ストーンオーシャン/ヘヴィーウェザー

 

暑いですね!7月に入って35℃に迫ろうとする気候。
30℃超えたら学校も仕事も休みにしては?
人間のせいだし、人間て自然にも同族にも有害すぎて早く滅びたらいいのにな!と思います。
死んでも焼かれて二酸化炭素と熱とリン酸カルシウムに還元されるとか、とことん有害だよ。
虫自認なので人間バッシングしちゃう!ごめんな
(ChatGPTに「他の生物に影響を与えず人類だけを滅ぼすにはどうしたらいいですか」と聞いたら「何か辛いことがあるなら力になります」と言われたよ。やさしい。気を遣わせてごめんね!)


さて、ネットフリックスでやっとストーンオーシャンを見ました。
先月、アムステルダムで友達の予約してくれたairbで朝からヒューガルデンホワイトのみながら(6パックで7.5ユーロだった安すぎる)話してて

「ジョジョって元気がないと見られないよね」といわれ

友よ! それな! と思いました。
4年まえイタリアに5部旅したおれたちだけど、今も同じ心ッ…ありがとう…ッ

 

さて、ぷっちたんとウェザーの絡みが好きなので、まずそこを見たのですが
過去編、「ここからはあなたに判断してほしい」のとこ

誰って、ぷっちたんが悪いんでは!?

 

改めてね、そう思いました。
ウェザーとぺルラを別れさせるためとった手段ではなくて、

これって

パターナリズムだよね?

という点で。

 

パターナリズムが何かについては、これを読んでほしいのですが、
かいつまんで言うと、

 

 

パターナリズムとは


権威ある人間の考え、行動が第三者のために決定し、その結果第三者はアドバンテージを得るかもしれないが、人生の自己決定責任を持てなくなる(ケンブリッジ辞書)

 

です。

そして、たいてい、立場の強いもの=家族の父親や社会の上層部により行われるため、家父長制としばしば同一視されます。日本では実際に家父長制という翻訳もされています。

 

エンリコ・プッチの行動は、弟と妹に「良かれと思って」「人生の重大決定を」「相手の代わりに判断する」な点で、完全にパターナリズムなわけです。
これは、相手を下に見ている、守ってやらねば、という善意によっても発動します。
だから、「兄」であるプッチは、自分がやらねば、と思い、そのような行動に出ること自体を疑いません。
むろん、妹が、弟が、同じ状況で同じ判断をする可能性もあるのですが、ここでは「兄」であるプッチの行動として描かれている、ということは、それが物語としてより「自然で受け入れやすい」からです。それがマジョリティの感覚だからです。

パターナリズムが常に悪かといえば、「相手が保護やよりよい生活を得る」メリットがあれば容認される、という抜け道があるのですが、結果としてやってみないとわからないのであれば、注意が必要ですし、本来すべきではないでしょう。
障碍者や社会的弱者の保護に法律が関わるのは、個人のパターナリズムは危険すぎるからです。



というわけで、家父長制の一部としても存在するパターナリズムですが、


ジョジョ界は6部までこれを悪とはいわないまでも、捨て去るもの、乗り越えるべきもの、その結果よきものとして描いてきました。

虹村兄弟やプロシュートペッシなどがそうですね。

徐倫と承太郎も、反抗期と自立を経て、父親と共に戦う娘になる。

親子や血族の絆や継承を描きつつも、有害な家父長制を排除してきたように見えました。

しかし、時代が変わり、更に高い解像度が求められると、
いかがなものかという部分も出てきます。

そして、7部以降は荒木先生ご自身が絵のほうに意識が向き、古典的絵画を描こうとすると価値観もそうなる、と仰っているように、逆に家父長制および男女のジェンダー(外見を含む社会的性別)が固定化してきました。
時代の変遷とともに「女性らしさ」「男性らしさ」が変化し、時に入り乱れ(アナスイが最初どう見ても女性だったとか、下着や乳を見せても性的要素を感じないエルメェスなど)6部でほぼ対等なフラットになったところで、バックラッシュが起きている。

 

ジョジョランドでは、トランスジェンダーの「兄」が出てきますが、
「女性の社会的役割や肉体の搾取性」を男に転嫁したことは、先進的なようですでに古いというのがこの流れで見て取れます。
(女装した男性が女性と同様に男性から性加害されることは、越境/トランスではなく女という性の古典的な固定化ですね)

ストーンオーシャンの女の子たちが戦っているのを見て、女性の強さや男性との対等なポジションを早くから題材にした荒木先生の7部以降のバックラッシュは、まさしく、時代の先取りだったのだと思いました。
その点で現在のジョジョ9部(個人的にはジョジョは血族ではなく魂を非血族の子ども=次世代の若者すべてに託す6部で終わったと思っていますが)は個人的に残念でありつつ、その残念さは私たちの社会が進む方向でもあります。

 

自分も進化し、深化していき、作品をただ称賛し消費するのではなく、もっと大人になりたい。
そう思うと、いいよね、というものは減ってしまうのですが、
ホントにおいしいものを知ってもおいしいと思うジャンクフードもあるよ、というのが文化です。

 

いやいや、ぷっちたんはエロいよね! くそ野郎だけどね! そこが哀れでえろいんです。あとアナスイがすき。