戦争ってなぜなくならないんだろう

 

「戦争ってなぜなくならないんだろう」

この問いも、ずっと世の中にあって、答えとして「それぞれの立場や正義が異なるから」とか「人間はおろかだから」などという答えがあります。

 

しかし昨今の日本や諸国の状況を見て、ふと、思いました。
酷い発想だなと思いますが、

戦争には、暴力的で学のない、コミュニケーション能力も生産性も低い、それらの要因から他者へ加害性の高い人間を社会から排除する効能があったのではないか?

ということです。

社会が繫栄し、平和が続き、しかし十分な教育や公平が与えられていないと、
社会の下層に、他者に対して有害で、生産性やコミュニケーション能力に欠け、暴力衝動を持つ人たちがたまっていきます。
反社会的組織や不良グループではなく(なぜならそういう人は同様の人間による”組織”に参加するコミュニケーション能力や、そこで支配従属関係と利益を生み出す才能があるからです)、「誰でもよかった」といって車で歩行者天国につっこんだり、女性や老人や子供といった弱者を殺そうとするような人々です。

で、戦争というのは、歴史上、そういった傾向を持つ人々を統制し、有効に用い、居場所と名誉を与えたうえで、一定数昇華...排除するシステムだったのではないか。

第二次世界大戦後、ある年代の男性が大きく減っていたはずですが(兵役は男性のみでした)、日本の経済成長において特に支障がなかった、
また、ロシアドイツも同様ですが、その後の経済成長や国力増加は欧州でもトップクラスです。
そして、第二次世界大戦における戦死者の割合は、日本とドイツのみ民間人を軍人が大きくうわまわっている。民間人=老若男女、軍人=民間人以外の特定年齢層の男性です。

こんなことを言うのは本当に酷いと思いますが、
「有害な傾向をもつ男性を一定数減らすことにより、社会全体の成長が促される」効果が戦争にはあるのではないだろうか?

女性を減らすことにも、同様の効果がある可能性があるかはわかりません。
歴史上、特定年齢の多くの女性のみを死ぬ可能性がある状況においやる現象はなかったからです。

 

江戸時代や平安時代など、日本史で戦争がない長期安定があったのはなぜかというと
島国であり国内平定していれば他国の干渉を受けにくいことは当然として、
民主主義も資本主義もなかったからです。
社会で有害かつコミュニケーション能力も生産性も欠ける人間は、社会上層部では教育と富により少なく、下層では長く生きることができなかった。

戦国時代のあとの江戸時代の平和は、暴力的傾向のある人間を権力から排除し、
厳しく身分制を定め、自由を奪い、支配したから達成されました。
明治政府になり、社会上層部が薩長という地方からの暴力的組織により乗っ取られ、身分制が崩壊して、有害かつコミュニケーション能力も生産性も欠ける人間が社会で場所を占め、それを統制する教育の質も量も足りなかった。
彼らの多くを用いてアジアで戦争をするのは、社会にとって有益な利用法であり、社会上層部にとっても大きな利益のあることだったのではないでしょうか。
意識はしていなかったものの、結果としてそういう風に流れざるを得ない側面があったのではということです。



で、現日本政府はそんなことを考えるほど賢くはないと思うのですが、
アメリカはもしかして意識的にそれをおこなっているのではないだろうか。

だから、常に戦争を(他国で!)行いたがり、派兵したり駐留したりするのではないだろうか。

むろん、主目的は違う。
ただ、裏の効能としての「特定属性人間の社会隔離と排除による社会の強制浄化」があるからこそ、強大な軍隊を持ち続ける無意識の社会本能があるのではないかということです。

アメリカの貧富や教育レベルの格差、社会モラル、教養の偏りで下層になる人々を思えば、軍隊に入る若者は決して高い教育を受けた人ばかりではないと思います。
というか、軍隊は警察と同じく、高い教育と出自を持つ人は上層部に限られるはずです。

そう思うと、モラル的には許されないし、巻き込まれる人もいることを思うと戦争は絶対してはいけないのですが、社会の強制浄化という意味があるのかもしれません。