2023年09月

インフォメーション

あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

    カテゴリー

銀牙伝説



銀牙オリオンからLW読んでます。
 
・世襲の問題
・若手の問題
・ディスコミュニケーション問題
・対話派と武闘派の対立問題
 
 
などなど、問題点が多くてなかなか大変です。
アプリコメントもつまらないという感想がちらほら見られます。
これはまた別に、読者側の
 
・回答を出すまでの思考に耐えられない脳の体力不足における、漫画・アニメ等創作の問題
 
もあります。
一つずつ見ていきましょう。
 
 
・世襲の問題&若手の問題
 
銀牙では、銀は総大将リキの子供ですが、リキが記憶喪失で息子と認識されません。
小隊長ベンの部下として、一兵士から実力を認められ総大将になります。
 
ウィードでは、ウィードは銀の息子ですが、母・桜が放浪中に産まれたため、物語中盤まで銀と会うことはありません。
周囲の「本当に銀の子か」から、実力により認められていきます。
後半のロシア犬戦からは、小鉄が「総大将の身内」を喧伝するように、実力より血筋への尊重への偏向がみられます。
 
オリオンたち兄弟は、最初からウィードの子として奥羽で大事に育てられます。後継者候補として、最初からリーダーの立場を期待され、本人もその意識で周囲へ対します。
そのため自然な実力で認められるというより、周囲から、後を継ぐ者として、幼稚さや暴力性を指摘され矯正を望まれています。
 
 
山彦、ボン、アンディという同世代の友人もいて、彼らは周囲への敬意に欠け、悪い意味で実力主義、感情主義です。年長者をはじめ、あらゆる相手に平気で無礼不遜にふるまい、暴言を吐きます。
ある意味、銀は団塊以前を知る世代、ウィードはロスジェネ、オリオンはネオリベといえます。ウィードは早婚なのでオリオンと周囲の犬もほぼ同世代です。銀の盟友は銀よりだいぶ年上ですね。

 

 

・ディスコミュニケーション問題

 

銀、ウィードでは、「本当の男なら話がわかるはずだ」により、器の大きい犬には皆が当然従い、本当の男なら女性子どもには紳士であり、他者を尊重し、無礼はいさめられ、恥を覚えます。

この「男」は、家父長制における「男」でもありますが、
「弱いものを守るため戦う、まともな尊敬すべき犬」でもあります。
ですから、女性であるクロスも「男」と認められます。そして同時にレディとして尊重されます。これらは矛盾しません。女性には身体的不都合があり、妊孕性を含むその不都合に対し紳士的にふるまうのは嗜みだからです。


これはアクション漫画ですから、「守る」は暴力ですが、現実社会では当然、暴力以外の手段もあり、とくだん男性に限る話ではありません。
「まともで尊敬に値する」相手は、話が通じて当然であり、ディスコミュニケーションも生まれない。
強力なカリスマや道理と知力に秀でた部下、というレジェンド級の美しいヒエラルキーにみなが幸せな古い世界です。

しかし、オリオン世代では、レジェンド世代は年老い、その下に新たな徳をもつ指導者と部下が十分にそだっておらず、若者は「自然と湧き上がる敬意」を感じません。

「男なら○○」
は依然としてありますが、女性子どもに紳士であり、他者を尊重し、器が大きい、といった中身はなく、単に「男なら泣くな!」といった理不尽で表層的で特権の温存と感情の抑圧になっています。
誰もがクロスへ「ババア」という。
かつては、男ならレディへ紳士であると体現していたベンのような存在はいません。

ある種のびのびと自由にものをいえる(サスケが銀に「銀タン」というような)状況でありながら、そのため、ここにおいて、世代差、個人差でのディスコミュニケーションは激しくあります。

つまり、誰もが自分の主張ばかりで人の話を聞かないのです。

 

 

 ・対話派と武闘派の対立問題

 

そして、ディスコミュニケーションの最大が、オリオンとシリウス兄弟の分断です。

赤カブトの子供、モンスーンの復讐に対し、オリオンは絶対殺す派であり、
シリウスは対話する派です。タカ派とハト派です。

シリウスの姿勢は、ほかの犬たちを死に追いやり、周囲は

「こいつは頭がおかしい。どうかしている。話が通じない」と思い、はっきりそれを口にするオリオンとシリウスは強く対立します。


おそらく「オリオン」において、もっとも読者に訴えたのが、カマキリ兄弟の悪を見捨てず、対話し心通じさせるシリウスと赤カマキリの変化だったのでしょう。
その、より大きく困難なバージョンとして、モンスーンとシリウスがあるのだと思います。

「やられたらやり返す」は復讐の連鎖を生む、というシリウスは、理想主義がすぎて、矛盾や仲間の死を生じてしまいます。

一方、「やられたから殺す」のオリオンは、仲間や兄弟にも不寛容で、敬意がなく、暴力的な行為にのみ邁進します。

オリオンとシリウス、どちらも自己主張が強く、周囲の信頼や尊敬に値する行動を選べず、自分勝手ですが、人間世界におきかえれば実にリアルです。
「敵を殺せばハッピーエンド」ではなくなった世界で、どのような未来を選択するのか。




・思考に耐えられない脳の体力不足における、漫画・アニメ等創作の問題

 

さて、「ラストウォーズ」
「イライラする、面白くない」といった読者の感想が目立ちます。
それはそうだろうなあと思います。
漫画やアニメは、単純化した物語で「スカッとしたい」ものですから。

しかし、ではどこで「そうではない物語」を見るのか?という問題があります。

「漫画でくらい難しいことを考えたくない」

という人は、いつどこで難しいことを考えているのでしょうか。
資本主義や民主主義や歴史や社会や戦争や人権や未来について、いつどこで考えているのでしょうか。
たぶん、どこでも考えていないと思います。
普通の人は、ほとんどそういったものを考える機会がないからです。
しかし、「考えない人」は悪い施政者にとって利用しやすい庶民でもあります。
だから、民主主義社会の市民は、ものを考える必要があり、そのために高度な教育が必要なのです。

フィクションはスカッとする娯楽でもありますが、思考実験の側面もあります。
仮の世界で、ある命題に対してどう考えるか、という実験です。

思考実験において、「スカッとする」「エモい」漫画やアニメにしかふれない人は
ものを考える体力がなくなっていきます。
運動しないと筋肉が衰えるように、脳も使わないと衰えます。
エロや都合のいい展開にばかり触れていると、脳がそのような形になります。

現実はそんなに単純で都合のいいものではありません。
脳が単純で都合のいいものに慣れた人は、複雑で厳しい現実を、深く考える必要に迫られると、怒り出します。
自分を気持ちよくさせない、都合の悪い世界に怒るのです。


創作における面倒な思考実験くらい、イライラせずにやってみたらいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟

 2023年9月21日

リアム・ギャラガーの51歳の誕生日です!

毎年何かしらざわつかせる事件の日、子どもたちはおめでとうといってくれるのか、お兄ちゃんは何かアクションするのか、眉毛弟の情緒はどう動くのか、ウォッチャーもドキドキです。

ノエルは最近ますますつまらなさに拍車がかかり、ラスベガスで公演したいなどと言っており、ベガスでおまえのしけた歌聴きたい奴いる?弟と一緒ならともかく、などと酷いことを言われています(我々に)

 

さて運命の日。前日のおはようからしばらく無言だったリアム

 

2023-09-22.png

 

 

はいもう、

満面の笑み出ました。

おれおめでとう!ウォッチャーの期待を裏切らない!

 

さらに、最近タイから保護犬を家に引き取ったリアム。

https://nme-jp.com/news/134060/

バトンちゃんという女の子、かわいくないという理由で捨てられたそうですが(ひどい)
長旅をして新しい家族のもとへ。

保護犬のサイトに一般人と同じフォームで申込み、いたずらだと思われたリアム。
ウォッチャーの予想ではデビーのマネジメントでしょう。
周りには褒められ本人は友達ができてハッピー!
デビー最高、本当にいい犬使いです。出会えてよかった。
公私ともの素晴らしいパートナーをえてよかったね!!!
もうお兄ちゃんなんていなくていい!

ノエルとの差がますます開いていくかんじ。

まあでも、ママペギーが元気なうちにちょっと仲直りしなよとは思いますが。

 

そういえばサマソニで日本に来ていましたけど
このクソ暑いあの世でかたくなにパーカー着てて
何かから自分を守っているのか?と思いました。
あと、ジーンがついてきてた。いた!て笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「男は女を通してしか自らの内面を語れない」

北海道近代美術館の田中武作品が炎上した件、

前から言ってますが
「男は女を通してしか内面を表現できない」問題です。

多くの男性は自己の内面というものがない、あるいは、内面を持つ必要がない。
そのため様々な問題がおこります。
内面を持つ必要がない人間というのは恐ろしいものですが、
「肩書」「年齢」「性別」「国籍」といった属性のみで構成され
社会生活に支障のない人間はたくさんいるのですね。

むろん、そういう女性もいます。
しかし田中武作品が「年齢も職業も違うさまざまな女性」を、女性であるだけで「表裏のある、”男にとって”醜悪で、見下してかまわない存在」と表現したとき、「どのような女性」も「女性という肉体をもつ」だけでその視線の対象にされるのです。
逆は非常に成立しにくく、まれです。
対称としては「おじさん」があげられるかと思いますが、中高年男性には外見・内面・行動で女性に対するミソジニー・有害さが少なくなく、「おじさん」が嫌がられる存在として表現される理由はあるのです。実際、多くの「おじさん」自身が自分以外の「おじさん」を嫌いでしょう。

しかし、「剃毛する老女」や「六法全書を持つ若い女」や「顔パックする女」が男性にとってどう有害でしょうか。
そこに見える欲望は「女をバカにしたい」でしかありません。
描かれているのは女性の姿ではなく、「女をバカにしたい」という男の内面です。
しかし、見えているのは「女性」の姿だけです。


これは、男性が自らの欲望や内面を認知して表現できず、女性に投影して表現しているからです。
主体的に欲望を持つのは男なのに「女に誘惑された」というのと同じです。
自分自身の欲望を把握できないのです。
そしてその自覚がなく、みずからの内面の照射で浮かび上がる「女というのはこういうもの」であり、「自分にはそれを観察し分析し嘲笑する権利と立場が当たり前にある」と考えている。
それが「男は女を通してしか自分の内面を表現できない」ということです。

これらの女性に投影された醜さ、嘲笑は、男性自身が最も恐れていること、つきつけられたくないことです。つまり、「見下されたくない」「見下す側でいたい」です。

なお、女性の中にもミソジニーは存在します。
男性の投影と同じ目線で女性を嘲笑し見下す人はいます。たとえば「化粧してブスを隠す女」を笑ったり「性的に消費される女」を男性と同じように消費することで「自分は違うけど女とはそういうもの」と位置付ける女性です。

ここでいう男性というのは、「社会と一体化した男を生み出す男社会に適応した人々」という意味です。
あなたは男性ですが、どういう男性ですか、という問いです。
「すべての男性」じゃないですよ、というのは当然です。
むろん、女性も同じです。あなたは「社会と一体化した男を生み出す男社会に適応した人々が規定する女におさまって、平気な人ですか」という意味です。

男性から「愚かな女一般」とみなされることに距離を取りたい女性は、
「女性を軽んじ、ステレオタイプな性的対象とみなし、若年女性を手下、労働力とみなし、消費し、男性に差し出す」など、男性にすり寄ったメンタルをもつことで疑似男性化します。
彼らは女性ですが、ミソジニーを内面化しているため、女性にとって有害です。
ひいては自分自身に有害なのですが、一時的に自分を守るためのふるまいが染みついてしまい、老人になっても脱せない人はいます。