”女は金のある男、暴力的な男が好き”にはちゃんと理由がある

 

私は仕事ができる人が好き、とずっと思っていたのですが

仕事ができる人が好きなわけではなく、仕事ができる人はわたしにとって無害だからでは?

なぜならこっちがある程度仕事できてるうちは仕事できる人は無害なので好きですが、
仕事を離れたら人として特に好きでもないからです。
説明が難しいのですが、世の中のすべての好意は

「相手が自分にとって無害かどうか」

がベースにあるんじゃないでしょうか。


小さくてかわいいものを多くの人が好きなのはそれが基本的に自分にとって無害だから
多くの人が優しい人が好きなのはそれが基本的に自分にとって無害だから
多くの男性がなんとなく女性一般が好きなのは女性が基本的に男性にとって身体的に無害だからで
多くの女性がなんとなく男性一般を嫌いなのは男性が基本的に女性にとって有害(身体的に可能性として)だからじゃないでしょうか。


肉体的に比較的無害でも、老人より子供のほうが好かれるのは、老人は老人特有の頑なさや「身体含む外見や態度が感覚に与える有害」さがあるからではないかと思います。有害無害というのは物理危険だけでなく不快感や嫌悪感も含むので。
いわゆる非モテ男性は「優しくていい人である自分たちがモテないのは女の見る目がないから」と思いがちですが、この「身体含む外見や態度が感覚に与える有害さ」を知覚できていないのではないでしょうか。

 


男性の女性への興味・好意は性欲の問題というより、「だいたいの女は俺にとって身体的に無害」がまず大きいのです。
だから精神的に害(不快)を与えられたりすると「無害だと思ってたのに害をあたえやがった!」と激高する。
 


女性が「暴力的な男性に惹かれる」というのは、
自分に対して時に暴力的である男性は、そのほかの世界にも同じように暴力的であり、つまり「私に対するほかの男性の有害さを無害にしてくれるのではという期待」がある、双方に都合よくいえば「守ってくれる」「守ってやる」
これは金銭的魅力のある男性についても、本人が無害かどうかより
「貧困から私を守ってくれる」という「有害の無害化」に意味があるんだと思います。

「女は金のある男、暴力的な男が好き」

にはあたりまえに理由があるのです。

 

で、男性にとって有害な存在は「ほかの男」なのですが、ここで

「女は金のある男、暴力的な男が好き」と同じ

「男は金のある男、暴力的な男が好き」が構造としてあります。

金のある男や暴力的な男と仲良くしたらメリットがある。だから男はなつく。

その会社・地域・業界の実力者=金があり場合により暴力を用いることができる=権力者の機嫌を取り、従う男性はとても多い。

彼らについていれば「不都合なことから守ってくれる、特権が与えられる=有害の無害化」があるからです。

それを「金のある男、暴力的な男が好き」ではなく「仲間」「絆」「党派」といいかえたりしますが、本質は女性が求める「有害の無害化」と同じくそういう男に守られたいのです。

 

家族や友達が好きなのも「彼らが自分に害を及ぼさない」からで
毒親や悪友って害を及ぼしてくるから距離をおかねばならない。

二次元や推しを愛せるのは彼らが自分に直接的な害を及ぼすことがないから。

 

ちなみにこれらの「好き」には「敬意」が欠けていることが多いです。
問題はそこかと思います。

相手が思い通りにならない、が、即「自分にとって有害」になり、攻撃的になる。
無害な相手は無害なだけで、根本では「軽蔑している」こともある。
内心で相手を軽蔑している関係性はゆがみます。







で、自分も含め多くの人って

「自分の加害性には無神経で、被害者であることにはやたら敏感」

なんですよね。で、これってとても幼児性なんだよね。
こわいですね。

加害と被害、有害と無害、についてもうちょっと考えたい。