと。そして物理的にも象徴的にも父親ごろしが沢山出てくる。失われてしまう父権に対して、成り代わろうとする人もいるし、新たな価値観を探す人もいる。それはリーダーがいて従っていればよかった時代よりずっと難しい。ヒロインの名前が新年、未来を表していて、終わる時代に傷つけられた主人公と対等な相棒として未来を模索する、対して第七師団は父権制の闇でもがいてるというのは凄く意味深だなと思います。
優れた作品には時代が事象として顕れてくるので、意図した内容ではなく、エンタメだからどう進んでいくかはわからないけど。そして自分の読解力が15歳の男子並なので、他の大人の解釈だとどうなのか聞きたいです。


平成が死に切らない昭和に取りつかれた空虚な30年だとしたら、『おそ松さん』は、昭和イデオロギーというゾンビの中で俺たちは成熟も自立もできず、バカのまま最終局面で、でも仕方ないじゃん、自分たちのせいじゃないもん、それでそれなり楽しくやってるし、でも未来ないけどね、まあ俺たちこのままでいいか!考えたくないしな、こっちを笑ってるそっちも似たようなもんだよ、という物凄い批評と自嘲に満ちているがゆえに新しいこの先を模索する作品だったと思うんですよね。

三期にはそういう方向に戻ってくれればいいな、と思います。