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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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バナナブレッドのプディング

 

大島弓子先生の「バナナブレッドのプディング」を最近初めて読みまして
すごい!!と思ったので、感想を書きます。
プロの評論家をはじめ色々なかたが語っておられるので、自分ごときが今さらなのですが、人の言葉ではなく自分で言葉にすることに意味がある!GO!

 

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Amazon
(もう、この冒頭がすごいよね。そんじょそこらの作家ではこんなにもさらっと扱えないセリフ)


1980年作です。41年前です。

昭和55年。この年の主な出来事は、ジョン・レノン銃殺事件、山口百恵・三浦友和の結婚、日本の自動車生産台数が世界1位になり経済はイケイケドンドン
ゲーム&ウオッチが発売され、竹の子族が踊り、司馬遼太郎の『項羽と劉邦』がベストセラーとなりました。

 

 

さて、「バナナブレッドのプディング」はどういう話か。
ざっと箇条書きにします。

 

  • 主人公は「世間に後ろめたさを感じている同性愛者」とつきあい、彼が本当に愛する人と生活するための仮面彼女として助けになりたいと思っている

  • 主人公の女友達は、この子は何かこじらせている!と考え、対策として兄(ヘテロ)を同性愛者と偽って紹介する

  • 女友達は、同級生の男子生徒が好き

  • しかし彼は本物の同性愛者で、女友達の兄が好き

  • なので女友達は男装して兄のふりをして彼に近づく

  • 彼は自分の思いが伝わらない事を知っているので、大学教授の同性愛者の愛人をしている

  • 主人公は夜中にトイレに行くと得体の知れないばけものが出てきて喰われると思っているので、兄についてきてもらう


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(主人公の精神不安定のトリガーは姉の結婚)

  • 兄は主人公を好きになりはじめるが、嘘をついている後ろめたさと、彼女が自分と接することができるのは、女性に対して性的欲望をもたない同性愛者だと思っているからなので、本当の事を言い出せない

  • 女友達は、君が本当に求めているのは兄との近親相姦だよ、と言われる

  • 嘘をつかれていたのを知った主人公は、大学教授の「仮面妻」になる

  • 主人公は大学教授を刺してしまう

  • 主人公は兄の元へ行って「私はあなたも刺してしまうかもしれない」という

  • 兄は「いいよ」と答える



という話


なぜ?? どういうこと???

と思われるかもしれませんが、読み終えて、なるほどなあと思うのです。
おそらく、当時この漫画を読んで「なるほどなあ」と思った少年少女、男性女性は沢山いたのではないかと思います。




この漫画は、主人公が「世間一般」の大人の女性になる=大人の肉体と性欲をもつ、ことに対する恐怖と忌避感と受容を描いているといわれます。
少女漫画なので、彼女の感情を尊重してくれる王子様がちゃんと現れるのですが、
それは「世間一般の」大人になるを意味するわけではありません。
男の子は怖くないのよ、セックスしても大丈夫よ、ではなく
怖いのは私、あなたを傷つける可能性があるのも私、その私を受け入れるあなたがいる、なのです。

 

「少女の自己受容」ではなく「世界が少女を受容する」なのです。


そして大島弓子先生の他の作品にもあることだけど、
重要な点のひとつは



友情や家族愛や敬愛の範囲に収まらない感情がある
それは今のところ、必ずしも性欲を伴ってはいない
しかし世の中は「恋愛とは性欲を伴うもの」であるとしている
(なので恋愛はその先に性的な関係性を必然的に内包する)
では、確かにここにある「性欲を伴うわけでなく、その先にも求めないだろう特定の相手への強い好意」とは何なのか?

 

当時も今も、少年漫画の少年が抱く少女への強い感情はその先の「性欲と成就=恋愛」が明確で、そこへの疑いがまるでないけれど、70年代から80年代の少女漫画は現代のLGBTQのずっと先を行っていて

それはつまり、

 

人類史上において、長いこと男性の肉体が中心となってつくりあげてきた「恋愛とは異性への性欲を伴うもの」なる文化に対して「それはたいへん粗雑な分類である」

 

ということの提示です。
その間にあるものは名前をもたない。
現代なら同性であれば「BL」「百合」に含まれるかもしれません。
しかし、その言葉が適当かと言われると、それも非常に雑なくくりと言わざるを得ない。
BL、百合は「(ベクトルとして性的関係を伴う公然と認められてはいない)恋愛感情」だからです。
そして異性との関係において「BL/百合的友情」に相当する表現はないですね。(プラトニックラブという言葉があったけど、恋愛とは性欲を伴うを前提とした対論なので、そういうことじゃない)


特定の人に対する、つきあったり、セックスしたり、結婚したり、子どもを作ることを志向しない、強い好意をあらわす言葉はいまだ存在しないのです。


70年代から80年代初めにかけての少女漫画にはそういう哲学、というか、すごく先進的な思想や感覚の提示があった。
しかし、バブル期になり、「そんなめんどくさいこと考えるのはいやだ、貧乏くさい」「楽しく恋愛しようよ」 男性は金をかけて女性とつきあい、女性もその金に相当するほど自分を磨く、という巨大恋愛市場が生まれる。
好意の先は、つきあう、恋愛、でその成就は「セックスした」で「選び選ばれる」で、それだけの価値をもつ自分、であって、性欲と恋愛とカネは不可分となった。

それから30年かけて日本は貧しくなっていって、気づいたら、金はないけど欲望だけはある。じゃあどうしようというところで、「金のかからない(二次元の)推しへの性的妄想」が恋愛市場に登場し、オタク市場がメジャーになってきたのだと思います。

いや、推しにめちゃめちゃ貢いでるよ!

という人もいるでしょうが、それは貢げば自分が納得できる程度の見返りがあり、否定され傷つけられることがない、いつでも自分の都合でやめられて、やめても恨まれたり相手を傷つけることのない慰めの対価としての「金」です。
課金が過ぎて自己破産したとしても、「関係性」はない。
「なにもないけど慰められた自分だけ」が残る。


一方、性的欲望は「女にも性欲がある(そして妄想で充足可能)」を普及させはしたけれど、一方で、「性欲を伴わない様々な感情がある」はBL、百合という概念にとどまっています。
それらも結局のところ「性欲を伴う」へスムーズに移行できる。
つまり、「性欲を伴わない様々な感情のひとつ」として描かれた感情は、簡単に性的妄想に転化できるし、一般的に、多くは、その先の解釈として受け入れ可能だから。
そして、現実は置いてきぼりで、いまだに夫婦別姓も同性婚も認められていない石器時代。

結婚って法とか税に関する特典付き戸籍世帯支配だからさー
ただの制度だから
特典が欲しい人同士は性別とか、もう恋愛性愛に関係なく好意ベースでしていいと思う
そんで養子をもらって子供を育てる権利を与えればいいじゃん
親ガチャでハズレを引いた!
とか言われるより、養子縁組するだけの経済力や人品人柄があるか法でチェックするほうがよっぽど幸福率が高くなると思うよ
もうほんと、家族の絆で社会を守る!とか、竹槍で戦争に勝つ!と同じレベルの妄言だから


閑話休題 

カネがあればいいよ!めんどくさい貧乏くさいことやめようよ!
って考える事をやめた結果、貧乏になって考えることができなくなった今だけが残った。



世界の先を行っていたはずなのに、すっかり遅れちゃったね…

大島弓子先生は本当にすごい。

キューブリックの「2001年宇宙の旅」について

「私なら地上でやりますけれど」と仰ったそうです。

軽々超えていくなあ…




 

 

 

 思い返したのですが「クソデカ感情」という言葉がありましたね。
一部の人には「そういうこと!そういう感情!」と理解されたのかもしれないけど
私は全然違うと思った。まず言葉が汚いし、雑。少なくとも、大島弓子作品で描かれている感情は「クソデカ感情」で表現できるとは思わない。

わかりやすく表現したい、その模索は必要だし続けるべきだけど
粗雑で簡単な言語に落とし込んで満足するのは更なる「考えない」を生むだけじゃないかなと思う。






 

 

 

 

最近の眉毛兄弟

 

リアム・ギャラガー、新作にノエル・ギャラガーに捧げた曲があると語る

 

!!にやにやしちゃう……それでこそ!!!
ネブワース一人でできるよ、ってとこ頑張ってますね。


I Wish I Had More Power…


……

(おまえをどうこうできる)力が俺にもっとあればいいのに、ということ???

色々解釈したいので全リリック早く見たい。

 

 あ、ネブワースのドキュメンタリー面白かったです。
もっとひろく一族の面白さを知ってほしいですね!
「地獄に行け」事件とか。そこからが眉毛の醍醐味、マンチェスター泥んこファミリーの歴史。

スーパーソニック、AS IT WASと三本立てで、歴史の点と線をつなぐ上映会をしてほしいものです。

 

 

 

 

 

 

 

足跡姫と桜の森の満開の下

 

友達の友達(遠い)がWOWOWで録画してくれた野田秀樹さんの舞台を見ました。


実際の舞台でも見ているのですが、むろん、なまの舞台と比べたら冷凍の解凍のようなのですが、でもセリフや表情が何度も見られるのは補足として違う感慨を呼びおこします。

 

 

足跡姫 
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(宮沢りえ、妻夫木聡主演。18代目中村勘三郎への野田さんの思いがつまっています)

 

 

出雲阿国にとりついた「足跡姫」
製鉄所でたたらを踏み、刀鍛冶をし、それにより政治的迫害を受けて将軍を恨んでいる。
将軍の前で踊ることが悲願の姉とその姉を支える劇作家の弟

 


ラストシーン

「足跡姫はこの世の無限を蹴散らした。だから無限は死にました

代わりに無限に続かない命が誕生したのです…終わりのある命が誕生したのです。そうして命は終わるようになりました
おわり、お、あ、い」


「姉さん!!


……幕だ、幕を引いてくれ!


ここで幕が引かれさえすれば芝居になる! 
幕の後ろで姉さんはまたけろっと起き上がる! 偽物の死になる!
そしてまた明日も姉さんは舞台に上がる!


姉ちゃん…
僕たちは舞台の上にいなくてはいけない!
何度も何度も!
偽物の死を死に続けなくてはいけない!

だのに姉さんの肉体が、ゆっくり、ゆっくりと、目の前で消えていく
消えていくのが見える
そして消えてしまったものが見える
いなくなってしまった姉さんが見える

姉さんはこういうだろう

お前はまだ、なにもつくっていない! なにひとつ作っていない!



よし、だったら姉さんが大好きだった起死回生のすじを、
どんでん返しをつくってみせる!
そこで、姉さんを、生き返らせるよ
姉さんの肉体が消えて、ここで、女歌舞伎の一座も消えてしまうだろう
僕はこの江戸にとどまろう
とどまって、江戸中町広小路あたりに一座をつくろう
なんて名にしよう
……さるわか、猿若座をつくる
そして僕はその初代、猿若勘三郎になる
女歌舞伎は消えたけど、これは大興行部だ!

そしていずれその初代猿若勘三郎の肉体も消える

だが、消えても、消えたのに消えることなく、ずっと続いてみせる!
僕が掘った穴から、地球の反対側から、いづこの御国の故郷から、次々と現れる!
二代目、三代目、いやもっと、六代、七代!いいや、十二、十三、十四、十五、十六、十七、…十八!!!
少なくとも、十八代目までは!

はは、ごめんよ
また大向こうの嫌いな数字の話をしちゃったよ


でもそこできっと、姉さんのひたむきは生き返る
あの、無垢の板で出来た花道の先、
大向こうで、
ひたむきな心は、いきかえる…!

 

 

この長セリフを最後に言う妻夫木さん
インタビューで仰っていました。

 「今回は何か、花道がずっと続いていく感じが、毎日そういうものを感じながらやれていたんですよ。
遠くに何か、ずーっと続いていく何かがある
そういうものが見えていたような気がしますね」

このストレートな、十八代目勘三郎への思いと、舞台が、役者が大きな物語に繋がって花道をゆくような、それは華やかだけれども枯れたら残らない花の、死んだら消えてしまう舞台の道だけれど、心は生きて、繋がっていく、じぶんはそういう脚本を書く、それが勘三郎さんとの約束で、いやそういう簡単に言葉にできるものではないのですが


泣くよね。ただ泣く。


贋作 桜の森の満開の下

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(主演:深津絵里、妻夫木聡 坂口安吾の「夜長姫と耳男」「桜の森の満開の下」に飛鳥と飛騨の国争いと鬼門からやってくる鬼を交えて)

これも、表現者である耳男とミューズの夜長姫なのですが
「好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ」
この創作の厳しさよ

野田さんのインタビュー

「30年前はそこまで考えずに書いていたと思われるところを、ああなるほどこういうふうに解釈できるなと。例えば国をつくるためにはどういうことをしようと考えたのか、とか。自分なりに演出家として深読みは30年経ったのでできています」
「つくる、なににせよ、ものなのか国なのか、なににせよつくる、人間をつくるということに焦点を置いている」

「天皇の御幸と鬼の行列がクロスする瞬間
つまり自分たちが何かをつくる時っていうのは、必ず、作った人間ともう一つクロスするものがある、われわれがつくったがゆえにつくられないで土の下に籠ったもの」

 





妻夫木さんインタビュー

「あの人は言葉にならない何かを確実に演劇で表現しようとするんです
桜の森の満開の下で、たぶん、お客さん、すべて、理解できないと思うんだけど
その、涙の意味がちょっと、わからないんだけど、泣いちゃった、感動した
野田MAPの作品はどれもこれも全部そうだと思うんだけど
その感動の意味が分からない
言葉がないんですよね
説明できないんですよね
なにが素晴らしかった
それはもう、セットも、美術も、芝居も、表現、いろんなことの表現、桜だとか文化だとか全部素晴らしいですよ、やってることは
みんなが、つくり上げているのは人間なんだけれども
その中で生まれた感動の意味を事細かく言葉で説明しようとしてもできないんですよね
それってすごい、ですよね
説明できないんですよ、見たのに
59公演やった僕でも、説明できないんですよ、
実際、耳男を演じた自分自身も。こういうことで説明したんでしょって、そういう言葉自体が稚拙さと言うかなんだろう、本当に自分の小ささを思い知ってしまうし
うーん、なんだろうね
だからこそ、演劇はほんとうに、すごいな、芝居の力は、って
僕にとっては舞台の上で表現するってこと自体が、桜の森の満開の下にいる気分なので
野田秀樹っていうひとは本当に何を考えているかって僕は全然わかんないけど
やっぱ、天才ですね」



!!!
そう!そうなんです!
なんでかわからないけど心の鍵盤をかきたてられて暴かれて何に感動したのか感動なのかもわかんなくて、ただ、泣くんですよ!
いろいろあって、ただ最後は美しくて、美しいんだけどそれだけなわけがなくて
ただわけもわからず泣くの
演じている側もそうなんだ
そりゃボヤっと五、六回見ているだけじゃあたりまえですよね。
うん。

妻夫木さんはもう、お姉さんとおじさまに愛されます、それは
というゴールデンレトリバーの子犬のような謙虚なかわいさでした。


あと、天海さんの大海人皇子

古田新太さんが「身近にとびきりの王子様いた!」って
遠目でみても美しかったのに画面でアップでみたらフォルムが美しくて気品があってまあ王子様でした!



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 野田さんの舞台は私は2016年の逆鱗が初めてで、遅すぎて、高校生の時から見ていたという友達が羨ましいのですが、こどもの時は何が何だかわからなかっただろうなと思うと出会うべきものには出会う時期があると感じます。

出会うべきものに出会えるように、年を重ねられますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟(弟の誕生日)

 

9月21日はリアム・ギャラガー49歳の誕生日!

去年はこんなかんじでした。


毎年なにがあるかワクワクしておりますが、今年はなんと

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誕生日数日前にヘリコプターから落下!
(降りるとき転んだのでしょうか)

ワイト島フェスの後で起きたようです。

ロックスターらしい貫禄のステージでしたが、ボンへがいる!ってとこに目がいってしまいます。

 

ぶたれた犬のように痛々しい姿に、普段は面白がっているウォッチャーたちも仰天。
心配だよ!
頭と体が連動しなくなってくる年なんだから…
気を付けて、デビーやモリーからケーキとミルクもらえるといいね…

 

さて、誕生日当日


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恒例の、俺おたおめ! のあと世界中のみんなへ愛と感謝を

転んで顔を怪我するという大人らしからぬ事件のあと、大人らしいコメントです。
ちょっと元気なかったのかなやっぱり
その後も誕生日についてはひとこともなく。

誰も来な…いや! そんなことない! ママは電話くれたはず…デビ―も…

インスタにモリーのいいねもコメントもなかった

ただのウォッチャーでさえちょっとショックなのに…ほぼ自業自得とはいえ…
元気を出してください。





一方、ノエルお兄ちゃん

ステラ・マッカートニーの誕生日(9/13)パーティでポールとライブをしたそうです。

https://nme-jp.com/news/107304/

そしてリンゴには断られた。

「リンゴのラブ&ピースの世界にお前は入れないから。弟におめでとう言えてれば違ったかもね…。つくづくつまんねぇ男だな」

怪我をした弟が気の毒でウォッチャー辛辣度に拍車がかかってます。
大丈夫か、誕生日おめでとうって、いってあげてください。
知らないところで言ってると信じたいですが、希望的観測と妄想に過ぎないんだろうな…


ペダルをこぎ続けろ!

 

あと、8年ぶりの綺麗な満月の中秋の名月でした。おめでとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

METガラ 2021

 

Met Gala 2021が現地時間9月13日にオンラインライブ配信されました。
寝坊して見ませんでしたが、友人によると「司会者がうるさくて疲れた」そうで、編集されたいいとこどりを見るのが良さそうです。

リアーナはいつもスタイリッシュです。絵になります。スタイルがいい人のなかでもずぬけて顔がちいさい。

ビリー・アイリッシュはオスカー・デ・ラ・レンタのドレスでモンロー風。
毛皮を使うブランドとは仕事をしないと伝え、デラレンタは今後完全に毛皮の使用を中止するそうです。19歳でそういう影響を世界に及ぼすのがスターだなと思います。

アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員は「TAX THE RICH」
金持ちに課税しろ、と書かれたドレスを
(通称AOC、よく知りませんでしたが、このようなかただそうです。31歳
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5fa212dcc5b6c588dc96f620



そしてモデル兼女優のカーラ・デルヴィーニュがディオール・デザインの
「Peg The Patriarchy」と書かれた服を着て話題になりました。

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peg、知らんなってスラング検索したらワオ

ストラップ・オン・ディルド=ペニパンで女性が男性パートナーの肛門を貫くこと

Urban Dictionaryより

原文は

A term coined by sex advice columnist Dan Savage that refers to an act of love making that involves a woman with a strap-on dildo anally penetrating her male partner.:
Jennifer pegged the shit out of John last night; I bet he won't be able to sit down for a week.
 
そういう行為を一言であらわす俗語があるのに驚きました。
例文の「ジェニファーは昨夜いやというほどジョンをPEGしたので、彼は一週間は座れないでしょう」が強烈です。ジェニファーとジョンの私生活が気になります。
metro.co.ukの補足によると、この場合の女性はトランス女性ではなくシス女性(心と体の性自認が女性)とのことです。


Patriarchy は家父長制と訳されます。ケンブリッジディクショナリーによると

a society in which the oldest male is the leader of the family, or a society controlled by men in which they use their power to their own advantage
 
「最年長の男性が家長となる社会、または、自分達の利益のために力を用いる男性たちに支配された社会」


今回の場合は、後者の社会に「ファック!」ということかと解釈します。

英語だと服に書いてメッセージになるけど、日本語だと難しい。
ヤンキーの特攻服みたいに刺繍するとか…検索したら、あれ、ヤン詩っていうのですね。
特高服刺繍の店にサンプルがあって震えました。

「夢が無いなら魅せてやる
黙って俺について来い」

とか

「月の輝き背に受けて
今夜も爆音響かせる
闇夜を飾る華に成り闇の中へと姿消す
我ら闇の特攻天使」

とか
……

うーん、Peg The Patriarchy を漢字にするのは難しいです。 
ヤンキーのメンタリティってPatriarchy寄りですしね。
まあとにかく、ペニパンで権力糞ジジイどものアヌス犯るよ、と書いた服を着て堂々とできる世の中っていいです。むろん日常生活ではなく、メッセージ発信があっぱれとされる場だからですが。

フェミ嫌悪の人がネット上に数多く存在していますが(日本でも)
フェミニストという言葉がヘンな色をもっている気はするのですが、
基本的権利をもつ人間として敬意をもって相対しろというのは、年齢性別に関係なく当たり前ではないかと思います。
そして、何かのカテゴライズで踏まれている側がまずその足をどけろ、話はそれからだ、とある程度強い言葉を用いるのも、決して良い事とは思いませんがやむを得ないかと思います。
そうでないと届かない場合があるからです。

ただ、最終的に人間としてという話を常に性別その他カテゴリに矮小化する人と話しても、何の建設性もない。
それは双方向ではあるけれど、何らかの集団に自分を同化させ他者の尊厳や権利を抑圧したい人の気持ちはよくわかりません。何かが欠落しているからそういう方向に走るので、自己分析した方がいいのではないかと思います。
あと、よく出てくる表現の自由という言葉。
表現の自由を論ずるレベルに達していないのでは? 私はそう思いますが。
あいちトリエンナーレの表現の不自由展に何の関心もないのは、あれが美術として展示するレベルに達していないと思うからです。
議論以前の問題。
そこ、ちょっと考えたほうがいいのではないでしょうか。
何事も。これは議論するレベルに達しているのか。矮小な事象を口角泡で言い争うのは時間とエネルギーの無駄ですから、その価値があるのか。
でなければ矮小な事象レベルから一歩も先へ進めないのではないかと思います。



雑メモ
・アナルは形容詞なので、単体では使わないそうです。名詞はアヌス、副詞はアナリーなんですね。ひとつ覚えた(役に立たない)

・メトロポリタン美術館は公共性の高さからNY州が費用の一部(7%程度だそうです)を負担しているけど、運営は理事会による私立だから、メットガラという文化イベントで服飾部門の費用調達をしている。チケット価格は1枚約35,000ドル(約385万円)、テーブルを押さえる場合は、約275,000ドル(約3000万円)。ひぇー。


お金持ちは派手に楽しんでチャリティー出来て、デザイナーや有名人は宣伝できて見てる方も楽しくてお金が文化活動に還元される、いいイベントです。
 
 



 
 

我々はだいたい「農民出身」

 


ゴールデンカムイ、尾形から宇佐美への「農民出身の一番安い駒」煽り

についてですが、当時の身分制度はどうだったのでしょうか。

時代が明治になり、江戸時代の士農工商という身分制度は消滅しました。

華族(公家・大名)、士族(武士)、平民(百姓・町人 この中にアイヌも「旧土人」として含まれます)として、四民平等(士農工商を廃止し職業の自由を認める)を謡います。


つまり「農民」が揶揄されるのは、身分制が廃止され平等である以上、根拠のない明確な差別なのです。
しかし、連綿と続く身分制度がいきなり消えるわけはなく、えた・ひにんという被差別民への差別は現在まで延々と続いているわけで、であるならば明治は旧身分制が強烈に残っていたはずです。

尾形は、

自分は士族であり、農民出身のおまえとは違う

といいたいわけです。なぜなら、誰もお前を愛してくれなくて不貞腐れて逆恨みしているんだろ、お前も駒なんだ、わきまえろ、と言われたからです。
そんな陳腐な安っぽい発想しかできないお前は所詮農民だ、とバカにしているのです。

さて、では江戸時代の身分制の割合はどれくらいで、士族はどれほどレアだったのでしょうか。


どうやら士族は総人口の7%だったようです。

江戸幕末の頃の日本の総人口は、約3,200万人といわれていますが、そのうち85%が農民、武士は7%、町人5%、公家・僧侶等1.5%、えた・ひにん1.5%だったとのことで

江戸時代の税制や社会保障
https://manetatsu.com/2018/07/133520/

明治政府による新しい国づくり
https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/shakai/meiji/08_meiji_mibunseido.html

 

85%の農民の年貢(米)によりほとんどの国費が賄われていたわけですね。すごいですね。

で、ということは、身分を超えて結婚が行われ純粋に血筋が士農工商という人はほぼいなくなるわけですが、結局、現代の我々のほとんどは農民出身、ということです。


それで、近代西洋教育をちょっとやってすぐ軍国主義になるでしょう。
敗戦後には「昨日までが突然ひっくり返り、信じられるものを求めた」結果、ものづくりで高度成長するけど、過程が面倒になって近道して大事なものをさっさと見失った果てに拝金主義が横行する。

まともな教育を受けてきていないんだよね。

個である人間に関する体系的な教育や思想の歴史がないんだよね。
大昔からあるのって、人間も自然の一部(ものすごく高度な思考だけど、明治になって表面西洋思考で台無しに)であり、本居宣長的な「流れに身を任せよnearly長い物には巻かれろand寄らば大樹go to 諸行無常」でね。人任せなの。自分で考えない。臭い物に蓋、大きな声とエラい人に無条件降伏、黙って死ぬ、死んだらやっと敬われる。

だから仕方ないんだな、って思いました。


7%って、現在、「上級国民」といわれる人と同じパーセンテージだそうです。
新撰組が人気があるのは、「サムライ気取りの農民のトップクラス」だからです。
実際のサムライって、江戸時代に刀を振り回して人を切ったりするより、剣道して、あとは文官ですよ。役所の役人です。公務員です。


サムライとかなんとかいってるけどさ~~~

おれたち85%は農民出身だからね! 
サムライ気取りの農民ですよ、全然サムライじゃないし、貴族でもないよ。高貴さも教養も思想も克己も道義もない。そんなものを持つだけのベースがない。
なにかを盲目的に信奉して従属したがり、性的な妄想が激しく、己の価値観を否定する他者に異常に暴力的になる。宇佐美だから、ほとんど。


そこから逃れるためにはどうすれいいのか、考えないとね




(現代の一次産業に従事する人の事を言っているわけではないです。当たり前だけど。江戸時代に被搾取階級として農業に従事していた身分制度における農民の話です)





2021.9.17追記

日本の高等教育率って高いはずだよね、と思っていたのですが調べたらそうでもなかったので保存

 

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 日本では大学へ進学しても目標がないし、最悪有名大学とか名前だけゴールだったりするし、それなら職人になるとかのほうがずっと崇高ではあるけど(ドイツはマイスター制度があるから大学枠が低いのだろうと思う)

 

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https://www.pewresearch.org/global/2021/09/14/in-response-to-climate-change-citizens-in-advanced-economies-are-willing-to-alter-how-they-live-and-work/

ピュー・リサーチ・センターの、気候変動を深く懸念している先進国市民の割合、日本だけが2015年から大幅に減少。
驚きです。
社会民度の劣化がひどい。
気候変動はデマだとか…いや、確実に暑くなっているの体感でもデータでもわかるし極地の氷溶けたりしてるし、エビデンスがあっても、実際体感しても見ないふり…
もう怖い。

 

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟

 

ヒストリエは完結するのでしょうか。

ハンターは諦めているけど、ベルセルクのように作者になにかあったら…

などという不安の一方、

眉毛兄弟はもう再結成も仲直りもしないだろうけど、いいや!

 

という気持ちにさせてくれる眉毛(主に弟)

やりたいように生きていますから、犬ですから
こっちがどう思おうとGO ONです。

 

さて、元オアシスのドラマーであるトニー・マッキャロルが心臓発作で入院しました。

もう50歳ですから、心配ですよね。

 

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窮地を脱し、周囲の人、国民保険サービスへ感謝を述べるトニーへ、ハートマークつきのラブメッセージ。

 

そういう絵文字、お兄ちゃんにもボンへにも使ったことないよね!

 

そういえば、レディングにボンへ出てましたね。なんの言及もされていなかったので、気づかないところでした。

 

 

そしてリアム、リーズのフェスで、チャーリー・ワッツにLive Foreverを捧げていました。

紳士で、エレガントだったチャーリー、多くの人に悼まれています。
気骨があってこそのスタイル。ほんものの英国紳士でした。

 

 

 

メタリカのラーズ・ウルリッヒの追悼コメント

https://nme-jp.com/news/106441/

ウルリッヒ氏の言葉はいつも視野が広くて知的で敬意があります。

 

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟(弟)

 

娘モリーのインスタに久しぶりにコメント

GO GIRL

早速、よその人に「彼女はあんたよりロックだよ」とコメントされました。
でもめげない。「おれはそこまでうぬぼれてないよ」
肝心のモリーにはスルーされるところまでが、ウォッチャーにやにや案件です。

 

ユーロ2021でサッカーの事ばかり言っていた眉毛の弟、
東京五輪ではBMXを見ていたようです。

「犬だから走るものが好きなんだよね」
「それは仕方がないよね。追いかけちゃうからね」

ウォッチャーたちはそもそも誘致から反対ですし感染拡大のなか運動会で感動するメンタルも持ち合わせていないのですが、楽しんでいたのならそれはそれで、よかったです。
外国にいたら他人事だしね。


2021年8月17,18日に、ロンドンのO2アリーナで国民保険サービスの医療従事者に向けたライヴを行ってライヴ復帰を果たしたそうです。

https://nme-jp.com/news/105995/

無駄口叩かず、ミュージシャンの出来ることを真っ当にやってるね!どこかのお兄ちゃんとはちがって。えらいよ」

去年の米国大統領選挙のとき、メタリカが政治的な発言をいっさいせず、ずっとやっているフードバンクとスカラーシップの活動を黙々と続けていたことを思い出します。リスペクト。
声を上げるのも大切。
自分ができる事をするのも大切。
すべきことはひとつではありませんが、とにかく選挙にはいこう。以上!

 

今後もフェスの予定が続くようで、英国はワクチン接種がスムーズなものの、一時下がった感染死者数もデルタ株により増加しているのですが、普通にモッシュなライブ会場です。
米国のGDライブ映像を見ても、ノーマスク満員。

日本政府のコロナ施策の評価について、数字(全然信用できないが)とかワクチンとか、結果として現場の頑張りでうやむやになっていくんだろうと思うけど
人として無礼だろう、という一点において私は許さないし評価しません。
市民をなめすぎだろう。心がないんだよ。
結果じゃない。姿勢の問題。

あと、やたら自己責任などという人々がいますが、
あなたは何の責任をどう取れるのか、自己責任で温暖化を止められるのか。
傲慢です。あなたも私もそれほど大したものではない。

私は自己責任論を思考停止したい愚者とその愚者を利用したい人の相互補完だと思っているので、勝手にやってろって話ですが、こっちを汚染してくるなと思います。

でも眉毛は自己責任でやってるよね。
デビ―にも「彼が批判されるのは自分の責任。あさはかで衝動的だから」って言われていたし。批判も自己責任として受け止めるのならまだしも、叩かれたらリンチだとかいうの、本当に筋違いです。











 

 

 

 

松浦武四郎と北海道

 

アイヌ民族の歴史(山川出版社)

を読んでいて「松浦武四郎」の名前が出てきて、あ、聞いたことがあるなあ、友達が詳しかったな…と思って電話したところ

遅かりし由良之助!!!

 

って言われました。爆笑。
※「仮名手本忠臣蔵」で大星由良之助が塩谷判官の切腹に間に合わなかったのをふまえた流行語。由良之助のモデルは大石内蔵助。(うろ覚えを改めて調べた)



松浦武四郎は、三重県出身の幕末の探検家です。
国を憂いて探検家になったというすごい人です。
北海道の名付け親として知られていますが、そのほかにも多彩な才能、趣味教養が深い人でした。
絵が上手くて文化人で、晩年に旅した全国の霊社から集めた木材で一畳敷という書斎をつくりました。
一畳敷は国際基督教大学に移築保管されています。
https://www.icu.ac.jp/about/campus/takeshiro.html
特別な期間にしか公開されないのでなかなか見る機会はないです。

「三重にある武四郎記念館はすごくいい。一畳敷も再現されているし、アイヌ語から聞き取った地名を記載した北海道の地図もすごくいい。ただ行きにくいんだけどね…立地が」

※令和四年四月下旬まで改装工事のため休館

takeshiro.png

確かに絵がうまい!どうぶつかわいい…

 

「武四郎が旅の途中で描いた野帳がいいんだよー。携帯用のキセルみたいな墨と筆のセットがあってね。野で用を足すと藪蚊に刺されて命がけみたいな

北海道の名付け親、と呼ばれているけど、アイヌ語で語源がちゃんとあるんだよ」

 

「加伊」は、アイヌの人々がお互いを呼び合う「カイノー」が由来で、「人間」という意味です。
「北加伊道」は「北の大地に住む人の国」という意味であり、武四郎のアイヌ民族の人々への気持ちを込めた名称でした。明治新政府は「加伊」を「海」に改め、現在の「北海道」としました。(松浦武四郎記念館ホームページより)

 

しらなかった~
ネットで情報をチョロッと調べるより、本を読んだり詳しい人に話を聞く方がずっと深い。当たり前だが。一時間くらい語ってもらいました。武四郎まつり。

友達はかつて武四郎の展覧会にかかわり取材して本を作ったことがあり、
松浦武四郎には思ったより相当の思い入れがありました(そこまでとは知らんかった)
(幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 (LIXIL BOOKLET)  
https://www.amazon.co.jp/dp/4864807094/ref=cm_sw_r_tw_dp_STA27WRWW6A7HAD7C13V)

 

NHKで松本潤が主演の武四郎ドラマをやった時、参考にしましたと連絡があったものの、内容がトンデモで、関係者と「あれはないわ。深キョン?恋愛?そんなの武四郎の人生に入る暇ないっつうの!」と憤ったらしい。
うーん、ドラマはドラマだけど、うわべだけ素材として使うのは確かに浅知恵すぎるよなあ…

 

とりあえず、松浦武四郎記念館にいきたいです。
いつ行けるのやら、この東京地獄を逃れて。来るなって言われそうだしなしばらく。

 

 

 

 

 

フェイクスピア(東京芸術劇場)


大々的にネタバレの感想
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脚本・演出: 野田秀樹
出演: 高橋一生、白石加代子、橋爪功、野田秀樹
衣装: ひびのこづえ

 

6/16昼、6/29夜、観劇しました。1階席のかなりいい場所だった!ありがたい。
チケットは二人で12回分申し込んで2回当選だったので、前より当選率が高いかもしれません。
コロナ状況で控える方もいらっしゃるのでしょう。


さて、

見終わって


「ありがとうございました…」
「ありがとうございました…!」


それしか言葉がない。二人で泣きながらアンケートを書いたよね。二回。計四枚。
伝わってください…我々はSNSで簡単に語れるタイプじゃないから、野田さんにだけ伝わればいいから…


二回見てもまだ全然野田さんの思うところを受け止め切れていないと思うのですが、できる範囲で感想を記録します。

  • ジョージ・バークリーの「誰もいない森で倒れた木の音は存在しないのか」で始まる。倒れる木と(言の)葉。言葉と声というテーマの提示

 

  • 白石加代子様登場。憑依女優はかつてイタコ修行をしていた。恐山のイタコではなく恐山にいた子、にしかなれなかった。それを野田さんが舞台にしました、というメタ的発言

 

  • イタコ修行中の白石加代子(元演劇部)のところへやってくる橋爪功と高橋一生による、「誰を呼び出してほしいのか」からシェークスピア劇憑依。高橋一生の女性役雰囲気ある。

    「娘三人に遺産相続」「嫉妬で妻を殺した」「妻にそそのかされて主君を殺害」こういうキーワードでリア王、オセロー、マクベスとわかるのって常識なのか教養なのか。観客の多くはわかって笑ってたけど、もしかして知らない人にとっては??なのだろうか。
    そして「わからない」という恥が怒りになったりするんでしょうか。関係ないけど後述

 

  • 高橋一生は「神から言の葉を盗んだ男」で、言葉の箱を持っている。神の使者から追われている。橋爪功は元演劇部の地下鉄職員。なぜだれを呼び出してほしかったのか自分でも分からない。

 

  • 神から盗まれた言葉は「死」。プロメテウスは火を盗んで人間に与えたが、高橋一生は江戸っ子だったので「ひ」が「し」になってしまったという言葉遊びが野田さん

 

  • 死を奪われた神は不死になり、言葉を失って不在になった。人間は死を知らねば誰もいない森で倒れる木と同じ。何時何分に死んだと認識しないひまわりと同じ。死んだことに気づかなければ死んでいても死は存在しない。

 

  • シェイクスピアの息子、フェイクスピア(野田秀樹)登場。ラップとダンスの切れがすごい。
    言ったもん勝ち、書き込んだもん勝ち、それが今の言葉の価値🎵
    そんな人間に言葉ってもはや必要なのだろうか??

 

  • シェイクスピアの四大悲劇のうち、(読んだ?悲劇、呼んだ?悲劇)まだよばれてないのはハムレット(ここ重要)

 

  • 星の王子さま(前田敦子)登場。本当に大切なものは眼に見えない。だから盗まれた言葉は声である。声は発せられたら空に昇って消えてしまう。


  • イタコ憑依をトランジットに例えたり、サンテグジュペリの夜間飛行など


もうサッとネタバレしてしまうのですが、

高橋一生と橋爪功は親子です。

橋爪功が子供の頃、若くして死んだ父親が高橋一生です。
そして、地下鉄に飛び込もうとして、隣の人に先に飛び込まれて出来なかった息子のために、「言葉」を伝えようとやってきたのです。
神から言葉を奪い、人に死を与えた高橋一生は息子から「子供の頃、家にひとごろし、と叫ぶ人たちがきた」と思い出を語られる。

箱をちょっとあけて出てくる言葉

「どーんといってみよう」

「頭を上げろ」(これは高橋一生が登場時から言っていて、何この人っておもわれているんですが)

「気合い入れろ」

「がんばれ、がんばれ」

 

「これ何!? こんなんで死ぬのやめようとか思う??」(息子=功)

 

知っている人はここでピンとくると思います。

1985年(​昭和60年)8月12日、日航ジャンボ機墜落事故です。

 

 

 

 

 

イタコ昇格試験で、最後のチャンスにかける白石加代子は、橋爪功の父親を呼び出そうとします。

彼女は死んだ母に会いたくてイタコ修行をしようと思った。
だけど自分に母が乗り移ったら、私はいなくなって、母は私を抱きしめることができない。

だから、演劇部の同級生だった橋爪功(タノ、という名前。タノ、しんで?って昔いい合って笑った、といいます)のために、イタコになれなくてもいい、いま、お父さんを呼び出してあげたい、と願います。

 

言の葉の箱がひらいて、言葉があふれ出します。

墜落していく飛行機のなかで、パイロット、副操縦士、CAが、沢山の乗客を乗せて何とか、生きようと、機体を持ち上げようと、命を救おうと、

「頭を上げろ!」

「ダメです!」

「スコーク7700!」

「ハイドロプレッシャーオールロス!」

「あーーーーっ」

「がんばれ、がんばれ!」

「どーんといってみよう」

「気合い入れろ!」


叫びながら必死で、何とかしようともがく。
人間の力ではどうにもならない、大きなものの前で、あがく。
その孤独、無力、でも最後まであきらめない。

ポールを掴んで、キャスター付きの椅子で、コックピットと乗客が上下する機体の中でバラバラになり、また何とか戻って一つになろうとする演出がすごい。
こんなシンプルな表現で、ジャンボ機の内部と混沌が伝わってくる。

そして18時56分30秒、人は、死んだことを認識しないひまわりではなく、森の中で倒れる木の音のように、言の葉を散らして墜落するのです。

 

 

父が届けたかった言葉を息子は抱きしめます。

 

「頭を上げろ」

「頭を上げろ」

 

生きろ

 

 「タノ、しんで、」

死んで、ではなく、楽しんで

橋爪功と白石加代子が二人並んで終幕。
二人の名優の「生きろ」という言葉を背負い、発する重み。

※あとで確認したら、「生きるよ」でした。そうだよね…生きろじゃなくて、生きるよ、なんだよね…未熟な記憶め…


もう途中からわけもわからず涙がとめどなく流れて、野田さんの舞台はいつもそうですが、感動や悲しみや、なんとかの名前をつけられる類の、エモーションではなくて、もっと、違うところにある人間の何か。私はそう感じますが、たぶん感じない人もいる。それはちょっと人それぞれという話ではないと思うけど置いておいて

 

日航機墜落事件を扱うことを、不謹慎と捉える人もいるらしい、と聞きました。

でも、そんなことは野田さん自身が一番わかっているんです。

なぜなら、シェイクスピアの息子、フェイクスピアに野田さん自身が扮しているから。
現実を弄ぶフィクション=フェイクだと自分自身を位置付けているから。
演劇の神様のバカ息子、フェイクスピアだと自ら称し、ノンフィクションをフィクションでフェイクにして弄ぶ、させてたまるか、という星の王子さま(キャラクター代表)
でもなお、言葉によって伝えたい、悲劇を悲劇で終わらせずにはいられない、と言っているからです。
ちゃんとセリフで言ってるよ!
それがわからないのはちょっと、それこそ言葉が必要ない類の人間ではないかと思う。

そして、題材ではなく、もっとその向こうにあるものを見ようとしているんだよ。
優れた表現というのは、美術でも音楽でも小説でも、そういうものでしょう。

例えば、声になった言葉は消えてしまう、残らないというのは演劇、舞台に一生をかけている人の「残らないものを紡いでいる」気持ちでもあるのではないかと思いました。

神から奪った生、
神から与えらえた生

神は紙で紙から奪われた言葉という声は、一番大切な目に見えないものかもしれない。
でも目の見えない人にとっては見えないのが当たり前。
声があれば、そこに人がいる。
墜落事故で失われた肉体に残った声を、「頭を上げて生きろ」へ舞台へと変化させて描き出した野田さんの言葉を、受け止めていきたいと私は思うのです。

 

 

 ろくでなしどものぼやき

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