ミネアポリス美術館展

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サントリー美術館の「ミネアポリス美術館  日本絵画の名品」展を見に行きました。

前売り券買ってたのに緊急事態宣言のせいで…
都内の美術館は去年の四月の段階で人数制限、検温、消毒、会話の制限、それらへのスタッフ監視、できること全部をやってるんです。
愚策を繰り返し、美術館に行くこともないどこかの国の政治家は知らないのだろうが、上から施し営業許可みたいなこと言ってんなよ。
怒りで眩暈がしそうですが、現場の方が耐えておられるから…

外国の美術館と交渉し、契約し、美術梱包、保険掛け金算出、輸送に開梱に図録出版キャプション展示デザイン、…等々、コロナもあり更に条件が厳しくなるなか企画を進めていたサントリー美術館の方の気持ちを思うと、本当に腹が立つし、軽々しく中止とかさせて、しかも感染拡大五輪はやるとか、知能ゼロ通り越して狂気邪悪だと思うけど、現場の方が耐えておられるから…

一企業であるサントリーが身銭を切って文化活動を行い、殿下の街からお招きしてくださった名品たち
感謝しかありません。
もっと、ウイスキーが飲めたらな。
サントリー山﨑工場、武蔵野工場のビールウイスキー試飲見学も最高なので、
山﨑から大山崎山荘美術館、武蔵野から府中市美術館の一日お散歩デートコースもお勧めです。


さて、日本美術の名品、作品は16世紀の室町・戦国から江戸・明治、近現代まで多岐にわたっています。
ミネアポリス美術館では近年日本美術のコレクションが数倍(細かい数字を忘れた)になっているのだそうで、関心の深さが伺えます。

まず狩野派の作品が多いですが、私は狩野派があまり好きではないというか、世襲とか派閥で美術をやる人は基本へたと思っているのであまり。
なかでは清原雪信の絵がいいなと思いました。狩野探幽の一族で女性。上手。

一番素晴らしかったのは作者不詳の武蔵野図屏風。17世紀。
近くで見ても遠くで見ても違う様相で、マチエールの立体感や、背景がもうアブストラクトで、緑の草の表現、花の表現が大胆かつ繊細で密度が非常に濃い。気品がある。

友人が「これが見たかった」と言っていましたが、確かに見たくなるなあ。
図版ではちょっと、わからないです。
図版や画像では本物の質感や密度が全然わからないので、現物を見ないと見たことにならないんですよね。
ボッスの「快楽の園」を楽しみにプラド美術館へ行ったのですが、実際に見たらベラスケスが圧倒的で。
ボッスはわりと図版通りなんです。だからあまり面白くない。


若冲。もてはやされすぎだと思う。
若冲の絵はフォルムというかデザインなので、結果として商業美術的要素が強いんですよね。
そして芸術はみせものではないから。
「佐藤可士和と本質的には同じだよね」
凄いこと言うな。でもそういうこと。


浮世絵や現代になってくると、いささか大衆的で美術としてつまらないなというのは和洋共通です。

美術の名画と言われているものの良さがわからない、という人がいますが、
そういう人もアニメや漫画の絵の上手い下手は分かると思う。
沢山見ているからです。子どもの頃から身近にあってたくさん見ていると自然に評価軸というものができる。
だから昔の美術パトロンだった王族や貴族は見る目があったのです。

ピカソの絵がアート?これが上手いの?って問題は今さら言うのもなんですが、
あれはものすごく上手い人がこれじゃつまらないと考えて描いたものだからすごいのです。
セザンヌのように基礎から下手とは違う。
印象派問題というのが自分の中であるんですけど、印象派が評価されたのは西洋美術史の文脈の中であんな絵を描く人たちはいなかったからで、下手なのに自己流の感覚で描くのが物珍しく新しかったからで、そういう意味ではみせものなんです。と思う。日本で印象派が好きな人が多いのは、明治に開国したころ丁度欧州で印象派が流行っていて、これが西洋の本物の芸術だ!と勘違いしたところからの価値観がそのまま来ているんじゃないかと思う。だって印象派、基本的に下手だもん。フォービスムとかキュビスムとかシュールレアリスムとか19世紀後半から20世紀初頭の芸術活動はみんなそうです。
だから印象派が好きだという人がいると、なぜ? それは自分ではなく誰かがいいといったからそう思いこんでいるだけでは? と思ってしまいます。
あと日本美術は西洋の文脈と違うんだよなーだから見る側の目もメガネをかけ替えるみたいなことが必要になってくる。
等と分かったようなことを言っていますが、自分も大学で美術史やりつつマチスが好きとか思ってて、近代日本教育感覚から長いこと逃れられなかったです。
学校の無力さというか環境があっても愚かだと学ばないというかね。
そして今さら英語の論文を読む力も伊語を身につける気力もないので、来世、来世。。

現代の、技術と感性優先の美術は西洋の長い古典的写実手法へのアンチテーゼとしてまだあるけれど、結局、上手くてつまらない絵は美術史上多いけど、本当に上手い絵はまったくつまらなくない。
なのでダビンチや応挙は時代や感性がどれだけ変わっても人の「美しい」と思う心に響くので、そういうものを自分の目で沢山見たいなあと思うのでした。まる。