ゴールデンカムイ

インフォメーション

あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

    カテゴリー

ゴールデンカムイにおける父権と、対立理論としての谷垣、など

 
ウエジの過去エピソード
 
たった2ページだけど(次巻にも出てきますけど)、父権の抑圧に傷つけられてきたのがとても分かりやすくわかります。
 
父権というのは父親あるいは父親的なものを長とし権力を持たせる構造で、その構造を維持し成り立たせるため、おおっぴらにあるいはひそかに人間を支配する社会のシステムを指します。

金カムの中で、父権制により損なわれてきた男性たちと、彼らの比喩的な意味も含めた父殺しというのは非常に興味深いです。
 
生育史で何に損なわれたのかの中に、父親に傷つけられてきた(母親の場合も遠因に父親がいる)というのが続々出てくるんですが、男性作家が男性キャラクターを用いて、こういう形で父親を告発するのはとても珍しいと思う(フィクションの父殺しは大抵「伝説的父親を倒す、超える」で正負含めた父権の継承なので)
一人だけではなく、何人もいるのが、明確に意図されていると思うし、
鶴見中尉という「成り代わり」がいるのも象徴的ですよね。
 
女性だけでなく男性も様々な形で差別され傷ついてきたんだと、いまだに言えない抑圧があるのが前近代的父権制で、終わったのに死なない昭和です。家族はいいものかもしれない、でもそこで傷ついてきた人もいるんだよを描きながら、その被害者としてでなく加害者(殺人者)になってやりたいようにやる自由な姿を見せたり、時にストレートに父殺しをしたりで、父権の否定をしているのがとてもいいと思います。
 
 戦争やそこでの組織的な殺人も父権的な力と言い換えることが出来るでしょう。
 
メインキャラクターの中で、告発される父権と対照的に「父からの正しい継承」を体現する存在が谷垣です。
鶴見中尉に入り込まれるような心の穴を持ちながら、二瓶という師に会って兵士(組織的上下関係の中の殺人者)からマタギ(命の輪の中の平等な一人)に戻る。未熟な少年チカパシに自分の力で立つことを教える。
「勃起」という言葉は男根的マチズモではなく、「おのれに拠って立つ、奮起と気骨」であろうと思います。自分の勃起は自分のもの、自分で立たせるべきで、父権を中心とした組織の中で女性を玩具にし互いに擦りあって立たせるものではない、ということです。
 
谷垣は、インカラマッと出会い、いかにも美しい絵空事の恋愛ではなくリアルに成り行きからの情が深まるところから子供が出来て、新しい家族を作っていきます。
それは「愛し合う両親から生まれた祝福された子供」というより、もっと自然で、泥臭く、愛とか祝福とかの大袈裟な言葉を越えて寄り添いあう、いきものとして素直な人間の姿に見えます。
谷垣がマッチョで毛深く、いわゆる男性的な姿なのに、男性からセクハラされ、少女たちの中で自分が至らないと泣くところも、父権(いってしまえば女子ども弱いものを一段下の存在とすること)へのアンチテーゼと受け取れます。
いいよね、谷垣。作者にすごく愛されるのも無理はありません。
 
 
 
父権支配への告発と離脱の苦しさを描いている一方で、未来を背負わされ判断するキーパーソンがなぜ少女なのか?
なぜというか、それはどういうことなのだろうか?
 
 
・主人公たち(読者世代)が身を置いてきた戦争、仕事、社会、家族といった「男の」人生において、少女というのは「自分たち男の力によって関係を変えられる=何物でもない=無垢な」存在であること(「女」だと妻や恋人といった過去=父の既成概念に入ってしまうので、それでは自由になれない)
 
・旧世代の価値観(戦争という過ち)で人を殺し傷ついてきた主人公にとって、今まで触れてこなかった人生の側面=子供で女性であるゆえに、相棒として新しい未来を切り開ける希望の存在であること
 
・少年だった場合、あまりにも自らに近すぎリアルなので理想化した存在として未来を託せないし、相棒にもなれない。
なぜなら父権社会からまだ脱却できていないので、少年を「自らに教えを与える」「相棒」「尊い存在」として許容できないから
 
そういう感じもあるのかなと。
もちろん、ビジュアル的な良さや動かしやすさ、新しさの表現などいろいろな理由があると思います。 
少年少女が世界を変える! 的なフィクションを望む欲望は、現実にはグレタ・トゥーンベリの活動を支持する気持ちに繋がるとはあまり思えないんですよね。
その幻想や、妄想の仮託とは何なのだろうと思うんです。
女性側からの男性への妄想と欲望というか性欲リビドーも興味深いですけど、ちょっと痛くて…自分が…目が痛くて。あと女性の妄想と欲望は現実社会にさしたる力を及ぼさないのでね、今のところ、経済利用される以上の影響は、あまり。
 
 
作中でリパさんが「杉元は純粋だった頃の自分を私に重ねている」といいますが、
過去の自分を重ねるのなら少女ではなく少年である方が自然です。
なのに、少女に重ねている。
そこには何らかの欺瞞があるはずです。
少年はチカパシのように普通のバカでスケベな存在だと描きつつ
でも本来の主人公はこの少女のように清らかだった
人殺しなどしたくなかった。でも「男であることに疑問も嫌悪もない」
何かしら矛盾した感覚がある気がします。
尾形は勇作さんとアシリパを重ねていますが、杉元が勇作さんに「純粋だったころの自分を重ねる」のはありえないんですよね。

しかし古今東西、人間が心の穴を埋める幻想を求めるのは生存本能で、だからこそ物語を求める。その求められる物語が何か、というのに人間の普遍と時代の欲望という二つの形がある。と思います。まる。
 
 
 
 
 
 
 
 

ゴールデンカムイ25巻感想

 

 

あれ。本誌から修正けっこうありますか?

上等兵エピソードや勇作さん絡みなど、記憶にあるのとセリフが違うような。
ヤンジャンアプリを見たら既に修正済みだったのですが、ちゃんと本誌購入して修正箇所をサイトで検証している方がおられました。
ありがとうございます!!! スライディング土下座感謝! 
後世に必要なのは客観的事実資料なんですよね。本当にありがたいです。
思った以上に修正をされていて、ノダ先生すごい!なんですが、気になる『上等兵たち』のところだけ

  • 本誌:『勇作を殺して父上がオレに愛情があったとわかればしょせん勇作だってオレと同じ人間になりえた道がある、そう思わないか?」
    ⇒ 勇作を消せば自分が父に愛される可能性がある → 勇作だって結局人を殺す人間かもしれない 

  • 単行本:『実は俺も父上から愛されていたとすれば? その場合俺と勇作殿との違いは何も無いってことだよな?』
    ⇒ 俺が父に愛されれば勇作と同じ → 高潔で殺人をしない勇作と殺人を犯す自分に違いはない(愛情より勇作が自分と同じことが重要)


    微妙に違うんですが、11巻の段階で「勇作がいなくなったらもう一人の息子を想うのではないか、愛おしくなったのではないかと」父親の愛情を確認するための殺人、のように言っていたのが、「勇作と俺は同じ」ことを確認するため、と描かれているんですね。
    何が同じかというと、「俺は人を殺さない勇作と同じ」ということです。

この辺の修整は尾形を最終的にどう明確にするかのための修正だと思うので、後述します。

  • 本誌:一番安い駒 → 単行本:農民出身の一番安い駒

宇佐美の出身階級に絡めたセリフ追加は後あとの布石というかフォローでしょうか。
トムとジェリーみたいな二人…仲良く喧嘩しな😊
色々と言い回しや見せ方が変わっているところ、方向が若干違うけど尾形理論がおかしいのは同じで、おかしい論理を「やっぱりオレはおかしくないな」っておかしい宇佐美に確認するところどうしても笑ってしまう。
訂正して欲しくないから異常な人に確認するって的確すぎる。
(オガタ理論は部分的にはおかしくないし頷けるところもあるのですが、トータルで聞くとおかしいんだよね。本人もどこかでわかってるから宇佐美を選ぶとこがすごい)


宇佐美の嫉妬が月島さんへ向かないのは本誌読時には、争いは同じレベルでしか発生しないからだよな、と思っていましたが

『月島軍曹殿は本当の鶴見中尉殿を理解できていないから』

の詳細として過去回想の鶴見と宇佐美の会話が追加されました。


『いいなあ、僕も月島軍曹殿みたいに鶴見中尉殿から「駒」として扱われたい』『あれって最高の使われ方じゃないですか』
『 私は部下を「駒」などと思っていない』
『 はいはい…でも僕が鶴見中尉殿に「戦友だ」なんて言われたら吹き出しちゃうかも』


菊田氏「うちの上等兵はどうなってんだ?」いやほんと、お察しします。というか、おかしな上等兵って言及されてるの宇佐美と尾形だけ。お察しします。
自分はあなたのこと理解してますからってアピールして嫉妬の対象を笑って落としておけば、表面的には負け戦しないで済みますね。
とか言ったらぶっ殺されそうだけど…。

メンコをする少尉と軍曹。月島さんはつきあいがいいな…人情家
その月島さんへの「戦友だ」シーンの拡大からの駒扱い。
宇佐美の尾形への絡みから流れ弾。
鶴見中尉は月島さんを惑わすのが人生の目的なの?
ってくらいなにもかも月島さんかよ、なんですが、もうむしろそれでいいんですが、これも後々の為の修整でしょうか? 今本誌えらいことになってますので。


破綻しつつ自分にとってだけ筋の通った論理を語る殺人者達の奔放な生きざまは、正しい論理を選ぼうとして苦しむアシㇼパさんよりずっと爽快で愉快だけど、むろん人としてそっちを目指してはいけない。


IMG20210218175822.png

(息抜きの自家製あん肝。自分が作ったわけではありませんが…。あんこう鍋と日本酒のおともにどうぞ)



金塊を手に入れてどうするかの夢を語る人々の中で「いつもの娯楽」しか出てこない自分を考えるシライシの明るい虚無。
七面倒な理想やら誰かの為やら天下国家的を語る人に比べ、酒を飲んで遊郭に行ければいい以上の欲が浮かばない白石は、必要以上を求めない自然のようでもありますが、自分の生い立ちを思って「何か欠けてるのかな」と思うのかもしれません。
欠けているからといって殺人みたいなとこにいかない、白石の凡庸でまっとう(泥棒で脱獄王だけど)な好ましさ。
本気を見せない一方、信用されていないのかと密かに落ち込む。
大丈夫、それでいいです。私は白石が好き(誰への主張)


ボウタロウの野望って海賊王になる的な無邪気さがあるんですが、人に忘れられたくないから自分の国をつくって家族を増やして語り継いでもらうんだ、ってのが子供の無邪気の悲しさや暴力や残酷に通じる。
『季節のない街』で虐待されてされて耐えた子供が、好きな子を刺してしまって「死のうと思ったらあんたに忘れられるのが怖くて堪らなくなった」の悲しさに似てる。
「どうして?忘れたりしないよ」と言ってあげてほしいです。あと日本語読める人は全員『季節のない街』を読んでほしい。


ボウタロウとシライシの絡みは、互いに心をあかさないけれどそのことを互いに了解したうえでの絶妙な距離と理解で、まあかなり人間関係としてエロティックだと思います。
覆いかぶさって髪の毛を目の上に垂らすとかさ~~なんだよボータローは。
髪の毛のスタンド使いだよね。確実にね。

リパさんがスギモト好きなのはいいけど、男女の深い感情を全部恋愛絡みにするのはちょっとな。

自然は必要以上のものを取らない。とても同意。足るを知らない強欲はやっぱり人間の悪の一部で、どこかで自制すべきだと思う




勇作さんと尾形に関しては
11巻での感想は
「母が死ねば父は会いに来る=愛情の証明である=自分のしたことは正しかった」から連なる、「勇作が死んで自分が父親に愛されていたとわかれば自分が母を殺したのは正しかった」であり、「であれば、勇作もオレと同じである」ことがわかり、そこで初めて母を殺した自分が正しいと証明され、勇作さんも受け入れることが出来る、でした。

愛されたかどうかが自分を形成したのではなく、愛されていたなら自分はこう形成された存在であるはずだというのは、殺人者である自分をどう許容するかという話じゃないか、と思います。
殺人、と一般化していますが、ただ一つ、母殺しを指しているのだと思う。
尾形の母殺し問題は長くなるので別途。

今回の修正は、野田先生が尾形を最終的にどう描いて決着をつけるかが決まってきたことで、それは尾形にとって自分が殺人者である事とどう折り合いをつけるかなのでしょうか。
でも、勇作さんに振り回されて悪霊呼ばわりする罪悪感なんてクソがって尾形も好きだな。

ウエジについては次で。父権制と金カムについて。



感想をちゃんと書き留めておくの大事。
すぐ忘れちゃうから。さっき言ったことも忘れる。
忘れる上に考える力も衰えるから、時々フィードバックしないと。



YJ感想

 

「誰から生まれたかより、何のために生きるかだろうがッ」

 

さすが主人公。
ぐうの音も出ないまともなセリフをかましてきました。
生まれ育ち親がどうの、という感覚って、昭和中期くらいまでで(『銭ゲバ』とか『砂の器』とか)、アダチルという認識を経てそんなの関係ないがコモンセンスと思っていたのですが、現代にも共感されるものなのでしょうか。
NewsWeekの人生相談で義母への恨みを忘れられない人に「あなたがそれを語るべきは息子ではなくセラピスト。グッドラック」とあって、それな~と思いました。
兄様とか月島さんがセラピストにかかるとこ想像するとそれはそれで面白いです。鶴見中尉みたいな医者に人生めちゃくちゃにされたりして…(妄想翼)
あと、愛し合う=メイクラブ、うん、言葉の問題!!そこ注意しよう!

このまばゆい正論。
ぜひ胸倉掴んで言ってやってほしいです。

さて一方兄様

商売女の子供の分際で!

などと言われております。
宇佐美、そういう事言うんだってちょっとびっくりしました。
常識とか世俗の価値観から外れた人だとおもっていたので。割と普通の変態なの?
そういう下の言葉に引きずられて自分も愚かになる必要はないですが
まあでも今は戦闘状態だから顔とか踏んでもいいかな。
接近戦でも銃を使うんですね。
自分の得意分野を把握して使うことはとてもだいじ!

娼婦は観音様

 

うーん、蔑むのも変に崇めるのも結局、消費する側の身勝手ですからね…やってる方は仕事だし。
アイドルとかまあ、推しキャラに対する「消費者という自分主体の搾取の美化」も似たようなとこがありますが、私はちょっと、好きではないです。
その感情が自分を生かす大きな支えであるとしても、自分主体の本体を無視した搾取だということを欺瞞したくはないな。これは自分だけの感情で人には関係ないのですが。

やだ、もう!
こういう偏屈な気持ち悪いオタクみたいなこと言いたくないのに牛山さんのバカ!!!

 

 

 

 

ヤンジャン感想

 

 

宇佐美…!


がっつりしたスパンキングプレイ…

鶴見信者から変態性欲者へステージシフトですか?
門倉さん。もう、生まれつきの犠牲者が板につきすぎ。
いつかやり返してやれ!
下剋上が好き!

 

両親が愛し合って…

うん アシㇼパさんは傲慢なほど純粋だからいいけど、いい歳の兄様に言われると「え?おいくつですか?」ってファッとなるやつですよね。

「両親が愛し合って生まれた子供」

実生活でそういう事問題にするかな? 愛…愛ってなんです…
と思うんですけど 愛とかじゃなくてなんか、成り行き、という側面も大きいから損得や打算もあるし。ズルくて生温いとこも。リパさんはそういうのを見てこなかったから夢見がちなのかな。
子供の欲望って、愛してほしいではなく、「自分を唯一無二の存在として一番に扱ってほしい、チヤホヤされたい、大事にされたい、構われたいでもほっといてほしい」みたいな感じがあると思います。それが否定されると自分の存在価値がゆらいで絶望的になるみたいな。
子供めんどくさいね! 大人がいいです。
愛ってねえ…
まずは人としての尊重があればいいんじゃないかな。
親が愛し合っていない、じゃなくて、親が互いを人として尊重していない、そういう事に子供なりに人として傷つくんじゃないかなと思います。愛と敬意は重なるけどちょっと違う。

 

そういうセリフを言えてしまうリパさんと尾形、似た者同士なんじゃ。
そうするとアシㇼパさんを否定したい尾形って同属嫌悪というか、似て非なるものの否定というドロドロした尾リパの可能性も広がります。広がるか?

勇作さんは「両親が愛し合って生まれました、私」とは言わなさそうです。
それを当然のことと思ってたらそれはそれで背後から撃ちたくなるってもんですが。

 

宇佐美に蹴られる兄様

接近戦に弱いのだから、距離を取るんだ…!射程距離の外まで!

 

感想用Twitterアカウント作ろうかなと思ったんですが、Twitterめんどくさいんですよね。短文で言いたいことをまとめるのってコピーライティングみたいなものだから大変。息をするのもめんどくさいゲイラだから。


でもSNS依存してないかというとそんなことはなく、お互いだけがフォロワーの鍵垢(複数ある。一対一でないとコミュニケーションできないから)で毎日なんか言いあってて時折ヤバいなと思います。

 

 

 

 

ゴールデンカムイ23巻

 

 

色々ありますけど、とりあえず宇佐美時重さんの唐突な狂気について。

第七師団の父権制の闇については前ちょっと書きましたが
月島さんや尾形や鯉登さんへの働きかけは解るんです。
でもそれとは違うよね。

いや、宇佐美の鶴見への感情の強さがちょっと、理解を超えていて…

鶴見さんが一番と認めてくれていた事がそんなに重要なんだ…
両親も仲良く兄弟も明るく自分を認めてくれてるいい関係ぽい家で、いい友人もいて、なぜそこまで鶴見に固執するのか今一つ入ってこないので、宇佐美、サイコだなって微妙に違和感がある感想に。いや、前からそう思ってましたけど、方向性の違う湿度高めのサイコ。
「俺は欠けている」(中二病的兄様の呟き)に対して、両親揃ってあったかい家庭でも関係なく異常者は異常ですよ~、という事実を突きつけてきます。

宇佐美の感情は好きな学校の先生を独り占めしたい的な部分が行き過ぎてコントロールできていないようなもので、愛とか執着とはちょっと違うように感じられます。

つまり心の鍋が小さいのですぐ沸騰してしまう、子供の未発達な感情そのまま。
弟妹が産まれて上の子が嫉妬のあまり殺してしまう感じ。
あるいは「犯行現場に何度も戻ってきて自慰をする」変態性欲者で、殺人と性欲の結びつきに鶴見を利用しているという側面もあるかもしれません。

鶴見先生は戦争で人を殺すハードルを越えさせるのは愛✨って言ってますが、やってる事の仕込み効率が悪くて時間かかるしバレちゃってたりするし、洗脳教育の方が手っ取り早いんではと思ったりする。鶴見さんの父権成り代わり美意識では正しい方程式なのだろうけど、忠誠や「上官の期待を裏切りたくない」って、愛じゃなくて自我の譲渡、前もっての服従だからね…
教養教育は心の鍋を大きく深くして簡単に沸騰したり枯渇したり溢れたりしないようにするものなので、やっぱり自分で考え判断するための教育が大事!なによりもね!と思った次第でした。


杉元さんが鳥ちゃんを毟ってる顔は宇佐美と対なのでしょうか。
誰の中にもウサミはいるよ…みたいな。こわあ。

インカラマッさん出産おめでとう!

鯉登少尉の光属性凄いね!!

月島さんが好きなのでいいことがあるといいなって思ってます。

萌えではないと思うのですが概念としての勇作さんにはとても興味があります。
初読の時に、両親が揃ってたら愛情一杯の家庭~?そんな単純な話あるか弟側にも山岸凉子先生の狂気母みたいなのがいるに違いない、 と歪んだ心で思ってしまったせいで、あの夢小説みたいに純粋に兄を慕う弟って幻みたいな気がして仕方がない。
兄様の単純幼稚な家庭観…それでアクロバティック思考で親兄弟を殺しても愛されてていいなぁ。でも愛されるのはなにか分かるというのはいけ図図しいですが、わかる気がします。


誰が好きっていったら、白石が一番好きです。
イジラれるしチャラいけど人に対する視野が広くて人間の芯がまとも。もっと皆褒めてあげて!
ゴカム合コンがあったら

「シライシ、マジでいいやつだから、ちょ、つきあってみ?」って勧める。誰目線。



 

 

 

 

 

橋本治の恵みとゴールデンカムイ

最近何かが足りないんですよね
なんだろうなあ~と思っていたら

「橋本治じゃない?」

と言われ、それだ!と本屋に行きました。
『そしてみんなバカになった』河出書房新社

ものすごーーーく面白かったです。
もどかしいことをこんなにもわかるように言葉にしてくれるのは、治のほかにいない!


「エラそうなもの」が「売れるもの」に変わっただけというのはすごく納得。
日本における反知性主義ってそれでは。
米国での元々の意味合いは全然違うらしいですが。
売れればいい、ってなかなかに貧乏臭い発想。貧乏はいいけど貧乏臭いはいやだな。


昭和は終わったが昭和という時代のイデオロギーは終わっていない、そこにアップデートされた思考はなくて経済のことばかりになってる。日本人はずっと経済を何とかすることで問題をやり過ごしてきたから「経済ではなく人間の問題」という根本の原因が見えていない。昭和とともに終わったものを終わらせられずにいる

オタクなのでオタク趣味から考えてしまうんですけど、その後ゴールデンカムイを読み返したら、明治っていうとこに遡ってるのがすごく面白くて
近代を最初から考えてみよう、何を切り捨てて、ないことにしてきたのか、今に至る原因は歴史の中にしかないから、そこから検証しようってなるのかと。そして物理的にも象徴的にも父親ごろしが沢山出てくる。失われてしまう父権に対して、成り代わろうとする人もいるし、新たな価値観を探す人もいる。それはリーダーがいて従っていればよかった時代よりずっと難しい。ヒロインの名前が新年、未来を表していて、終わる時代に傷つけられた主人公と対等な相棒として未来を模索する、対して第七師団は父権制の闇でもがいてるというのは凄く意味深だなと思います。
優れた作品には時代が事象として顕れてくるので、意図した内容ではなく、エンタメだからどう進んでいくかはわからないけど。そして自分の読解力が15歳の男子並なので、他の大人の解釈だとどうなのか聞きたいです。


平成が死に切らない昭和に取りつかれた空虚な30年だとしたら、『おそ松さん』は、昭和イデオロギーというゾンビの中で俺たちは成熟も自立もできず、バカのまま最終局面で、でも仕方ないじゃん、自分たちのせいじゃないもん、それでそれなり楽しくやってるし、でも未来ないけどね、まあ俺たちこのままでいいか!考えたくないしな、こっちを笑ってるそっちも似たようなもんだよ、という物凄い批評と自嘲に満ちているがゆえに新しいこの先を模索する作品だったと思うんですよね。

三期にはそういう方向に戻ってくれればいいな、と思います。