源氏物語「なぜ一夫多妻制なのに嫉妬するのか?」

 

友人が女子大で源氏物語の講義をして、学生から

「一夫多妻制なのに、なぜ嫉妬をするんですか」と質問されたそうです。

面白いなあと思いました。

これ、「人の心はそういうもの、制度にかかわらず心は動くから」

ともいえるのですが、

「女性は嫉妬するもの」というイメージや物語(ナラティブ)が、古代から言説やフィクションで刷り込まれてきた、ともいえるんですね。

ではなぜ「女は嫉妬深い、嫉妬するもの」という設定が成り立ってきたのでしょうか。


「支配欲」が一つの要因ではないかと考えます。

もう一つは「男性のネガティブ感情の女性への投影という自己欺瞞」です。
さて、人間の強い欲望である「支配欲」

男性がこれを発揮する手段は「暴力」「金」「仕事」「権力・名誉」「女の所有」などいくつもあります。

しかし女性は、支配の根源である暴力をもたず、社会で金銭をはじめ何かを所有し支配する手段がほとんどありませんでした。

「女性は恋愛が好き」は「恋愛が女が他者を支配する方法」だったからともいえます。

長いことほとんど唯一の方法だった。
もう一つは「子どもを持つ」ですが、子どもは父親に属するという家父長制時代下ではその支配欲は制限されます。


恋愛には支配欲が含まれます。

「他者の時間、精神、肉体へ権利を主張できる関係」「性的に相手を操ることができる関係」だからです。

これが結婚になると「資産への権利、配偶者の地位・名誉の共有権利」も加わります。

 

女性にとって、恋愛は男性(権力者)を所有し支配する大きな手段です。
つまり「嫉妬=恋愛による他者(権力)支配の闘争」です。

女性向けフィクションによく見られる「愛され、執着・溺愛される私」は
「私を所有するために我を失い自分の力を用いるニンゲン(男)がいる」です。
その男性は往々にして外見カースト上位でありなんらかの「権力者」です。
「束縛されたい」、も、それだけ相手が自分を欲しがっている=相手を感情的に支配しているということです。
束縛という支配をされると、逆に相手を支配していると実感できるのです。
※あくまでフィクション上の妄想設定で、現実では大抵DVになります。束縛も執着も男性側からすれば別種の支配欲であり、残念ながら対象はあなたではなく「自分が所有する女という属性」だからです。

男性が恋愛相手に束縛されるのを嫌がるのは、男性の支配欲は女性とは違うからです。
男性には他に相手を支配する方法がいくらでもあるので、「愛される」という方法に執着する必要がないのです。
※逆に、男性が他の支配欲を満たせていない場合、「モテ」に異様に執着することがあります。これは「女を所有する」がその人の支配欲を満たす最後の手段だからともいえます。

「溺愛される私」は、支配されることが愛という権力の幻想で、そういう幻想が魅力的に映るほど、他者を支配する権力を欲しながら恵まれてこなかった女性の歴史があるのでしょう。

 例えば、女性同士の恋愛ファンタジーでそういった「嫉妬、束縛による支配」表現はほぼありません。レイプや監禁、束縛行為もない。肉体的に暴力が難しいというより、精神的に女性は他の女性をそのような形で支配する必要を感じないからです。また、あらゆる支配を「女性に」される権力勾配に女性自身が抵抗感を持つのでしょう。

逆に、一部の少女漫画や男性同士の恋愛ファンタジー(BL)では「嫉妬、束縛による支配」がよくあります。
男性の支配欲はしばしば暴力性と共に描かれ、受け側の男女はそれを「愛」という支配ととらえます。
それらを欲する女性の支配欲は「男であること、男を支配する(愛される)こと」に傾いているといえます。
BLを好む女性には「潜在的に何らかの支配欲がかなり強く、現実ではそれが満たされていないか、物足りない」傾向があると思っています。BLの性描写が激しい・必須なのもその一つと捉えられます。
男性向けのフィクションは、戦い(バトル、スポーツ)とエロ(女体)で、男性同士の支配、女性への支配欲が描かれます。恋愛以外にも全方位的に支配欲が強い、強く求めるべきの思い込みがあると感じます。

恋愛以外で女が女を支配しようとすることはあります。(恋愛以外で男が男を支配しようとするのは普通すぎるので透明化されがちです。これはかなり根深い問題だと思います)

虐め、女の争い、などといわれたりするものです。

これには「男を争う」「生活レベル(夫の収入)で争う」「美醜で争う」「マウンティング」などがあり、結局は「男に欲望されることで支配力を得る」「他の女を自分の侍女として仕えさせる(男性のケアもさせる)」ことの争いです。
※男性同士のマウンティングは、「自分の目下として仕えさせる」ですが、相手を女性へケア係として差し出すことはないので、その点が違います。

フィクションではこういった「女特有の」嫌らしさが好んで描かれることがあります。
男性向けでも女性向けでもよくあります。
これは、フィクションに歴史的に存在する「男性上げ、女性下げ」でもあります。
実際、現実の男性よりフィクションの男性はよく、女性は悪く描かれる場合が多いと感じます。現実にヒーローのような正義感ある男性は少なく、悪女のような或いは性的に都合いい女性も少ない(ビジネスは別として)。

男性が絡まない女性同士の場合、支配欲は権力欲なので、相手を支配することで権力を感じられないとあまり魅力的ではありません。
そして、女性は女性に支配されるのを嫌います。同等と思っているからです。
この「同等」は無意識に女を「男の下位である同じ立場」とみているともいえます。

歴史的にずっと、社会で権力を持ち、その権力を自分たちのために使っているのは男性です。これがペイトリアーキ(patriarchy)で、家父長制といわれるものです。
その根源には「暴力」があります。戦争がいまだに行われているのは、暴力が最も支配に有効な最終手段であることを示しています。

女性が恋愛により異性を支配する願望をもつのは、それが歴史的に女性に許された「力」だったためです。なぜ許されたかというと、男性側にもメリットがあるからです。

 

だが、今は違う!???(ギュッ!)

 

それが「一夫多妻制でなぜ嫉妬するのか」という女子学生の質問に繋がる気がします。

「結婚は、相互同意ルールのもとで行われる利益共有契約システム」という意識があるから「なぜ嫉妬するのか、ルールに納得して結婚したのではないか」が出てくる。
一夫多妻制システムでも妻が同じ権利(支配権)をもつのであれば「嫉妬する必要がない」ということです。
現代女性は、恋愛以外で権力を持つ手段=主に経済力、家庭内労働への敬意などを得られるようになり、人権を得てきたので、これまでのルールが女性に納得できない形で成り立っていたことが理解しにくいのです。

男性の恋愛における嫉妬は「俺の所有物のくせに裏切った、生意気だ、舐められた」という女性を罰する怒りが多く見られます。
女三宮と柏木の密通を源氏が不快に思うのは、女三宮に特別な愛情はないが、自分の所有物を盗まれた、顔を潰されたという怒りがあるからです。
源氏自身も人妻を寝取り密通しているのですが、「情緒・美意識」がある「密通」は罪ではなく「雅を解さない粗雑な若者の恋愛」は許しがたいという物語の背景もあります。
同じことをしてもケースバイケースで許される。平安貴族の「支配ツール」には「美意識」があるからです。


女性の嫉妬は、多くの場合男性よりも相手の女性に向かってきた。つまり、「私の’愛されるという支配力’を奪われたくない」です。男性に対し、男性のように「私の所有物のくせに裏切った、生意気だ、舐められた」とはなりにくかった。

女性向けのエンタメでは、恋愛相手の男性に「執着し嫉妬される」を好む。
また、相手の女性と憎みあい戦う感情が強い。

それは生来の属性ではなく、社会的な権力勾配、支配力勾配によるものが大きいのではないでしょうか。

愛する相手に裏切られたらまず「悲しい」だと思いますが、「怒り」「ねたみ」「復讐心」がでてくるのはやはりそこに支配欲があるからだと思います。
そしてそういったフィクションが受けるのは、見る側にも強い支配欲と加害欲があるからでしょう。

紫の上は、源氏の子供を産んだ明石の君や正妻女三宮の登場で嫉妬し、大きく心を乱されます。これは「子どもをもつ」「正妻という立場」は「権力」であり、権力は支配の源泉だからでもあります。愛情という権力による支配は、具体的な「子ども」「正妻」に比べよりどころが「男の心」にしかない。だからこそ嫉妬が強くなる。しかし、その心のあり様に苦しみ、昇華させたいという思いが美意識にもなる。どう支配欲を手放すか、女性の嫉妬にはこの苦しみがありますが、男性の場合は、ほかに支配欲を満たせる場所があるためこのような苦しみ方はしない。それは性差というより、やはり社会構造でもある気がします。

 

 

 

 

ところで、ここで、「自分が悪かったからだ」と思うタイプは、
人に自分を支配させる方向で支配欲を満たしているともいえます。
相手の支配欲と自身の支配欲を同一視しているんですね。

「あの人は私がいないとダメだから」
とか。

ブラック企業や独裁体制の末端支持者も、同じように、強者に支配欲を重ねることで、支配され害を被っている事実を隠蔽したい心理です。

私はものづくりの人をかなり信用していますが、

彼らの支配欲は人に向かってこないからという理由が大きいです。

ただ、ものづくりを通して人を支配したい(金銭、名誉、承認欲)人も多いので、そちらは苦手です。