大竹伸朗展 16年ぶりの衝撃

 

国立近代美術館で開催中の、大竹伸朗展

こないだ現美で大展覧会やったばかりじゃなかったっけ?と思ったら16年前で、震えました。

16年ぶりに何が変わったかどう感じるか見に行こうといって出かけ、
二人で震えました。震えっぱなし


何も変わっていない!!!

 

なんというか、80年代で止まってしまっていて一歩も進化していないんでは…と感じました。

「キャプションをアプリでダウンロードして見てって、そんな進化はいらん。超見づらいし」

「でも制作年くらいは見ないと。…ねえこれが1985年で、これがなんと…2022年ですよ。新作!」

「いやなんというか、自分の焼き直しじゃん…。しかも、16年前?2007年くらいから作品なくて、ここ2,3年のが急に」

「展覧会するから急に新作作った感じ?」

「いや、ちょっと、ショック。16年まえはいいと思ったんだよ。エネルギーあるな、すごいなって」

「その後いろんないいもの見て知っちゃったからね…世の中の評価ではなく自分の目で判断できるようになったから。このスクラップも美大生のこれがアートみたいな恥ずかしさがたまらない」

「それを80年代に作ってるのはいいよ、そういう時代だから。でも去年もそれやってるのしんどい」

「見に来てるの中高年男性が多いんだけど、だいたい見ないで写真ばっか撮ってるけどなに?NHKでやった?それでか」

「略歴みたら、展覧会、ずっと国内でしょぼいのしかないね…なんで急にこんな持ち上げたの、政治的な力?国立がこれやるのホントしんどい」

「塩田千春さんとか鴻池さんがドイツやフィンランドでがっつり個展してるのに比べるとほんと、なんかもうしんどい」

「なにがしんどいって、絵も思考も進化も深化もしていない。死んだような停滞と、外部評価からの発展性のない過去にすがった自己愛肥大はまさに80年代から現代の日本の姿そのもの。ある意味ほんもののコンテンポラリーアート(絶望の笑い) !」

「そうね、ある意味企画自体がコンテンポラリーアート」

「そこへの批判じゃなくて持ち上げという文化意識、しんどい」

「あとさ、リスペクトがないんだよね、美術への」

「評価される美術家の俺が好きなだけになっちゃってる」

「そういう人ってなぜか全員男性」

「こわ!!! 確かに!!!井上雄彦とかもそうだな」

「草間彌生とか世界レベルなのにずっと謙虚だもんね」

「日本の姿、現在のレベルを目の当たりにしてマジでしんどい」

「本物知っちゃったからこそよな…応挙先生とか」

「応挙先生を施してくれる三井家に感謝」

「そういえば東博で予算が少なくて物価高に光熱費が耐えられないって記事」

「ああ、年間20億ってなに?こんなのダメだ文化を守らなければと思うのが当然だけど」

「なんか、甘えるなとか館長が太ってて金持ちで困ってないだろとか噛みついてるやつがいて」

「うわーみじめ」

「美術を見るって損得じゃなく施されてるってことじゃん。でも自分が施される側だって思いたくないんじゃないの」

「そういう人の中にはなんかやたらアニメや漫画やゲームを持ち上げるひとがいるけど、あれって、自分が評価してやってる、支えてやってるって自己愛がかなりあるよね。持続力のある本物の文化の前では自分の小ささや役に立たなさがあらわになるから、触れたくない。権威主義を批判しながら自分が権威になりたいゲス。みじめ」

「むろん、アニメや漫画やゲームも持続力のある文化だよ。でもそれ自体から施されてると思うとちっちゃい自分が脅かされるから、今売れてるものにとびついたり手塚治虫の作品や思想も知らずに手塚治虫がいる日本すごいとか言い出す」

「結局自分なんだよな。ちっちぇえ」

「美術なんて意味ないとかいう奴、たいがいそれよな」

「優しさとか思いやりも施しじゃん? そういう奴って人へ何も施さないし、何もかも自分でできてるつもりで自己責任とか言い出すんだよな。何様だよ」

「裸で野生に1人で放り出されたら一日も生きられないだろうに、図々しい」

「でもそういう大声があるんだよ、びっくり」

「敬意のなさと民度」

「日本特有のあれ、自分が損をしても人の足を引っ張りたいって傾向、なんだっけ」

「スパイト行動」

「お前がな、にならないよう気をつけよう。年を取るとおかしくなりがちだから」

「肥大した自己愛による俺スゴイで村社会の停滞と発展性のなさ、スパイト行動と現代日本をたいへんに感じる2023年の始まりでした」

「いやー再来週は東博いこ、うさぎ見に」

「そうだね、本当にいいもので免疫あげたい。施されたい」