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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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最近の眉毛兄弟

!!!!

いやいやいやいや
2020年3月20日早朝(現地時間19日18時ごろ?)


マジで聞いてくれ。たくさんの人が俺をクソ野郎と思ってるし、俺はグッドルッキンなクソ野郎だ。だがそいつをちょっとおねんねさせといて、俺たちはoasisに戻って一回だけチャリティーギグをやらなきゃいけないぜ。カモン、ノエル、それからお互いのすごいソロキャリアに戻れるんだからさ、な、どうだよ c’mon you know(歌のタイトル)

Listen seriously a lot of people think I’m a cunt and I am a good looking cunt but once this is put to bed we need to get oasis back for a 1 of gig rite for charity c’mon Noel we can then go back to our amazing solo careers c’mon you know LG

 

いやーーー! どストレートにきました! これはちょっと、いやかなり驚き
こんな直球のリクエスト、なかったですもん。
ツンデレが突然素直になって、一回だけ、一回だけでいいから!ワンチャンお願いします!!って土下座したようなものですよ。
お兄ちゃんどうする!答えなくちゃこれ、だめだよ!

コロナ騒ぎの外出禁止をノエルとの関係にたとえ、
「オレとノエルは10年間も避け合ってんだよ」
どんなところからもお兄ちゃんにつなげてくるな!と思ってたんですが。
恋焦がれて10年。
ついにブレイクスルーするか。

ウオッチャー&ファンもびっくり仰天
すぐさまいいねが11万を超えました。

実現したらこれ、超ビッグニュース。プレミアギグ必至。
狂犬、野生の本能でコロナを恐れているのか、ツイートも多くなり
アドバイス頂戴のリプに「家にいろ」とかいってましたから、
世界を覆う死の匂いに命の儚さをおぼえてこの発言に至ったのかも。
ペギーママが死んじゃったら大変だもの…取り返しのつかないことがあると気づいた40代と50代。どうするどうなる…!

いやあ…鬱々としたコロナやら森友問題やらの気分が吹き飛びました。
リアム・ギャラガー、いつも元気をくれます。いろんな意味で。



「チャリティーライヴって、集まったらダメじゃんw」
!!そうだろ!



いいゴリラ

 

NFLのハーフタイムショー、ジェニファー・ロペスとシャキーラ。
確かに40代と50代でキレキレのレオタード着て踊れるのはすごい。それだけですごい。
見たいかどうかは別としてすごい。

でもな~ゴリラ感が足りないんだよねと思うわけです。
ゴリラというのは自分の中での、女性に対する最高の賛辞。
強く、美しく、優しく、正義感と敬意があって姉御肌で男前、優雅かつ上品で才能がありそれを凌駕する努力ができる。
これらすべてを測る尺度がゴリラです。スカウターで測る戦闘値みたいなもんです。

どういう人がゴリラかというと、例えばシーラE姉さん。
殿下の周りにいる女子は全員が殿下を守ろうとしているゴリラです。
キム・ベイシンガーやシャーリズ・セロンもゴリラです。

どうでもいいですが、キム・ベイシンガーの名前が出てこなくて8マイルに出てたっけ…と検索し、監督がカーティス・ハンソンでLAコンフィデンシャルもそうだったか~
キムはエミネムとも殿下とも付き合い、トム・ペティのビデオにも出たことがある。
もうこっちの好きを全部網羅してくる美しきゴリラOFゴリラ。聖典に載る。

ビヨンセは20代の頃はあまりゴリラ感がなかったけど、ここ2、3年ですごいいいゴリラになってきました。
コ―チェラ2018がなんといってもものすごかった。
女王が大衆を調教に来た!!ってほんとそのとおり。
デスチャもジェイ・Zもアタシが面倒見てやるよ、という肝の据わった完璧なステージ。
周囲にも血のにじむ熱血指導をしつつ、自らに誰よりも厳しいというパフォーマンスへのこだわり。ぬるい共感やインスタントなエモの入る隙のない強さ!美しさ!凄み!
そりゃアデルも自宅で見ながらジャージで踊ります。
コ―チェラならぬビーチェラ!ってすでに伝説


他人の目に判断を委ねがちな若いうちはなかなかゴリラにはなれません。
アデルみたいに20代前半からゴリラ感全開だった人もいますが、たいていは無理です。


ゴリラの反対語がバービーです。
どういうのがバービー感かと具体的な人名を上げると不穏当なのでフィクションでいうと、コッペリアのスワニルダのような女子です。


平たい非力な民ですが心だけでもゴリラの末端になれますように!








サーミの血 感想




自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます。つまり、アイデンティティを変えた者と、留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。両者は互いに話をしません。 
--------アマンダ・シェーネル監督



昨年、映画館で見逃していたものです。
Amazonプライムで見ました。

舞台は1930年代、スウェーデン北部ラップランド。
サーミ人(ラップランド人)の少女が、差別の中で葛藤し、逃れ、戦い、自分であるためにルーツを捨て去ろうとする物語です。
「人種差別と闘う」話ではありますが、主人公は、サーミ人であることで差別され、怒りを覚えるものの、一方で差別されるがままのサーミの血を悔しく呪わしく思っています。
自らのルーツ・民族を誇り、守ろうとするのではなく、捨てて逃れるための闘いです。いわば最初から負け戦であり、ゆえに苦しい物語です。
名前を偽りスウェーデン人のふりをしているときに妹から本名を呼ばれ、
「知らない。汚らしいサーミ人」といい放ち、先生から人種的に頭が悪いので進学できないといわれた後で妹へ同じことばをぶつけます。
「頭の悪いサーミ人、卑しくて泥棒」
黙って涙を流す妹と、酷い言葉を発した姉。どちらも苦しく、憎みあうことも愛し合うこともできずに別れてしまう。
この二人は、ノルウェーで実際にトナカイ放牧をしているサーミ人で本物の姉妹だそうです。


主人公はサーミ人用の寄宿中学校でスウェーデン語の教育を受けています。
教室の中では一番できる子です。優秀なのでスウェーデン人の先生にも好かれ、優しくされています。
ただし、この先生の好意はのちに出てくる都会(ウプサラ)の人々と同じく、「基本的に差別を持ったうえでの優しさ」です。

サーミ人への差別はあからさまに、あるいはひそやかに描かれます。
中学生の少女をもののように扱い、服を脱がせ、調査と称して写真を撮る。
脱いだ服を全裸の胸元に抱え、「腕を頭の後ろで組んで」という男性の命令に全身で拒否を訴える主人公の屈辱、苦しみ、窓からいつも自分たちを馬鹿にする近所の悪ガキがにやついて覗くなか、「みんなのお手本になって」と慕う教師から言われ、見向きもされないでいるシーンは眼を背けたくなるほど残酷です。


差別されているうちに主人公の中では「自分は周りのサーミ人とは違う。差別されるのはいやだ。ここから逃れたい」という気持ちが強くなります。
主人公の視点に寄っているためか、彼女と妹以外のラップ人同級生は愚鈍な風貌に描かれているように見えます。地元の田舎でサーミ人を差別するスウェーデン人の少年たちも同様に醜い。主人公を鞭打つ女性も醜いし、親や親せきも美しくはない。
一方で彼女が恋に落ちる都会のスウェーデン青年、その家族、周囲の人々は非常に美形です。
まるで「いい人はきれい、わるい人は醜い」というステレオタイプのようですが、表面的に美しく優雅で彼女に親切な都会人は陰で「ラップ人よ、何か魂胆がある、追い出して」といい、物珍しい見世物のようにサーミの歌”ヨイク”を余興に歌わせようとします。

サーミ人である自分を捨て、南部スモーランド出身のクリスティーナと名乗る主人公。
その戦いにおいて生きるための手段は暴力的で成り行き任せです。
偶然出会った男の子の家へ押しかけ、セックスし、追い出された後成り行きで学校へ紛れ込み、ドイツ人のふりをしたり、出身地を偽って周囲に溶け込もうとする。
でもその偽りは決して彼女の心を安らがせはしません。
スウェーデン人同士の中にも差別がある。イケてない服を着た少女を笑うグループの中で、彼女は一緒に笑いながらもその顔は引きつっている。
ばれたらどんな誹りを受けるか。
差別をする人は自分が属する集団以外を平気で蔑視し、それは連鎖し、外側だけではなく内側へも及んでいくという心が寒くなる構図が見えます。


スウェーデン人のふりをするため、やむなく人の服を盗み、お金を盗む。
「泥棒、愚かな民族」
そう自分のルーツを罵りながら、何よりも己がそうであるという矛盾。
望むように生きるためにそこから目を背けなくてはいけない。
でも、背けきれず受け継いだ短刀を守り、ヨイクを歌い、何も考えることなく恵まれたありのままの己を肯定している無神経な人々に憎しみを感じる。
差別の残酷さは差別されることだけではなく、自尊心を傷つけられ、自らが所属する世界を否定し、差別する側にまわり、嘘をついて生き続けることの悲劇。
美しい色で描かれた静謐な景色のなかに浮かび上がる、出口のない闇です。


冒頭とラストがリンクして、老女となった主人公がいまだに出身地を偽り、サーミ人を罵倒し、妹の葬式でおそらく何十年ぶりかに帰った変わらぬ故郷に溶け込もうとせず、頑なに異なってる姿が描かれます。
最後に彼女が歩く大地。
歩んでいく先にはなにがあるのか。彼女は自分を受け入れることができるのか。
死ぬまで逃れられない血の宿命にどう抗い、どう受け入れ、何を伝えて生きるのか、
形は違えど同じようなものが我々のなかに、周りにある。
考えさせられた作品でした。

 

 

 

 

 

 

天 赤木しげる葬式編 地上波版

キャスティングを聞いた時の所感


アカギ栄作に対する感想は、アン・ライスが夜明けのヴァンパイアが映画化されるときに「トム・クルーズ!?ふざけんな!」となって実際見たら「ごめんなさい。すごくよかった」と豹変した時とほぼ同じ。

すごくよかったです


以下感想


・なんだこのアマチュア決定戦

・変な内装の喫茶店

・スマホでくる告別式の知らせ

・オリジナルを入れるくらいならグタグタの澱んだ生活をするひろゆきのシーンをねちっこくやって欲しかった

・ひろが綺麗すぎ

・無精ひげでやさぐれたメガネっ子のひろゆきはどこに? こんなのHEROのひろ、いきなりもう解脱した美しさ

・赤木さんが棺で死んだふりのシーン、入れて欲しかった。地上波だからカットされたとこ?

・原作との違いにひっかかってしまう原作至上主義者のめんどくささ

・死んだはずなのに登場の神域

・イエローモンキー バラ色の日々にもってかれる

・ずるいわそんなん!

・美形だが演技力が致命的に薄いひろゆき

・死ぬのを止めるつもりが「お前がすでに死んでいる」と北斗みたいなことを言われるコージ的場(スイーツ好き)

・この原田は超受け受けしい

・赤木先生の人生道場。生かされるのよ…!魂を…

・天さんの奥さんが二人いるという設定は一人にされたのか。うちは普通の家と違って奥さん二人だから、労力っていうか面倒も半分だから、遠慮なく転がり込んできてください、っていうのがよかったのにな

・奥さん一人と天のとこに病気の赤木さんがくるって、リアルに「いやちょっとあれっていうかむしろ赤木さんと二人きりで面倒を見たいんであなた出てってくれませんか」ってなる予感しかしない

・弱った人間の世話をすることは容易に支配につながるからね

・家族ってものをもってきても「やめておこう」という赤木さんの、家族でも友人でも絶対に踏み込めない個の境域があり、死にざまを己で決めたいという当然の願いが2020年を迎える年になっても当たり前にならないという社会の進化の遅さ

・ナインのシーンはもっと心理戦らしく演出してほしかったとかもういろいろあるけど、ゴロー岸谷とアカギ栄作の演技力ですくわれたからぜんぶいいです!ありがとうございました!感謝!

 

 

赤木さんは、あまりにも純度と強度が高いのでどんなメディア展開も二次創作や妄想や解釈も触れられない。
だから安心して何でも見ていられます。
ありがとうございます。

 

 

 

 

12月の眉毛兄弟

 

去年もあらぶっていて、クリスマス近くなると情緒不安定になる人が多いらしいから
(家族が集まらねばならない、楽しく過ごさねばならないなどのプレッシャーにより)
と思っていましたが、今年も大暴れの予感。

しばらく前に、リアムがTwitterで暴言を吐くのが許せないとノエルが言ったらしく、
アカウントを凍結させるとかさせないとかいう騒ぎに。

その渦中、怖い、助けてという弱音ツイートのすぐ後に法皇様からの恐れないでというツイートが流れてきたときには確実に救いのメッセージだと思いました。(日常アカウントのTLにて)

 

 

 

その後、娘のインスタにコメントしたり、(息子二人は絡まれるのが嫌なのか、表立ったSNSを更新しなくなっている)、ついにはお兄ちゃんのTwitter(NOT本人アカウント)を荒らしたりして異常者ぶりを発揮。
さらにはフォロワーからの「ノエルが新しいオアシスファンは下衆野郎ばかりと言ってるのどう思う」などと燃料投下したせいで、「あいつは俺らの時代のマッカートニー気取りらしいが、ポールマッカートニーがビートルズのファンにそんなことを言うか」吠える吠える。

相変わらずお兄ちゃんが大好きなのに思い通りにならないから大嫌いという愛憎渦巻くマンチェスタードキュメンタリーです。

最近はウオッチャーが過ぎて、友達からも情報が回ってくるし、ニュースサイトのニュースでは物足りなくなる有様。
炎上というか、いつもの事なんだけれども、まあ元気で何よりとまとめておきます。

来年も存分に暴れてください。よろしく!

 

 

ところで法皇様の来日、尊かったですね。日本語でツイートもしてくださって。佇まいだけで清らかさがにじみ出ておられました。尊いってこういうことだなと。

 

 

直は効く だが

 

三週間くらい風邪をひいています。

「野戦病院(通称)はすぐ点滴を打ってくれるからおすすめです。お大事に」

って、いやお大事にじゃないよね。野戦病院行けって言ってるよね。

確かに点滴したら瞬間的にハイになるほど元気がでて、直は素早いんだぜッ!!すげえや兄貴!って気持ちになりましたが、射程距離(持続時間)が過ぎたらまたぶり返すのです。精神的なものもあるな…ちょっといろいろメンタルでやられました。

 

そんなときもリアム・ギャラガーが暴れているのを見ると面白くてたまらないのです。ありがとう狂犬。

娘のインスタに「俺に似てバイブリカルに見えるぜ」とコメントしたり(返信がない)
お兄ちゃんの公式Twitter(NOT本人発信)に絡んで荒らしたり、
なりふり構わなくなってきたな!
来年のドキュメンタリー映画は見に行きますけど、それよりも結婚式の模様を中継してほしいです。

番外編 アニメ感想まとめ 滅びない真実と眠れる奴隷

 

五部アニメの感想をカテゴリ分けしました

時間をおいて読み返すと、
原作とここが違うとか文句言ってる→どんどんテンションが上がっていく→フィレンツェ超特急あたりから話のスピード感に心がついていけなくなり、キャラの死で鬱になりはじめる→最後にはもうちっちゃい心が疲労してばてる

マインドジェットコースターが目に見えて、
一年前の自分なんて半分他人みたいなものですから、やれやれだぜって半笑いです。
でも9か月間、楽しかったな…!
新たな発見や思考がありました。


五部の事を考えての補足です。

「生き残るのはこの世の真実だけだ。あんたははたして滅びずにいられるのかな」

五部のテーマというか真骨頂は「眠れる奴隷」とここにあるのでは、と思うのですが、
ここでいう「真実」とは
「死んでいった仲間たちの真実から出た誠の行動、その意志は滅んでいない」
「彼らがぼくに手渡してくれた」
であり、受け継いでいくというのはジョジョ全体のテーマでもあって、
それはそれぞれの部で表現が異なっていくように思われます。
多分荒木先生の中でも時間とともに変わっていくものがあり、それを自分も追体験していくので、以前はわからなかった六部もだんだん「そういうことか」と思えてくる。
正直言ってジョジョリオンはまだよくわからないですが、そのうちヘレンケラーのウォーター的にわかるようになるんじゃないかと思います。
年月を重ねて変化しながら、ずっと読み続けられる作品ってすごいですね。

真実について

滅びないということは輪廻転生でもあるわけです。

世界を存在せしめる輪廻転生は個人の魂ではなく、自分の外にある自分、他者への影響力ということならば、死んでいった人たちは生き続けている、滅びないということです。
それが作家にとっての作品であるならば、六部DIO様の言うところのスタンドでもあります。

ミケランジェロの作品を見て心が動けば、その人の心に新しいミケランジェロが生まれ、生きていく。
歌や音楽、文学、美術といった芸術が素晴らしいのはそうやってはるか時間を超えて魂が人の心に宿り転生していくからではないかと思います。

そして芸術家ではない人々にも遺せるものがある。それは「真実から出た誠の行動」で「上っ面から出た邪悪からは何も残らない」ということです。
いま、自分さえよければいい、人を利用し踏みつけ搾取し勝ち残ればいいという強欲は悪で、たとえ権勢を誇ってもいずれ滅びていく。
そして、強欲を見て見ぬふりしてつかのまの安楽にいるのは、いつか目覚めることを祈られている「眠れる奴隷」です。
生きた時間が命ではないというのはそういうことですし、逆に生きていても何にも心が動かされなくなれば、自分の中に他者の輪廻転生がなくなって既に死んでいるのと同じということになります。

荒木先生も、「正義というのは視点により変わるが、ディアボロのように他人を踏みつけにするのは悪だろうと決めた」とおっしゃっていますが、立場が違ってもやはり変わらない「悪」というのはあって、それを蔑ろにしてしまうと人間が人間でなくなってしまう。
人間讃歌とはそういうことではないかと思います。
(人間讃歌がテーマというのは後付けらしいですが、でも何もないところから出てきたわけではなく、ふと出た言葉に導かれるように物語が進んできたところがあるのではないでしょうか)

命は今限りのものではない。続いてきた歴史、語られてきた物語、作られてきた文化と文明、真実からでた誠の行動と意思の連なりに我々は生きている。そしてそれらを繋いでいく。そうやって転生していく。

だから、人が生きた証というのはたとえば仕事で名を残すとか、子供や孫を残すとかいうことだけではなく、人類の文化や技術を魂とともに受け継いでいく、「真実」に向かっていくということだと思います。

ゆえに、死ぬことができず真実に到達することがない、というレクイエムが与えた攻撃は生きることもないまま死ぬことも永遠に許さない、本当に残酷な刑罰だといえます。



他者の影響が輪廻転生だという考え方については、橋本治「三島由紀夫とはなにものだったのか」を参照しました。
五部旅の間読み返して、友達とそういうことを語り合っていました。
ブチャラティも殿下も私たちの中で生きているんだね。みたいな。
いやそういうとちょっと気持ち悪いけど、でもそういう事。
塔の中の王子様とか、成就しない恋の正しさへの欲情とか、演劇の新派や歌舞伎や様々な話が縦横無尽に繰り広げられる名著なので、ぜひとも!お勧めします。

ジョジョは1987年から連載、すでに30年以上経ち世界中にファンがいてそれぞれみんなの中に生き続けて、荒木先生もキャラクターたちも、これからも生きていくんだ、
それはスタンドなんだと思うと、スタンドは無意識の才能であるから、それはユングのいうところの集合的無意識(Collective unconscious)になるんじゃないのか、なんだか世界はひとつというかあなたも私みたいなラブ&ピースな気持ちになります。軽い電波受信中。

 

 

ナポリは大阪

 

ジョジョ旅から帰ってきて心のグラスがエンプティです(何言ってんだ)

 

旅はとても楽しかったです!
友達が事前にアニメ・原作と照合したポイントの写真を送ってくれていたのに、全然予習していなくてここどこ状態だったのが本当に申し訳ない…!
予習が苦手なのです。すまぬ。

オ、オレ…故郷に帰ったら 復習するよ、関東風の黒いだしでうどんも食いてえ!顆粒だしでとった出汁だってけっこういいかもな…

死亡フラグ


それでもナポリ・ローマ・ヴェネツィアへ移動してその距離感や雰囲気を味わえたのは僥倖でした!
ローマ・ヴェネツィアは二度目でしたが、ナポリ、よかったな~
最初はうるさくて汚いと思ったけど、自由な雰囲気や明るさ、その裏の暗さ(入っちゃいけない道にうっかり迷い込んで昼なのに取り囲まれて毟られるのではと思った。確実に人糞とか道にあったし…)、サンカルロ劇場のものすごいゴージャス・ハイクラスのドレスアップ、なのに劇場係員が我々にも敬意をもって接してくれたことなど、
ああ、ローマではなくナポリを舞台にした荒木先生のお気持ちがわかる!と僭越ながら感じ入りました。

ローマはね…なんか、おおざっぱというか、ダメだった。

劇場も演目のせいもあるのかもしれないけど、普段着にスニーカーでずっと自撮りしてたり、上演中に喋っているのに、終わったらブラボーブラビーうるせえ! おまえのいいねを押し付けてくるな!
ナポリの観客は静かでスマホ撮影などせず、拍手も静かにたたえる感じでした。敬意があった。

ポンペイもローマの遺跡よりずっと、人々が楽しく生活している豊かさがありました。
コロッセオとかフォロロマーノとか、権力者がでっかいもの建てましたスゲー!
民度が低い。


いや、もちろん、なんというか東京より高いところもありましたが。
優先席は乳幼児、妊婦、高齢者の順だったし。日本は高齢者・乳幼児・妊婦なんですよ。未来が後回しなの。驚きましたね。出生率が下がるのも当然だよ。


それはともかく、ちょっと書き切れないのでまた改めて(いつだ)

・メローネの眼帯は殺した女性の記念品ストッキング
・兄貴のインスタは兄貴とペッシばっかり。ファンの女性はプレゼントした服を着て撮ってもらえるのがステイタス
・「皆やってる、皆言ってる」 ジョルノ「皆って誰ですか」
・アバとリゾットは似てる。ベルトのイニシャル、機械音痴「サムってなんだ?」「サムか…」

こういうネタ100個くらい共用フォルダにメモしてます。
あーまた旅に出たい!!!!!
ペイズリーパークに詣でたい!












台風?

 

おー

 

ウェザーリポートとの遭遇まだもとめてないんですが。ガハハ期?


12日にヘルシンキ→船でタリン→ブリュッセル経由でナポリ(ここで友達と遭遇)

バレエや博物館の予約もしたんだけど、全部パアになる恐れ

まあ天候は支配できないから仕方がない

素数を数えながら対応していくしかないね。

Done?

 

コロッセオ入場券購入Done
ヴェネツィア・ビエンナーレチケット購入Done
ホテルとフェリー予約Done 
ダブルブッキングを処理
SIM購入Done
デザリングできないかもしれないもう一枚購入Done

間際クリッククリックで「もう限界だ!押すねッ!」であります。
押した後間違いに気づいたりしてリカバリ大変

 

旅の準備をしてると、

・欲がたぎる
・あれもこれもと思う
・手が回らない
・最後は金で解決と思う
・しかし金で解決できないことはいっぱいあるので、結局「命があればあとはいいだろ」ってなる

このようなルートをたどります。
ほぼ人生の早回しと言ってもいいでしょう。
ヘルシンキとナポリの温度差二十度くらいある。人間は服を着なくちゃいけなくて面倒だな…
知り合いの男性が、レジ袋に必要なもの放り込んでふらっと外国に行くって聞いて、
男子はいいなと思いました。いや、男子にもよるけど、坊主頭とかノーブラとかまだ女子にはハードル高いのでどうしてもね。