私のオタ活

 

以前も書いたと思うのですが、
私は妄想も同性異性関係なくCP二次創作もするオタクなんですが、同じものが好きな人とキャラ語りしたり好きを共有して盛り上がったりにはあまり興味がありません。

(追記  本当に好きなものの事はそもそもあまり人に話したくないのだった。偏屈なのです)

同じキャラクターやCPが好きでも、好きの対象より、その人がなぜそこにどんな風に思い入れているのか、どんな欲望や希望や欠落を投影しているのか、その好きの感情が沸いて出る根源に興味が向いてしまって、私が知りたいのはそのキャラの魅力じゃなくてそこに魅力を感じるアナタの心理なんだよーと思ってしまって
なんで、って、興味深いから。そして自分がそういう事を考えるしそういう人が好きだから。
二次創作だと作品の形に消化されていて、そこから何となく見えるんだけど。閲覧オンリーの人も含めて自分ではどう思うのか聞きたいけど聞けません。相手に失礼だから。
なにが失礼ってまあ、かなり自己愛とか人生観って心理領域に踏み込むからだよね。

 

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(関係ない画像。ベンジャミンの鉢にキノコ生えててびっくりした)

 


じゃあお前が先に語れよという話なんですが、まあ当然自分の中にも見たくないものから目を逸らすというゴマカシがあります。

それを踏まえてとりあえず言ってみますと、私は自己愛が捩れて強いので基本的に自分に似ているキャラが好きです。たぶん、基本は。
多くの捩れがあるけど気づかないで変に繊細で無神経な、利口でバカで面倒くさい人。真ん中じゃない、脇役タイプ。
気づきたくないから気づかないんだけど、なぜ気づきたくないかと言えばプライドが高くて弱いからですね。でも変に考えるほうだからどっかでわかってて苦しむ。そこに自分にはない優しさや純粋や前向きや努力がある。そういう人が好きです。

はい!
もうここで対象キャラがいる場合「勘違いしてんじゃねーよ」感がすごいです。
でもそれが「解釈」だから。

ニーチェも言っています

事実なるものはない、存在するのは解釈だけである。

ーー『権力への意思』



恋愛でもそうでなくても、そういうタイプを苦しめたり自己欺瞞や自己憐憫を突き詰めたり予感を与えたり救ったりしたいセルフSM願望がある。
なにが幸せかは自分で考え判断して真っ当に生きて人と人間関係を構築することだと思うから、恋愛が絡むとしたらそこがメインになる。
それを非現実のキャラに代理させる理由はそりゃあ自分の現実がなかなかそうはいかないからですよね。

恋愛に性的妄想が入ってくるとしたら性的欲求不満だからです。または迎合。それ以外にない。あるかもしれないけど私にはわからないから教えて貰いたい。推しを幸せにしたい、ってのも他人の幸せが何かなんて本当にはわからないのだから、自分ニーズですよ。結婚や妊娠が推しの幸せと思うなら自分がそうしたいか、世間が、それを幸せだと言っているからです。

で、CPの場合BLでも百合でも夢でも、基本は自分×自分だと思う(二次創作やラノベ等いわゆるライトな創作においては。ライトな創作に面倒臭いこと言うなではなく、なぜライトな創作の需要があるのかの話)。
理想的な自分と欠落した自分の組み合わせが(理想×理想や欠落×欠落、混合等パターンは多数)相互補完して救われる、癒される妄想でしょう。
受け側がかわいそうで救われたいならかわいそうで救われたい自分がいるからだし、うかつでかわいくて天然愛されならそうありたい自分がいるからだよ。
スパダリに執着されたいなら顔も頭も社会的地位もある人間になりたくて、その相手に執着されることで相手の価値を自分に移管したいからだよ。関係性を考えたいのなら自分が何らかの関係性に欠けているから。不幸な私、優しい世界、誤解、依存、自己陶酔、そういう欲望があると思う。

私はBLならかわいい系年下攻めが好きなんですが、理由は一般的な上下関係(年齢、立場、外見や肉体性など)が性的上下関係に持ち込まれるのが嫌だから。
そして兄弟ものが好きなんですが、自分の兄弟が好きだからではなく、最初が他人のところから努力して濃厚な関係性を構築するのが面倒くさいからです。
幼馴染が好きな人とかも多分これ。

友達の主人公総攻め推し(総攻め仲間)は
「真ん中にいるのはプレッシャーだし、さらに私の推しには全員攻めていけるだけのポテンシャルがあるところをみせたいから」
と言っていたけど、めちゃくちゃわかりました。
そういうポテンシャルのある自分を愛したいタイプの人だから。そして私にもそういうところがあるから。
箱庭療法だよね。
架空存在の搾取ともいえる。
そこに自分が心打たれるところがあるとしたら、箱庭療法の中で自覚しながらそれ以上のところを見ようとしているからだと思う。自分とは違う、思い通りにならない他者と相対して自己愛から出て苦しむことも含め関係性を構築しようとするような事。

じゃあ普通の恋愛小説とか、エロ漫画読めば?っていうと、知ってる設定とキャラだから手軽なんでゼロから関係性を知りたいほど恋愛自体には興味ないというか

 


まあ本当に自分としては色々申し訳なく、だから好きだけどそれを言い訳にして何でもやっていいとは思えないし

オタクがキャラクターを代理にした個人的な欲望や欠落の搾取を表現だの自由だの祈りだの尊いだのいうのって表現にも自由にもちょっと失礼だと思いますね。エゴであり慰めですよ、それは。欲望補完自体は全然悪いことではないよ。互いにそれで癒されて、セルフケアになるならとてもいい事だよ。無自覚にあたり構わず撒き散らす形の自己愛と承認欲求は健康でないしいいとは思わないけど。

 

話はずれますが

愛情というのは、当たり前に自己愛を多く含むものです。

例えば愛国心や家族愛に「愛」があるのは自分に紐づけられているからです。
自分と関係ない国や家族には感じないんだから、自分に関係あるから愛せるんです。
それを自分の中で持っているぶんには構わないけど、人に押し付けてくるようになったら「自己愛がすごく強いのに人から愛されていない人なんだな」としか思えない。

愛国心や家族愛を他者への攻撃理由に使う人って、好きなもの(例えば萌え絵や推しジャンル)が批判されて異様に怒ったり逆CPや解釈違い攻撃するオタクと心性はかなり近いと思う。
日本人には宗教観があまりないけど、宗教を自己利用するタイプもそうだと思う。つまり、自己愛がすごく強いのに満たされてなくてそういう自分を何かと同一視する事で支えにしていてそれが思い通りにならなかったり否定されると自己愛が傷つくけど向き合えないから他人を攻撃する人。


何かに愛情を感じている自分、或いは他者、というのはそういう愛を隠れみのにした欺瞞や暴力性をもっている可能性がある、というのは薄々認識しておいた方がいいんではないかと思います。だから、私はなぜ何をどう愛するのか、この人はどうなのかと考える事は結構危機管理になるんじゃないかな。それが私があなたの好きの心理を知りたい理由の一つかも。

そして愛より敬意の方が社会では安全で必要だと思う。



あふれだしたんだ

「愛という憎悪」

 

歌っとけ!