2019/05/20
何度読んでも削られるからアニメで初見の人はこれから大丈夫かと心配になりますが。
同僚のお子様がブチャラティゾンビ宣言にえっ?どういうこと??と混乱していたと聞き
原作貸すから今すぐ読んで!
そなえて!
これからのすべてに!
大丈夫、きっと優しいもしもの世界があふれるから…それでも消化できなければ
イマジン創造してごらん?…自らの妄想を…めちゃくちゃでも誰にも見せなくてもいいよ…
癒されるよ…直接脳内に語り掛けています
大体小学生くらいであれ? 自分オタクでは?って気づくよね
何かが好きというだけでなく、自分で捏造改変し、ドリームピクチャーとかドリームテキスト書いちゃうの。
以前から社内でジョジョを布教しようと原作を貸しまくってるんですが、20~50代の人がみんな自分の漫画をお返しに貸してくれて、面白いです。世代間文化交流。
漂流教室とか、クリスタルドラゴンとか。ナルト全巻を宅急便で貸してくれた人も。穏やかな紳士だと思ってたのに、マガジン系ヤンキー漫画とか。「特攻の拓」のセリフまわし面白い。古い漫画に比べると最近のはさらっとしてるな~と思えば、イノサンとか、傾向違いで濃いのも。
一番オタク素養がありそうな先輩に「どのキャラが好きですか」と聞いたら
「康一君かな。一番使える」と言われ、そこぉ!? うん、違うタイプのオタクだった。論理的なほう。
そして返されるとき大体「5部の最後からスタンドが複雑になりすぎてわからない」と言われる。考えないで!感じて!
原作ではトリッシュに敬語でもないのに、妄想だとずっと敬語になってしまうのはなぜかなと思ったのですが、
写真家のダイアン・アーバスに批評家がボッカッチョの「デカメロン」の一話を例に
「愛の欲望が愛の失望へのおののきと絡まりあって、最愛の対象に近づきたくて近づきたくないという分裂した心情を生む。自分を突き刺し、存在を現実に留めてくれる相手の元へ急ぎながらも、近づくほどにその歩みは遅く、遅くなる。アーバスの正方形の画面は、対象へ急ぐほどに遅くなる分裂した愛の画面だ」(所々省略)とあらわしていて
近づくほど近づきたくなくて永遠に届かない(緑色の赤ん坊みたいに)ってことですけど
存在を現実に突き刺すというのはつまり、恋をすると万能ではいられなくなり初めて現実の世界を認識するということで
だから恋をして大人になるって言われる。
両想いでも届かないところがある、大切に抱きしめても全部が自分のものじゃない、現実に向かおうとしながら妄想の中に陥る、それでも歩み続けて痛みに近づこうとする、そういう捉えられない恋の永遠性というのが好きなんです。
なので近づくほど距離感を持つというのがジョルノの敬語の理由なわけです。
たかが言葉遣いひとつにこの面倒くささ。
後で自分で見てくびり殺したくなると思います、きっと。
ぶちゃじょるとりはプッチ兄弟にも似ていて
何故であったのか運命を考えて変な方に走って弟と殺し合うのがプッチ(好き)
よかった、じょるとりで
ジョルノも兄弟いるけど出てこなくてよかった