2021年11月

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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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私のオタ活

 

以前も書いたと思うのですが、
私は妄想も同性異性関係なくCP二次創作もするオタクなんですが、同じものが好きな人とキャラ語りしたり好きを共有して盛り上がったりにはあまり興味がありません。

(追記  本当に好きなものの事はそもそもあまり人に話したくないのだった。偏屈なのです)

同じキャラクターやCPが好きでも、好きの対象より、その人がなぜそこにどんな風に思い入れているのか、どんな欲望や希望や欠落を投影しているのか、その好きの感情が沸いて出る根源に興味が向いてしまって、私が知りたいのはそのキャラの魅力じゃなくてそこに魅力を感じるアナタの心理なんだよーと思ってしまって
なんで、って、興味深いから。そして自分がそういう事を考えるしそういう人が好きだから。
二次創作だと作品の形に消化されていて、そこから何となく見えるんだけど。閲覧オンリーの人も含めて自分ではどう思うのか聞きたいけど聞けません。相手に失礼だから。
なにが失礼ってまあ、かなり自己愛とか人生観って心理領域に踏み込むからだよね。

 

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(関係ない画像。ベンジャミンの鉢にキノコ生えててびっくりした)

 


じゃあお前が先に語れよという話なんですが、まあ当然自分の中にも見たくないものから目を逸らすというゴマカシがあります。

それを踏まえてとりあえず言ってみますと、私は自己愛が捩れて強いので基本的に自分に似ているキャラが好きです。たぶん、基本は。
多くの捩れがあるけど気づかないで変に繊細で無神経な、利口でバカで面倒くさい人。真ん中じゃない、脇役タイプ。
気づきたくないから気づかないんだけど、なぜ気づきたくないかと言えばプライドが高くて弱いからですね。でも変に考えるほうだからどっかでわかってて苦しむ。そこに自分にはない優しさや純粋や前向きや努力がある。そういう人が好きです。

はい!
もうここで対象キャラがいる場合「勘違いしてんじゃねーよ」感がすごいです。
でもそれが「解釈」だから。

ニーチェも言っています

事実なるものはない、存在するのは解釈だけである。

ーー『権力への意思』



恋愛でもそうでなくても、そういうタイプを苦しめたり自己欺瞞や自己憐憫を突き詰めたり予感を与えたり救ったりしたいセルフSM願望がある。
なにが幸せかは自分で考え判断して真っ当に生きて人と人間関係を構築することだと思うから、恋愛が絡むとしたらそこがメインになる。
それを非現実のキャラに代理させる理由はそりゃあ自分の現実がなかなかそうはいかないからですよね。

恋愛に性的妄想が入ってくるとしたら性的欲求不満だからです。または迎合。それ以外にない。あるかもしれないけど私にはわからないから教えて貰いたい。推しを幸せにしたい、ってのも他人の幸せが何かなんて本当にはわからないのだから、自分ニーズですよ。結婚や妊娠が推しの幸せと思うなら自分がそうしたいか、世間が、それを幸せだと言っているからです。

で、CPの場合BLでも百合でも夢でも、基本は自分×自分だと思う(二次創作やラノベ等いわゆるライトな創作においては。ライトな創作に面倒臭いこと言うなではなく、なぜライトな創作の需要があるのかの話)。
理想的な自分と欠落した自分の組み合わせが(理想×理想や欠落×欠落、混合等パターンは多数)相互補完して救われる、癒される妄想でしょう。
受け側がかわいそうで救われたいならかわいそうで救われたい自分がいるからだし、うかつでかわいくて天然愛されならそうありたい自分がいるからだよ。
スパダリに執着されたいなら顔も頭も社会的地位もある人間になりたくて、その相手に執着されることで相手の価値を自分に移管したいからだよ。関係性を考えたいのなら自分が何らかの関係性に欠けているから。不幸な私、優しい世界、誤解、依存、自己陶酔、そういう欲望があると思う。

私はBLならかわいい系年下攻めが好きなんですが、理由は一般的な上下関係(年齢、立場、外見や肉体性など)が性的上下関係に持ち込まれるのが嫌だから。
そして兄弟ものが好きなんですが、自分の兄弟が好きだからではなく、最初が他人のところから努力して濃厚な関係性を構築するのが面倒くさいからです。
幼馴染が好きな人とかも多分これ。

友達の主人公総攻め推し(総攻め仲間)は
「真ん中にいるのはプレッシャーだし、さらに私の推しには全員攻めていけるだけのポテンシャルがあるところをみせたいから」
と言っていたけど、めちゃくちゃわかりました。
そういうポテンシャルのある自分を愛したいタイプの人だから。そして私にもそういうところがあるから。
箱庭療法だよね。
架空存在の搾取ともいえる。
そこに自分が心打たれるところがあるとしたら、箱庭療法の中で自覚しながらそれ以上のところを見ようとしているからだと思う。自分とは違う、思い通りにならない他者と相対して自己愛から出て苦しむことも含め関係性を構築しようとするような事。

じゃあ普通の恋愛小説とか、エロ漫画読めば?っていうと、知ってる設定とキャラだから手軽なんでゼロから関係性を知りたいほど恋愛自体には興味ないというか

 


まあ本当に自分としては色々申し訳なく、だから好きだけどそれを言い訳にして何でもやっていいとは思えないし

オタクがキャラクターを代理にした個人的な欲望や欠落の搾取を表現だの自由だの祈りだの尊いだのいうのって表現にも自由にもちょっと失礼だと思いますね。エゴであり慰めですよ、それは。欲望補完自体は全然悪いことではないよ。互いにそれで癒されて、セルフケアになるならとてもいい事だよ。無自覚にあたり構わず撒き散らす形の自己愛と承認欲求は健康でないしいいとは思わないけど。

 

話はずれますが

愛情というのは、当たり前に自己愛を多く含むものです。

例えば愛国心や家族愛に「愛」があるのは自分に紐づけられているからです。
自分と関係ない国や家族には感じないんだから、自分に関係あるから愛せるんです。
それを自分の中で持っているぶんには構わないけど、人に押し付けてくるようになったら「自己愛がすごく強いのに人から愛されていない人なんだな」としか思えない。

愛国心や家族愛を他者への攻撃理由に使う人って、好きなもの(例えば萌え絵や推しジャンル)が批判されて異様に怒ったり逆CPや解釈違い攻撃するオタクと心性はかなり近いと思う。
日本人には宗教観があまりないけど、宗教を自己利用するタイプもそうだと思う。つまり、自己愛がすごく強いのに満たされてなくてそういう自分を何かと同一視する事で支えにしていてそれが思い通りにならなかったり否定されると自己愛が傷つくけど向き合えないから他人を攻撃する人。


何かに愛情を感じている自分、或いは他者、というのはそういう愛を隠れみのにした欺瞞や暴力性をもっている可能性がある、というのは薄々認識しておいた方がいいんではないかと思います。だから、私はなぜ何をどう愛するのか、この人はどうなのかと考える事は結構危機管理になるんじゃないかな。それが私があなたの好きの心理を知りたい理由の一つかも。

そして愛より敬意の方が社会では安全で必要だと思う。



あふれだしたんだ

「愛という憎悪」

 

歌っとけ!

 

 

 

 

 

THE BEEと毟りあいと筒井康隆(1)

 

THE BEE

・原作 筒井康隆「毟りあい」
・英語脚本:野田秀樹&コリン・ティーバン
・日本語脚本・演出:野田秀樹
・出演:阿部サダヲ、長澤まさみ、河内大和、川平慈英

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2021年11月10日、24日に池袋の東京芸術劇場で観劇。

 

前情報何もなしで一回目に見て、インタビューや原作や英語版の内容を知って二回目を見るつもりです。

 

<ストーリ>
平凡なサラリーマンの井戸(いど)がある日帰宅すると、自宅が警察に囲まれていた。凶悪犯の小古呂(おごろ)が脱獄し、井戸の妻子を人質に立てこもっているというのだ。警察とマスコミに振り回され“被害者”であることに限界を感じた井戸は、小古呂の妻の元を訪ねると突然豹変。小古呂の妻子を人質にとって立てこもり、“加害者”として小古呂に対峙。憎しみを応酬させていく。(WOWOWオンラインより)

 

私はNODA・MAP作品は2016年の逆鱗からなので、数は少ないのですが、THE BEEを一回目に見た時、今まで観たことがある野田作品と違いすぎて、途中まで混乱していました。
何が違うのかというとまず演者四人の密室劇であること、あからさまに暴力的なこと、非常に単純なつくりであることです。

英国で英語版初演なのは知っていたので、「向こうに合わせたのかな。少人数の密室劇っていかにも英国な感じがする(知らんけど)」「THE BEE→クイーンビー→女王陛下の英国なのかな」とか思って観ていました。

加害者と被害者が互いに加害者になって、段々と「家族を守る、家族に会いたい」が「あいつを打ち負かす」が目的の暴力と報復の連鎖になって、そこで犠牲になるのは子供と子供を守ろうとする女性で、最後には加害者被害者双方が自己破壊していく。

西洋の歴史の事なんだろうな、と観ながらぼんやり思ってました。

日本を含め各地に残る植民地支配の影響とか、西洋人が見て見ぬふりをしている歴史を象徴的に暴いてつきつけているのかなと。

 

 

インタビューで、アメリカの同時多発テロに触発されて、と野田さんが仰っていてそれは思わなかったけど、なるほど、そうかと。
世界10か国で上演したそうですが、アメリカ人は自分達のことだと全く思わなくて、イスラエルのひとは日本のサラリーマンの話なのにすぐに自分達の事だと思ったってのが本当米国そういうとこだぞ、と思います。

原作は1975年ですが、
「(何十年前の作品だろうと)クオリティがあれば見る人の想像力で今ある状況に引っ張られていく」
その想像の引っ張り力で作品をつくりあげてしまうのがすごい。

 

で、原作を読みました。
全く印象が違うので驚きました。

私の勝手な印象ですが、原作では「自分」が第一で、最初から妻子ではなく「俺があいつより上であること」が目的になっている。警察やマスコミ、全部が敵で加害者。
被害者ではなく加害者になる。周りの人全てへの憎悪というか怒りというかネガティブな感覚が強い。

作中で書いちゃってるけど、新左翼の内ゲバなんですよね。多分。

新左翼の内ゲバってわかるようでよくわからないから、ちょっと調べました。
「日本共産党や社会党などの既成左翼を否定して生まれた極左=新左翼の内部での路線対立や覇権争いによる暴力」
のようです。
文章も、内へ内へ自分の内部感覚って日本的な構造だと感じました。


それをイスラエル人に「俺たちの事だ」と感じさせる普遍の世界観に解釈した野田さんはやっぱりすごいと思う。
英国上演時には自身が女性を、英国女優が男性を演じていて、強姦を「英国のアジアへの植民地支配」と解釈できるようになっている演出もすごい。

でもそれは言葉にされたり、わかりやすく答えとして提示されたわけではなく


「見てる人が頭の中で組み立ててくれる」

という、受け手の想像力のフックとして提示されていて、受け手がそこから読み取る能力を信用し尊敬してくれているんだよね。

演者にも
「なんでこんなことするのかと聞かれたら、絶対人なんか殺さない人が戦争に行ったら人を殺す」そういうことだ、と答える。




筒井康隆は『時をかける少女』や『パプリカ』、『富豪刑事』などの原作者と知っていましたが、読んだのは初めてでした。

『全集17 七瀬ふたたび/メタモルフォセス群島』一冊読んだきりで言うのもなんですが
上手く言葉にできないんだけど、なんだか不快でした。
なにが不快って、いわゆる知識層による傲慢な差別感覚かもしれない。

七瀬ふたたびは七瀬という主人公と仲間の超能力者物語なんだけど、非超能力者を「普通人」と呼び、男は女を犯す事ばかり考えてて、女は妬み嫉み、子供も他人を傷つけようとする低劣な下種ども、主人公側の超能力者は美しくて知的で正義のために力を使いたいと思っているのに迫害される…という。
七瀬を崇め奉り上位意思として従う黒人男性、とか、そのまま奴隷じゃん…
内容はちょっと小難しくしたラノベなのに、性差別や人種差別におさまらない、もう人間差別の世界。


現在の異世界とか転生とか能力者ものって、現実がたいしたことない人のための慰めでしょう。例えば、自分が被害者だから報復していい、その力が与えられる、という構造。弱者の夢想。
でも筒井康隆は「大学に行けば人の上に立てる(若者たち1966)」時代で同志社大学を出て既に文化人として評価も得ていて、十分に強者の立場ではっきりそれを自覚しながら、この内容なんです。
立場として加害者側に立っているのに、被害者気分で、それは「お前らが低劣で下種で愚かだから」という目線。
持っていない人間への優しさや労わりが全く感じられない。
これが昭和から続いてる感覚なら、大衆側から反知性的に「利口ぶったエラそうな奴への攻撃」をしたくもなるだろうと思います。



私も言い方がひどいと承知でいえばバカは嫌いなんですが、何がバカかというと
「既得権益の上から弱い者いじめをする、大声で美意識がないヤツ」
だと思っていて、例えば東大に行ったから他人より自分がエライと思ってる人。(ハーバードでもオックスフォードでもIITでも同じく)
東大を創ったわけでもない、東大がスゴイと言われるのは先人の実績があるからであって、勉強しました合格しましたって、人が作った教科書や参考書を使って上澄みをさらっただけで、先人がなぜ積み重ねてきたかといえばアナタの小さな自尊心を満たすためでなく後から来る人達のため。そんな事もわからず「俺は凄い」と他人を見下せるのはバカで、職業や性別や人種その他「他人が歴史で積み重ねた既得権益の上から弱いものいじめをする」のはバカだ、と思っています。

で、その「いじめられる側」が既得権益層にすり寄って、さらに弱いものや歴史的に踏まれてきた側をいじめる。これもひどい愚か。

まあそういう人はたくさんいるし、自分にも要素があります。

それを恥じたりコントロールしようとするのが人間として、だと思うんだけど
理想は実現しないとわかりつつ持っていないと、ひどいことになるから。
socialで大声出しているわけではなく、自分のためにメモしてるだけなので、軽く流してください。

 

 

ちょっと、ヘンな方に思考がずれてしまったけど
この私自身の足りない思考を野田さんの舞台で少しは広げられればと思いつつ、
第二回目を楽しみにしています。