2024/08/19
作・演出:野田秀樹
出演:松本潤 長澤まさみ 永山瑛太
東京公演:2024年7月11日~8月25日
2024/8/14 東京芸術劇場
前から4列目の席でした。
しかし、野田地図でこれほどチケットが取れなかったのは初めてです。
松本潤人気だと思いますが、松潤をキャスティングしたのは
おそらく新しい若い層に見てほしいという狙いでしょう。
それも含めていろいろと。
原案はドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
作品は、『カラマーゾフの兄弟』のキャラクターを太平洋戦争中の日本の長崎を舞台に移して展開します。
野田さんなので、むろんただ舞台背景を変えているだけではありません。
花火師の一族、唐松族(カラマーゾフ)の殺人と太平洋戦争の原爆開発が絡んできます。
小説では後半部にあたる裁判から舞台が始まります。
父(唐松兵頭=ヒョードル・竹中直人)を殺したと裁判にかけられる長男(富太郎=ドミトリー・松潤)
二人は一人の女性グルーシェニカを争っており、それが犯行動機だと告発されます。
父親は下品で暴力的、金と女性に汚い中年男、長男は単純で衝動的、悪気はないが純粋でもない好色男でともに花火師です。
次男(威蕃=イワン・永山瑛太)は物理学者で、核エネルギーの研究をしています。
三男(在良=アリョーシャ・長澤まさみ)は原作通りに神学を学ぶ青年。家族の中で最も純粋で兄を愛しています。
※Qと同じく原作名に日本名の当て字になっています。スメルジャコフは墨田麝香です。
脚本冒頭
https://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/20240807_1.html
なるほどポイント(ネタバレ)
・花火師の長男に原爆点火装置を製造させるため、無罪を勝ち取ろうとする次男
・三男がサラッと「男性が好きで長兄に惹かれている」という
※カラマーゾフの兄弟をBLにしたらドミトリー×アリョーシャでアリョーシャ総受けだろうな、というのは想定内ですが、サラッとぶっこんできた
・グルーシェニカとは花火師が愛する女を用いた隠語で、火薬のことではないか?という解釈。そこからウラン鉱山が争点になる
・ロシアの物語でもなく、アメリカがつくろうとしている物語でもなく、これは日本の物語だ、という「ナラティブ」の存在。
現在、情報戦や宗教戦争においてナラティブがつくられプロパガンダに用いられています。「日本のナラティブがどうつくられてきたのか、どう巻き込まれてきたのか、我々はこれからどのような物語をつくろうとしているのか」でもあります。物語の危険性と”だがつくられてしまう、であればどうするか”のように感じました。
・日本もアメリカと並行して原爆研究を完成させようとしていた。それをアメリカに落として”勝った”IFの未来があったとして、現実で落とされた方の我々は勝利・正義だといえるか。立場が変われば、加害者にもなりえた。そのうえで、恒久平和を求め、長崎広島を悼む覚悟はあるのか。
※幻の原爆製造1940~45
https://www.chunichi.co.jp/article/188287/1
・グルーシェニカとアリョーシャの一人二役。そうかなとは思っていましたが、純粋な男性と淫蕩な娼婦が表裏一体という設定にはいろいろ考えさせられます。セツァンの善人では逆ですが、男性と女性でジキルとハイド的善悪を分けるのが不自然というか、性別の権力勾配をないことにできない。「私の中に善悪がある」じゃなく、男性が自己の内面を女性に投影し、その男性を女性が演じるのがとても男性的な解釈と感じました。
・子供を背負って立つ有名な写真のモチーフ
・教会で、神が救ってくれるはずだと原爆が落とされるときお祈りしながら、でもそうじゃない人は救われなくていいのか、それは悪ではないか、と思うアリョーシャ
松本潤の”入っていけなさ”
「やっぱり太平洋戦争をからめてきた。野田さん」
「長崎出身だからね。テーマだよ。それにしても」
「今までで一番入っていけなかった。松潤がどうしても…」
「下手とか薄っぺらとも違う。長澤まさみは頑張ってた。あと、瑛太ぜんぜん引いてたな。前見たとき(逆鱗、世界は一人)は、サイコパスというかDV的な怖さと凄みがあったじゃん。本質的に持ってる要素だと思うけど、そういうの今回は出てないというか、気配を消してた。やる気なしというか」
「だから野田さんが頑張るしかなかったのかも。フェイクスピアの時もすごく頑張ってたけど、高橋一生が不安だったんだと思う。白石加代子と橋爪功をもってしても」
「兎、波を走るの時は前に出なかったからね。松さんの安心感もあるけど」
「松さんのすごさよ…何があっても私が全部まとめるからって武将感」
「作品にはむろん泣いたけど、松潤が原爆が落ちた長崎で、見上げたら花火がある空をいつか、って独白するラストシーンも桜の森やQ並みの名場面のはずなのに、もうなんか、入っていけなくて」
「ジャニーズの問題あったじゃないですか、性加害の。あれ、光ゲンジの昔から一般もうすうす暗黙の了解で知ってたし、内部の人も知ってるはずでしょう。まあ、明確にじゃないけど感じないわけはないと思う。でもそれを直視も意識もしないでいられる、という、なんだろう、家の中で虐待が起きているけど、自分がターゲットじゃないからわからないままで知らなかったといえる家族みたいな。そういった立ち位置から、ああいう、原爆や被害者や歴史の複雑な物語といったものを感じることはできないと思うんだよね」
「子供の頃、広島の原爆資料館でバスガイドさんが泣いちゃって、何かわからなかった。辛いひどいはわかるんだけど、自分の身として想像できなかった。壁の向こう側にいる人の物語をただ情報として感応するだけというか。そういう、向こう側に生身で入っていかない人が語ってる感じだから、入っていけなかった気がする」
「ああ、こっちはもう入っていく準備ができてるのに、そちら側に入っていかない人が語っているから不十分というか不完全燃焼というか」
「あとちょっと、外見もそんなかっこよくなかった。たるんでいるというか…」
「昔、エデンの東の舞台で松潤見たときは、演技どうこうじゃなく綺麗だなあと思ったんだけどね。若さだね」
「妻夫木聡だったら表現できたと思う。あの愚かさと悲しさ」
「あーわかる。足跡姫と桜の森の。想像したら泣ける。もうそれでやってほしい」
「野田さんも、新しい客層や若い人にいろいろと広げるきっかけになってほしかったんだと思うけど」
「松潤が出ない次の野田地図にくる人がいたらそれはよかったよ」
「我々も拉致被害者や日航機墜落事故、回転魚雷、歴史に消されたものなど野田地図の舞台から興味を持ったからね。いろいろ楽しんで考えて次につなげていきたいよね」