蜜蜂 マヤ・ルンデ

ネタバレあり

蜜蜂 マヤ・ルンデ  2015年 池田真紀子訳 NHK出版(2018年日本翻訳刊)

ノルウェーの作家、マヤ・ルンデによるSF小説

といっても、SF部分は三分の一で、物語は三つの時代が交互に語られ、蜜蜂というキーワードで繋がる展開になっています。

1852年のイギリス 父と娘と息子
2007年のアメリカ 父と息子
2098年の中国 母と息子

三つの時代でこの関係性を中心に話が進みます。

優れた小説がそうであるように、これも読み手の立ち位置によって見えるものが違ってくる作品です。
自分が感じたところをとりあえずざっくり


・19世紀は完全な家父長制社会
父親が妻や娘を人間扱いせず、家庭の中で同じ階層である息子にのみ過剰な期待をかけ、抑圧している。
養蜂で父に等しい学者に認められるという男社会への承認欲求と、幼稚な身勝手と自己愛で周囲を見ている。息子と妻の癒着関係と疎外感。息子の闇堕ち。娘の一人だけが無言で学び父の研究を支えている


・21世紀初期は父権の崩壊 
父親は息子に代々の養蜂業を継いでほしいが、息子は大学に行きベジタリアンになり文筆業をやっていきたいと思っている。ジェネレーションギャップ。ここでも息子と妻の絆は深く父は疎外感を感じる。仕事仲間との友情。父権のゆらぎにより強くなるホモソーシャル。息子との融和。


・21世紀終わりは女性の社会
人間の自然破壊による蜜蜂の絶滅で、作物が実を結ばなくなった世界。
中国の人工授粉果樹園で働く夫婦と小さな息子。母は学びたかったが肉体労働に従事し、息子に夢をかけている。子供優先による夫の排除。子供が病気で突然北京に連れ去れらたのを追って一人で北京にいく。最高指導者は女性。息子に対する母の愛が全編にただよっているが、最後は…

 

蜜蜂の絶滅に至る人間社会のあり方は、家父長制の呪い
(Patriarchy:最年長の男性が家長となる社会、または、自分達の利益のために力を用いる男性たちに支配された社会
が原因の一つと感じました。

この「自分達の利益のために力を用いる男性たちに支配された社会」
(そこに同化したり、せざるをえない女性もいるけど)って
仕事を頑張ろう、他より抜きん出よう、利益を出そう、認められよう、その利益を自分の子供へ継がせよう、そのために何かを踏みつけようとすることで、
紀元前8000年、西暦2000年にかけて続いてきて
一人の人間としては決して悪ではないかもしれないが、社会となって蓄積すると外部への悪となり自らにかえってくる、のでは? ということ。

もう、楳図先生の14歳を思い出しましたよね。虫だけに!

それが、最後の

 

帰ってきたミツバチは花蜜と花粉を携えている。こどもを育てる栄養分だ。ただし、自分が育てるこどものためだけに持ち帰るのではない。どのミツバチも全体のために、全員のために、彼らが一体となって構成する大きな有機体のために、働く。

 

子どもを愛し、何を捨てても取り戻そうとしていたタオがたどりつく、

「誰か一人の人生、誰か一人のあらゆる肉も心も思考も思いも夢も、それを大きな文脈に置き、同じ夢が世界のすべての人に当てはまることに気づけずにいるかぎり、なんの意味もない」

という部分に込められているように思いました。


つまり、自分、自分の子供、自分の属する社会が、もっと大きな、人類、のみならず自然、地球、すべてに繋がっていると認識してはじめて、個をただひとつの個として尊重することができる。それは対立でなく両立である。という愛の姿。

シャーロットがアメリカに渡り、つなげた巣箱の図面、
トムが書いた本が数十年後にタオにつなげた発見、
シャーロットもトムも自分の父親と共に働いたけれど、それが影響を与えた相手は、自分の子供でも、同じ国の人でも同じ性別でも同じ時代の人でもなかった。

それはとても尊く、ラストのタオとともに未来への希望を感じます。


ところで、昔から西洋SFでは、崩壊後の世界で唯一うまく生き残るのが中国人、というのがときどきあるのですが、
やはり、中国の歴史文化の長さ、計り知れなさ、深さに、怖れと夢のような感覚があるのでしょうか。


ミツバチ消失事件は現実にあります。
蜜蜂がいるからニンゲンが口にする様々な植物の受粉ができている。
大事にしなきゃ! ほんとにね!