2019年11月

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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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番外編 アニメ感想まとめ 滅びない真実と眠れる奴隷

 

五部アニメの感想をカテゴリ分けしました

時間をおいて読み返すと、
原作とここが違うとか文句言ってる→どんどんテンションが上がっていく→フィレンツェ超特急あたりから話のスピード感に心がついていけなくなり、キャラの死で鬱になりはじめる→最後にはもうちっちゃい心が疲労してばてる

マインドジェットコースターが目に見えて、
一年前の自分なんて半分他人みたいなものですから、やれやれだぜって半笑いです。
でも9か月間、楽しかったな…!
新たな発見や思考がありました。


五部の事を考えての補足です。

「生き残るのはこの世の真実だけだ。あんたははたして滅びずにいられるのかな」

五部のテーマというか真骨頂は「眠れる奴隷」とここにあるのでは、と思うのですが、
ここでいう「真実」とは
「死んでいった仲間たちの真実から出た誠の行動、その意志は滅んでいない」
「彼らがぼくに手渡してくれた」
であり、受け継いでいくというのはジョジョ全体のテーマでもあって、
それはそれぞれの部で表現が異なっていくように思われます。
多分荒木先生の中でも時間とともに変わっていくものがあり、それを自分も追体験していくので、以前はわからなかった六部もだんだん「そういうことか」と思えてくる。
正直言ってジョジョリオンはまだよくわからないですが、そのうちヘレンケラーのウォーター的にわかるようになるんじゃないかと思います。
年月を重ねて変化しながら、ずっと読み続けられる作品ってすごいですね。

真実について

滅びないということは輪廻転生でもあるわけです。

世界を存在せしめる輪廻転生は個人の魂ではなく、自分の外にある自分、他者への影響力ということならば、死んでいった人たちは生き続けている、滅びないということです。
それが作家にとっての作品であるならば、六部DIO様の言うところのスタンドでもあります。

ミケランジェロの作品を見て心が動けば、その人の心に新しいミケランジェロが生まれ、生きていく。
歌や音楽、文学、美術といった芸術が素晴らしいのはそうやってはるか時間を超えて魂が人の心に宿り転生していくからではないかと思います。

そして芸術家ではない人々にも遺せるものがある。それは「真実から出た誠の行動」で「上っ面から出た邪悪からは何も残らない」ということです。
いま、自分さえよければいい、人を利用し踏みつけ搾取し勝ち残ればいいという強欲は悪で、たとえ権勢を誇ってもいずれ滅びていく。
そして、強欲を見て見ぬふりしてつかのまの安楽にいるのは、いつか目覚めることを祈られている「眠れる奴隷」です。
生きた時間が命ではないというのはそういうことですし、逆に生きていても何にも心が動かされなくなれば、自分の中に他者の輪廻転生がなくなって既に死んでいるのと同じということになります。

荒木先生も、「正義というのは視点により変わるが、ディアボロのように他人を踏みつけにするのは悪だろうと決めた」とおっしゃっていますが、立場が違ってもやはり変わらない「悪」というのはあって、それを蔑ろにしてしまうと人間が人間でなくなってしまう。
人間讃歌とはそういうことではないかと思います。
(人間讃歌がテーマというのは後付けらしいですが、でも何もないところから出てきたわけではなく、ふと出た言葉に導かれるように物語が進んできたところがあるのではないでしょうか)

命は今限りのものではない。続いてきた歴史、語られてきた物語、作られてきた文化と文明、真実からでた誠の行動と意思の連なりに我々は生きている。そしてそれらを繋いでいく。そうやって転生していく。

だから、人が生きた証というのはたとえば仕事で名を残すとか、子供や孫を残すとかいうことだけではなく、人類の文化や技術を魂とともに受け継いでいく、「真実」に向かっていくということだと思います。

ゆえに、死ぬことができず真実に到達することがない、というレクイエムが与えた攻撃は生きることもないまま死ぬことも永遠に許さない、本当に残酷な刑罰だといえます。



他者の影響が輪廻転生だという考え方については、橋本治「三島由紀夫とはなにものだったのか」を参照しました。
五部旅の間読み返して、友達とそういうことを語り合っていました。
ブチャラティも殿下も私たちの中で生きているんだね。みたいな。
いやそういうとちょっと気持ち悪いけど、でもそういう事。
塔の中の王子様とか、成就しない恋の正しさへの欲情とか、演劇の新派や歌舞伎や様々な話が縦横無尽に繰り広げられる名著なので、ぜひとも!お勧めします。

ジョジョは1987年から連載、すでに30年以上経ち世界中にファンがいてそれぞれみんなの中に生き続けて、荒木先生もキャラクターたちも、これからも生きていくんだ、
それはスタンドなんだと思うと、スタンドは無意識の才能であるから、それはユングのいうところの集合的無意識(Collective unconscious)になるんじゃないのか、なんだか世界はひとつというかあなたも私みたいなラブ&ピースな気持ちになります。軽い電波受信中。

 

 

ナポリは大阪

 

ジョジョ旅から帰ってきて心のグラスがエンプティです(何言ってんだ)

 

旅はとても楽しかったです!
友達が事前にアニメ・原作と照合したポイントの写真を送ってくれていたのに、全然予習していなくてここどこ状態だったのが本当に申し訳ない…!
予習が苦手なのです。すまぬ。

オ、オレ…故郷に帰ったら 復習するよ、関東風の黒いだしでうどんも食いてえ!顆粒だしでとった出汁だってけっこういいかもな…

死亡フラグ


それでもナポリ・ローマ・ヴェネツィアへ移動してその距離感や雰囲気を味わえたのは僥倖でした!
ローマ・ヴェネツィアは二度目でしたが、ナポリ、よかったな~
最初はうるさくて汚いと思ったけど、自由な雰囲気や明るさ、その裏の暗さ(入っちゃいけない道にうっかり迷い込んで昼なのに取り囲まれて毟られるのではと思った。確実に人糞とか道にあったし…)、サンカルロ劇場のものすごいゴージャス・ハイクラスのドレスアップ、なのに劇場係員が我々にも敬意をもって接してくれたことなど、
ああ、ローマではなくナポリを舞台にした荒木先生のお気持ちがわかる!と僭越ながら感じ入りました。

ローマはね…なんか、おおざっぱというか、ダメだった。

劇場も演目のせいもあるのかもしれないけど、普段着にスニーカーでずっと自撮りしてたり、上演中に喋っているのに、終わったらブラボーブラビーうるせえ! おまえのいいねを押し付けてくるな!
ナポリの観客は静かでスマホ撮影などせず、拍手も静かにたたえる感じでした。敬意があった。

ポンペイもローマの遺跡よりずっと、人々が楽しく生活している豊かさがありました。
コロッセオとかフォロロマーノとか、権力者がでっかいもの建てましたスゲー!
民度が低い。


いや、もちろん、なんというか東京より高いところもありましたが。
優先席は乳幼児、妊婦、高齢者の順だったし。日本は高齢者・乳幼児・妊婦なんですよ。未来が後回しなの。驚きましたね。出生率が下がるのも当然だよ。


それはともかく、ちょっと書き切れないのでまた改めて(いつだ)

・メローネの眼帯は殺した女性の記念品ストッキング
・兄貴のインスタは兄貴とペッシばっかり。ファンの女性はプレゼントした服を着て撮ってもらえるのがステイタス
・「皆やってる、皆言ってる」 ジョルノ「皆って誰ですか」
・アバとリゾットは似てる。ベルトのイニシャル、機械音痴「サムってなんだ?」「サムか…」

こういうネタ100個くらい共用フォルダにメモしてます。
あーまた旅に出たい!!!!!
ペイズリーパークに詣でたい!