Man In The Mirror (イルーゾォ)

 

 昔のメモが出てきたので。イルーゾォってナルシストって感じでもないんですけどね。
わりと理不尽な生い立ちのような気がします。

小話リンク

 

少年は太っていた。それはそれは丸々と、子豚のように太っていた。
太った子供というのは場合によっては幸福で、微笑みを誘う魅力をもちあわせている。
しかし哀しい事に、彼は愛らしさとはほど遠く惨めに醜かった。 

それは彼の卑屈さに概ねの理由があった。醜いことを恥じてびくびくと周囲の顔色を伺っている暗い目つきは、脂肪を豊かさではなく非難すべきものへと自ら貶め、見るものに不愉快な苛つきと嗜虐心を与えた。


人は弱さに敏感に付け込む。相手が理不尽を享受するのに慣れていれば尚更である。
母親ですら彼をうとみ邪険に扱った。それこそ豚のように床で皿から直に食事をさせ足蹴にした。ヒイヒイと泣き声を上げて無様に逃げ回る息子に母親は益々逆上し、追いまわしてこっぴどく殴りつけるのだった。家だろうが外だろうがそれが彼の日常であり、経験した人生の全てだった。

 

いや、果たしてそうだろうか。
生まれた時から少年は醜く不幸だったのか?
遡ってみよう。祝福されて生まれてきた美しい子供が見えるはずだ。
白い揺籠、父母の優しい手と微笑み、誉めそやす周囲の声が聞こえるだろう。

そこからここまで、時間は渦を巻き暗い淵へと残酷に吸い込まれていく。
何があったのかと想像しても意味がない。
ただそういうことも起こるのだ、容赦なく不思議なこの世界では。

 

さて、彼は本当に惨めさを甘んじて受け止め、むしろ安定すら覚えていたのだろうか。
犠牲者にとって、幸福の危うさよりも慣れた不幸は楽である。彼も半分はそうだった。
しかし残りの半分、意識の底の底では怒りと復讐心がギラギラと機会を待っていた。
時として覗く反抗的な光にそれは見て取れたが、徒な反抗心は暴力を煽るだけなのに、無自覚な憤りは彼を更に追い込んだ。
食べる事と眠る事が少年の心の拠り所であり、餌を与えられ眠りに落ちるしばしの間耽る現実逃避の妄想が唯一の娯楽だった。
妄想の中では彼はほっそりと知的な少年で、優しく美しい恋人と家族に恵まれ、約束された成功への階段を上っている。
いくつものシチュエーションとバリエーションの物語が夜毎小さな脳髄の中で紡がれていた。そしてそれは現実を知らない幼い心にとってやがて叶えられるはずの夢だった。

 

日々のいつか、少年はひどい病を得た。
長い間高熱に浮かされ誰にも省みられることなく汚れた寝床で苦しみつづけた。
体中に水泡ができ、膿とひどい匂いを絶えず垂れ流して、子供を怖がらせる夜話の妖怪のように醜く膨れ上がった。
誰も彼に生きていて欲しいと望まなかった。
彼もどうでもよかった。
そうして時は過ぎた。
やがてある素晴らしく晴れた日の朝、彼は突然回復し、どのような奇跡が起きたのか、蛹が蝶になるようにほっそりとした美しい少年に生まれ変わっていた。
母の姿は消えていたがそんなことはどうでもよかった。
少年は生きていたのだし、美しく健康な新しい体を手に入れたのだから。

 

鏡を見ることが、睡眠と食事に代わって彼の最大の楽しみになった。
目覚めたときから夜眠るまで、常に何かに映る己の姿を意識しつづけた。
新しい自分の姿はどうしようもなく麻薬的に彼を惹き付けて手放さない。
白い肌、黒い髪、整った甘い目鼻立ちと細く長い四肢。胸を張って表通りを歩くと、男も女も彼を振り向き、ある者は声を掛けある者はため息をつき、ある者は下品に口笛を吹き鳴らした。
もっと、もっと見たい、この姿を見つめていたい。
まるでナルキッソスのように、鏡の中の姿は魅惑的で確かめずにいられないのだった。

その強い思いは、気まぐれな神に通じたのか。あの高熱は、彼へ確かに新しい世界への扉を開いたらしい。

 

それはあたかも夢のようで恋のように熱を持っていた。
鏡に触れ、中へ入りたいと、己に口づけると、水中へ潜るように向こうの世界へ行ける。
世界は彼だけのものになり、彼が許可しないものは入ってくることは出来ない。
思い通り、思い通りの国。彼は驚喜した。
欲しいものは引きずり込み、貪り、弄んだ。嫌いなものは壊して廻った。やがて、力をもたらした神の姿が眼にみえるようになった。神はだが、彼自身でもあった。彼は、彼自身に名前をつけた。マン・イン・ザ・ミラー。鏡の中の男は、新しく万能な自分の姿。

 

力に酔い、近い将来破綻を迎え、おのれが神ではないと知ると同時に、彼は死ぬまで利用され鎖に繋がれるだろうことに愕然とするだろう。
仲間を得て心安らぎもするだろう。
幸せの中に不幸せがあり、不幸に幸福が潜む。鏡のこちらと向こう側のように。

 

 

 

 

 

8/29はマイケルジャクソンの60歳の誕生日なのだそうです。

マンインザミラーのビデオを見ると、当時は人間の善意による良い未来を信じていたのだなあと思います。