「枯れ葉」カウリスマキの新作

 

アキ・カウリスマキ監督の最新作「枯れ葉」を見ました。

 

前作「希望のかなた」がよすぎたのもあるんですが、

 

貧しさや生活苦を救うのは愛ではなくまず金なんだよな…

 

と思ってしまって心の荒みが悲しい。
カウリスマキの作品はおとぎ話なんだよ、現実がそうであれという夢なんだよ
というのは分かるのですが、その夢で夢を見ることもできなくなってしまったという哀しみ。
正直、「恋愛で救われる」ってもう、思えないんですよね。
恋愛や愛って、実のところ「権力欲」という側面があるので。

「理想化や同一化願望や庇護欲や性欲等といった、バリエーション豊富な支配欲」の受け皿を探しているのが愛

 

って呟いてた人もいました。言語化!それです。

 

養老孟司先生が、人の一番強い欲は権力欲で、
子供を持つのは貧乏人が権力欲を満たす一番簡単な方法と言っていたけど、
恋愛や結婚は、他者の時間や肉体への権利を得る(と言外にされている)点で
権力欲を満たすための行為という側面があるんではないか、と思うわけです。

権力欲があるのが悪いのではなく、むしろ「ある」と自覚した方が、コントロールできる。
支配欲に無自覚で、恋愛☆結婚☆愛☆キラキラコーティングの方がヤバいでしょ、という話です。


枯れ葉に話を戻すと、
2人が富裕層だったらこの「結びつき」に同様の価値がでるのか。
生活は豊かで、将来の不安もなくて、でも恋人や配偶者はいない。
そこでふと知り合った相手と不思議に繋がっていく。

まあ、そりゃ、貴族や資産家でも恋愛はしますけど、
その場合、生活苦やアル中じゃなく、「家同士が反目している」「婚約破棄された」「政略結婚」とか、何かハードルが必要なわけです。
だからドラマになるし、そっちの方が楽しかったりする。
だから貧乏日本でなぜか貴族令嬢ものが流行ったりしてる。
貧乏人同士だろうが、貴族だろうが、恋愛なんて

「それで救われるのってなにか気のせいでは。いやいいけど。まだ正直に”キラキラオプションがほしい”といわれた方が、あ、そうすか( ´_ゝ`)フーンっていえる。しかもそのキラキラオプションて”自分を”キラキラさせるオプションだよね、知ってる」

みたいな話で、
そこに情緒をもってきたところで「そんなんでごまかすなよ…簡単にセックスして子供出来たらどうすんの。女にしかリスクないし。バカか。セックスで救われる程度なら自己処理しろ」みたいな気持ちになってしまうんです。やだなあ。
まあ私が寂しさがよくわからないからかもしれないけど。
貧しくて辛いのが二人生計になれば楽になるよ、という幸せならわかります。
まあ、だからアル中はダメって彼女も言ってたんだけど。
酒はやめたって自己申告をそんな簡単に信じてはいかん。

 

最終的に、枯れ葉については

犬と友達と相続したアパートがあればいい

 

でした。
チャップリン、かわいかった…いぬがいてくれればいいよ…
アル中そんな簡単に治らないからな。

 

「男なんてみんな同じ鋳型でできてる。しかも壊れた鋳型。男なんて豚」

「それは違う。豚は賢くてやさしい」

「その通り。豚に乾杯」

友達とのやりとりもよかったです。