ヒトラーのための虐殺会議

 

「ヒトラーのための虐殺会議」映画 2022年制作 ドイツ

 

ユダヤ人特別処理のためのナチス高官によるヴァンゼ―会議を、議事録を元に映画化した作品。

 

1100万人という膨大なユダヤ人を殺し全滅させるという「目的」に対し、いかに効率よくきちんと処理するかという「課題」を、延々と中高年男性が相談する話です。

きちんとというのは、親族にユダヤ人がいるドイツ人から抗議されないように、とか
軍需産業の工人など優秀なユダヤ人を殺すとドイツ人にとって損だがどうするか、とかです。

効率、簡素化、迅速、数字、目的に対し結果を出すための議論は、資本主義ビジネスの会議とほぼ同じですね。

モラルや人倫は「利益」「目的の前」では無力

そしてそもそもの「目的」へ誰も疑問を持たない。

これ、目的が「ユダヤ人全滅」も「会社利益追求」も「少子化解決」も根本的に同じ。

「なぜユダヤ人を全滅する必要があるのか」「奴らは世界戦争の黒幕で悪だから」

「会社利益追求」「利益を出さないと会社が潰れるから」

「少子化解決」「子供が増えないと困るから」

 

それほんと?みたいなね。

 

ユダヤ人は世界戦争の黒幕ではないし、会社が潰れても社員は別の会社で働けばいいし、子どもが増えなくてもそれで持続可能な手段をとれば困らない。

目的を問わない疑わないのが、ものすごく優秀な武官、文官の限界かなって気がしました。

だから、「目的を設定する」人間の質が問われるんだよね。
施政者のありかたについて学問が昔からあるのはそういうこと。


我々は日々、ナチと同じようなことを小さなレイヤーでやってる
そういう危険性に気づいていたほうがいい。ナチスは邪悪で異常な人たちではなく、真面目で実行能力に優れた「自分でほんとうには考えようとしない人々」です。

まあ、日本の会議はもっとなあなあで最初に結論が決まっていて誰も発言しないだろう こんな丁々発止の利益の綱引きにはならない

・処刑を特別処理、財産没収をアーリア化と言い換えるなどの、言葉のごまかし。
プーチンも特別作戦といってますね。
実際を都合よくいいかえてごまかすのは権力がある卑怯な人間たちがよくやること。噓つきは泥棒の始まり的に注意が必要だと思います

 

・エンドロールまで無音。音楽無し。

音の民族ドイツ人ならではの

「これはエモーショナルで消費していい話ではない」

という主張を強く感じました。

 

正直なところ、戦争に関する映像にはこの意識を強く持っていてほしいと思っています。
進撃の巨人のアニメファイナル、すごくいいアニメだけど、
いい場面にいい音楽を流すのってやっぱりエモーショナル消費の側面があって
そういう扱いをしてはいけないところがある話じゃないかなと思うんですよね、個人的に。
映像というもの自体が音楽的(自分でコントロールできない時間の流れに没頭する)なので、音楽でメッセージを強化するのは有効でたやすい手段だけど、やっぱりそこにどうしても「流される」があるのね。
これに慣れるのはけっこう危険だと思うんですよ。

進撃なんかは原作をしっかり読んでいる人が多いと思うけど、
原作未読でアニメだけ見る人もいるよね。
漫画は苦手という人もいるし。
でも無音で、自分の時間で文字(漫画も意味のある絵という象形文字による小説と考えてます)を読むのは大事です。
読解力はだいじ。


世代的に、もうハンジさんや団長の方なので

次の世代のために微力ながらでもなにか礎になるようなことが出来ないかと思うけど
ほんと、大人として無力だなあ…

歴史に向き合う作品をつくる人はすごい。ハンジさんすごい。

でもきちんと見て評価して考えることを続けるのも大事と思うことにする

そうしないと「戦争についてずっと真正面から検証し続ける」人がいなくなってしまうし見るひとがいないと作品もつくれなくなってしまうので。

よしちょっとポジティブになった!!