2022年11月

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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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最近の眉毛兄弟 ネブワース22

 

 

リアム・ギャラガー ネブワース22 見てきました。

 

オアシスから26年ぶりのネブワース公演のドキュメント映画
いやいや、人って50近くなって成長するものですね!

ウォッチャーのざっくり感想

・病気のちっちゃい女の子が喜んでくれてよかった!なによりも!

ちょっと天才児なんだろうな…大変な病気で生きるの大変だからこそ、リアムの野生じみた乱暴なピュアに惹かれたのでしょう。
前に幼稚園に行ったときも小さな女の子に「かわいいわね」っていわれてたし。
いきものとして同じレイヤーなんだろうと思います。

・ジーンがそんなとこにいた!!!

ドラム叩いてました!
多分デビ―が「音の出ないヤツならいい、でもスタッフではないからちょっと映すだけ」と許可したんだろうと推察。

 

・ママ、ペギーを招待

親孝行したね!!
ノエルなんか50歳のパーティーにもよばなかったのに。
ヘリコプターで会場まで連れてって、さらにデビ―が手を添えてつきそってくれてました。
友達「なんか髪を染めた女の子、あれ看護婦じゃないかと思って。デビ―ならそこまで手配する」
それは気づかなかった!さすがです。


・デビ―が相変わらずで安心

後ろからついて歩く姿、完全な犬使い。
マネージャー、「リアムは周囲に優れた人間がいれば、とてつもないことができる」
一人ではどうしたらいいかわかりませんが
そう、優秀な人に囲まれてこその今。
本人もそれをわかってて、昔はチャラチャラしてバカだったと反省。えらい。

 

・本当はバンドがやりたい

ソロのネブワースという成功を得ても思うのはオアシス。

ノエルはオアシスの歌を使わせないとか、オアシスファンが歌うことを批判するとか、オアシス一番思ってるのはリアムなのに気の毒です。
ノエルの新曲や言動のダサさ、ほんと、弟の声あってのオアシスだって認めてください。…しょっぱすぎ


・エンドロールに DJ ポール・ギャラガー

さすがに今回はカメラマンとしては出てこなかった、映りもしなかったニートの長男ポール
多分デビ―に厳しくされているんだと思うけど、エンドロールに出てきました。DJって

 

・レノン、彼女と見に来る
ところが映ってました。モリ―は来たのかな…

 

ギャラガー一族の定点観測ができてよかったです。

ボンへは闘病中だけど、きっと見てたね。早く帰ってきてほしいですね。

 

 

「イギリスの階級意識の強さにちょっとびっくりした」

「労働者階級、庶民階級って、40代だけじゃなくて10代や20代もいってる」

「労働者階級じゃないのってなに? 貴族? 貴族そんなにいるの?」

「日本は士農工商ぜんぶ労働者だから感覚がわかんねえな…公家や将軍家に対しておれたち労働者階級って思わないじゃん」

「リアムは魂がブルーカラーだからね、セレブ気取りのノエルとは違う。そこが愛され」

「白いパーカーだったね。26年前も着てたけど勝負色なのかな」

「自分がかわいく見える色がわかってんじゃないの」

「あーそういう。まあ自分のビジュアルがいいと思ってるワンコだから…」

「毛並みぼさぼさだけどね」

「元気でがんばっててえらかったよ。ココナッツからこんなになるとはねえ」

「お酒飲まないで喉だいじにしてたしね」

「バンドメンバーもちゃんとしてたね」

「いい仕事にはいいスタッフが必要なんだよね」

「ハサミではない」

「弟に版権で意地悪するくらいしかできないあいつ…遠くなるばかりだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリンの首

『キリンの首』
ユーディット・シャランスキー (著) 細井 直子 (翻訳)
河出書房新社



辛辣。でも主人公は生物学教師で、同性愛者や出産適齢期を過ぎた女性にも手厳しい。
というより人間全体を生物種の中で特別と思っていない。キノコの方が優れている。確かに菌類は生産的だ

面白さや感情移入を意図的に排除して、なおもにじみ出てくる何かを味わうよう小説でした。
わかりやすい感情も説明もなにもない。
現代美術のインスタレーションを見ているよう。
空間に構築された何かをみているんだけど、それが何の意味があるのか、何を伝えようとしているのかは提示されていない
最後に作家のキャプションを読んで、こうかもな、と思う。

多分、子供の頃に読んでもこの教師を生きづらい、不幸な人だと思うだけだったろうけど、
「彼女を好きになってもらうつもりで書いた」という作者の意図は今は分かる
周囲の人、生徒や娘に有害ですらある彼女のぶ厚い自他境界線の中に屹立してある頑なを最後には好きになる
貫かれる距離感が美しいと思う

生物学と一体化したような、夫も子供もいる50代の女性が、生徒の1少女に向ける不可思議な、それは恋だよとか巨大感情だよ執着だよと安易な言葉化ができない、どのラベルもつけられない何か、というのが、生物学と一体化した彼女には決して認識できないのだけど、読者にも易々と理解され共感をえるようなものではないのもいい

楳図かずお先生が、「わかりやすく描いているつもりですが、わからないというのは、それは奥行きなので」と仰っていたのを思い出します。
これは「わかりやすくも書かないし、奥行きがあるかどうかはあなた次第」で
意地悪だけど誠実な小説だと思う


『ハイゼ家100年』とか、延々と単調なモノローグで状況を語っていくの
「すごいドイツっぽい!」ばかっぽいけどほんとそういう感想