ゴールデンカムイ 再読

 

ゴカム再読してました。
わりと初期から、本誌を追ってたんですが、最終回近くなって自分のなかではちょっと引いた気持ちが強くなっていたんですね。

再読して、やっぱり面白いな、と思って、
でもやっぱりちょこちょこ引っかかるところがある。

優れているからこそ、「ここも受け入れられてしまうのはちょっと、違うんではないか」まずいんじゃないかと思うんです。

その点を、整理してみます。

 

・アシㇼパさんが少女である点

「アイヌ文化や命、正しさを純粋な目で教えてくれる」アシㇼパさん
これ、どうして同世代の女性ではないのだろうか、と思うんですよね。
なぜ成人男性とローティーンの少女を組み合わせるのか。銀魂もそうだけど。

多分、ローティーンの少女からものを教わったり、彼女が自分より強かったりはいいけど、同年代の女性に負けたり教わるのは、作者が上手く描けないし、読者が設定として受け入れられないのではないでしょうか。
それはなぜか。
若い女性は若い男性にとって明らかな「性的対象」なので、対等として扱うスキルがない。性的なので純粋ではないと思っている=自分が性的にみる対象を性的能力があるゆえに不純かつそれのみの存在と思い、少女を”純”な存在と思い込みたがる、自己投影と自己拒否と現実逃避という多くの男性の思い込みに疑問なく従っているような気がします。
少女は子供で、子供は大人が保護するべき存在というのは当然なので、成人男性は少女とは対等でなくていいんです。
大人として自分が無条件で上の立場だけど、少女側が対等だとか恋愛対象だといえば「受け入れる」という都合のいいダブルスタンダードの関係ができる。


インカラマッやカエコさんなど数少ない「若い女性」は「恋愛脳」だったり「ずるがしこい」だったりしましたし、梅子さんの描き方なんて、男にとって最も都合の「いい女」ですね。
男二人と女一人の三角関係で、二人の男に争われる女は実は男同士のホモソのための道具立てである。というのは古くから言われ研究されていることです。
https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/11/6751_311013.pdf?1552867200054


梅ちゃん、「男性を内面でみている女性(杉元に顔も能力も劣る寅次を尊重する)」という描かれ方ですが、逆に「好きだった美少女が結核で村を追われて、もう一人のブスの幼馴染と結婚した男性・梅さん」だったら、「ブスに優しいいい人」だけどどっか「ブス嫁」みたいな扱いが出るんではと思う。若い女のブスをどう扱っていいかわからないんですね。人として。だから笑いにするしかない。キロランケの妻や年取ったソフィアやブス娼婦みたいに、笑いの要素が出てくる。この漫画、男のブサイクより女のブサイクを笑いにしていますね。ナチュラルに。男で笑いものにされるのは「ゲイ」「ホモっぽい」「バカ」です

作者が、というより、読者や日本一般社会的に、成熟した若い女性は、性的価値が最優先の生き物で、男性は自身を成人女性より冷静で知性のある存在にしておきたい、女性自身ですらそう思っている無意識があるんでしょう。

一方で、チカパシがバカで普通のエロガキであることを思えば、

少女への妄想というか期待値と重荷ののせ方が異常

だと思うし、
それが疑問なく成立していることの裏にある心理はもっと分析されるべきと思います。

これ、少年が若い女性と相棒として同じような設定だったら、絶対世間で受けないよね。
多くの男性は自分より若い男はバカで弱いと思いたがりますし。

 

・白石へのいじり

いじりやすい男を笑いのネタにしたり、誰もが侮っていい存在とするのって、
かなり不快でした。特に前半部。
谷垣へのいじりも同じく。
ホモソ社会の下劣なところだし、アシㇼパさんもそれを普通にやっている=男と同じレイヤーの「認められる存在」みたいなのも嫌だった。

 

・ソフィア

日本エンタメ全部の問題だと思うんですが、ババアは年を取って美貌をうしない、「男にとっての女」であることから降りることで、一定の強さを得る、

ってやつ

 

大っ嫌いですね。ふざけんなっていう。

 

若い女は戦えても最終的に「男に守られる存在」でなくてはいけないが
年取って醜くなったら強くなっていいしババアは笑いにしていい、
フミエ先生とか、ハマ子もこれ
ジブリもあるよね。これ。

幼女=純粋なロリ 
若い女=異常な包容力ある美女 
経産婦=子ども第一の頼れる母 
それ以外の女と年取った女=笑いの対象で強いバケモノ

おかしいだろ。どうやって整合性とってんだよ。

一方、土方歳三は美爺なんですよ。

美婆の主要人物は出てこないのに、男はジジイになってもカッコイイし男の美意識の自意識がまとわりつくんですよ。

人斬り用一郎やガムシンもそう。
こういうの、現実でも変な誤解を生むからやめてほしいですね。
日本男性の自己認識はちょっと甘すぎですから。
男のナルシシズムと加齢女へのいじり、セクシズムとエイジズムが酷いなって思いました。

 

・どっか雑

アイヌ文化や小物などへのディテールは非常に精緻なのですが、
実際の歴史や先住民文化に対する扱いが雑。
コンテンツ扱いしていいものではないし、IFであれ史実をベースにしているならそれなりの誠実さや敬意が必要では?と思います。
戦争に行っていない楳図かずお先生が、

「死者の行進」を描くときはものすごく迷いました。当時は、戦争を体験した方がたくさんいらっしゃいました。マンガ家の中にも水木しげるさんみたいに戦場で腕をなくした人もいらっしゃったから、経験のない僕が戦場を描くのは、いけないことじゃないか、失礼になるんじゃないか、と思ったんです。

 

とおっしゃったそうです。
表現の自由や面白さを優先して、現実への敬意を欠いたクリエイターが最近多すぎるな、と思うし、野田先生がそうだとは言わないけど、誠実さの点でちょっと、私には美意識が感じられないところがあった。
失礼になってはいけない、という畏れや敬意よりも自己満足優先というか。
いろんなパロとか
親分と姫のモデル役者とかね。
失礼だな、と思いました。
面白いと思ったからって、ためらうべき事があります。
描く事自体がダメなんじゃない、それを作者が「ダメだけど」っていう自覚があるかないかなんですよね。「至らなかった」「でも、現時点で誠実に向き合った」とかね。

 

 

う~ん、このへんですかね。
やたら他責思考がある人が多い、ってのはまあ作中でも多少批判されているし
薩長への批判もあったので、そこはもっとやってくれ!と思いました。