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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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進撃の巨人 最終巻

 

 

たいへん個人的な感想などなど

 

 

まず諌山先生、11年7か月に及ぶ連載お疲れ様でした。完結おめでとうございます。
素晴らしい作品を読ませていただいて、色々と考えさせられました。
本当にありがとうございました!

 

34巻

加筆凄かったですね。ミカサの頭痛とか色々あるけど、ラスト追加で、ええっ!!
となりますよね。

エレミカで終わったのにジャンミカ(の可能性)!?


こいつぁ強火のエレン推し、エレミカ層が炎上するのでは…
ですが、割合と近視眼的に終了した本誌より、俯瞰で終わり再度ループになっていくという歴史感覚は個人的によりよい終わり方だと思います。
ミカサが最後までマフラー巻いていたのが、鳥は攻撃してくるかもだけど肩や手を支えてるのがいいジャンきっといろいろあるジャン、でも包容力あるジャン…
ふざけてる場合ではないですが、それもいいではないか…というか結局誰と誰がくっついたとかそういう話になるか!? うんまあ…

最終巻で急に「ミカサの愛」が「ユミルの愛」を解放する、という展開になって
それまで家族、友人、上司部下、その他人間同士の愛情に対して恋愛要素は等価だったところに結構がっつり「(男女の性)愛」がぶっこまれてきて、戦争や差別や憎悪や殺し合いや人類の愚かな過ちの歴史といったシリアスなテーマをどう決着つけるのかと思っていましたが、

そういう愛って飛び道具出されたらそりゃもう何も言えません


そこが王道に少年漫画っぽくて賛否両論もあるけど良かったと思います。まあでも、ここまでジェンダーレスな世界観を構築したならなにも男女愛にする必要もなかったのになあ、でもハンジさんが公式性別不明だからいいか。
エレンがミカサ大好きすぎて驚きでした。
こんなツンデレみたことありません。いつから誤魔化してたの?この駆逐ボーイが。

 

エレン、もう一度質問させてくれ
「君のどこが 自由なのか」って
そこから引きずり出した後…

 

33巻の終わり、アルミンが、君のどこが自由なのか、と問いかけました。
エレンは未来を見ること、始祖ユミルの意思に触れることでミカサの選択がもたらす結果に行きつくために進み続けた。仕方がなかった、というエレンはあんなにも自由を求めていたのに、知りすぎたことであまりにも不自由な場所に来てしまった。
だけど、それがなくてもこの世を平らにまっさらにしただろう
「何でかわかんねぇけどやりたかった、どうしても」
というエレンの「自由」

友人たちを英雄にするために殺戮者になった、というのは虐殺の理由としてひどく生ぬるく疑念を覚えるけれども、それがなくても「どうしてもやりたかった」というエレンはやっぱりエレンでした。

最終戦で歴代の「九つの巨人」が出てきたとこ、ナルトを思い出したよ
歴代の影たちが敵に!みたいな。俺たちの味方になってくれる!とか

巨神兵の火の七日間に飛ぶ救い手はナウシカみたいでした。

ミカサがエレンを誰よりも思いながら殺す選択をすることが、二千年にわたる呪いと殺戮の歴史を終わらせる。
二人だけの隔離された幸せな世界にいる事を拒否して、残酷な世界に残酷な存在としてあることを選ぶ。それはより深い愛情をひらくことを意味し、世界とつながり、続いていくことを意味する。
壁の中、という具体的にも象徴的にも閉ざされた場所から広い世界へ全員が出て行って、そして人はまた同じ間違いを繰り返し、でもそれが歴史で、その中で一人一人が生きている。
陳腐な結末といってしまえばそうかもしれないけれど、わかりやすさを選ばず12年間本気で真正面から紡がれてきた物語の力は陳腐を普遍に変える力がある。と思いたい。それは読者の消化の仕方や経済的搾取のされ方によるので、今後、キャラグッズ的な消費のされ方をしていくのだとしたらかなり残念です。

ただ、34巻は終わらせるための蛇足といった面が感じられて、物語としての思想やテーマは32、33巻あたりの、人類虐殺に進撃するエレンを止めるために、マーレとエルディアの壁を超えて進むアルミンやコニーやジャンやピークや、「正しいと信じる事」の為に「正しいと思えない事をする」葛藤、マガトやキース、ハンジさんの「葛藤しながらも進む未来に、後に続くものたちの為に礎となる」部分が頂点であって、34巻のエレンとミカサの話は正直些か作品を矮小化してしまったなあというところはあると思います。
矮小化とは何かといえば、「世界は残酷だ」に対する回答が「だが世界は美しい」であり、人間が残酷でありながらなぜ命や自然の美しさがわかるのか、というのは人類が数百世代を超えて持っている力と謎のひとつであって、人同士の愛情や絆はそのうちの一つにすぎないからです。
それが賛否の否の部分だというのはとてもよくわかります。
わかるけど、漫画という媒体自体が諌山先生が表現したい事」において最適でもあり不適でもあったのではないかと思います。そのへんは個人的な考え方なので以下に


 

 

 

 ついでの話

 

進撃の巨人第一巻が出たばかりの頃、中学からの偽兄弟(オタ友)が
「すっごい、怖い漫画があるの知ってる? 巨人が人を食べるの。絵が怖いの」
と教えてくれたのが昨日の事のようです(大げさ)
怖いとしかいえない漫画で、巨人のビジュアルのある種精神異常的な怖さ、壁の中に閉じ込められ出たら喰われる。その閉塞的な恐怖は、確かに2000年代の予兆を掬い取るものだったような気がします。

伊集院光がラジオで「すごいって周りでも騒いでるけど、確かに面白いけど、でも10年経って巨人の謎とか明かされてきたら、あれ?俺ら騒ぎすぎじゃなかった?って思うんじゃないか」と言っていたのを覚えています。

騒ぎはしなかったけど、新しいな、すごいなと思って読んでいて、
途中二回くらい読まない時期があって
一度目はアニが巨人でユミルが巨人でライナーたちも巨人でクリスタは王族で、って

みんな同級生って世界が狭すぎるだろ!どんだけ中二設定!?

と思ったとこ、その後エルヴィン死亡やエレン巨人化の秘密あたりでまた面白いなと思ってから、巨人は人間兵器でしたとマーレ編に入ったとこです。

描きたいことは凄くよくわかりますし、その志の高さも尊敬する。
でも、漫画という媒体は世界の矛盾や戦争や対立する正義の回答のない複雑さを真正面から取り上げるのには向いていないんです。最大公約数の共感に対して通りのよい情動がなければならない。読者を納得させる形で終わらねばならない。落としどころを見つけねばならない。ゆえに浅くなってしまう。だから、あー、なると思ったけどなっちゃったか、と思った。

漫画は絵も話も単純化することで成り立つ表現です。
だから素早く多くの人にアピールする一方、本当に複雑なテーマにはあまり向いていない。
荒木飛呂彦先生が、四部の仗助も父親がいない事の葛藤がある、そういうエピソードも頭にはあったけど、話のスピード感がなくなるので省略した、とおっしゃっていましたが、どこまで省略して言いたいことを伝えられるかが作者の腕の見せ所だと思います。

例えば、書籍「夜と霧」や映画「アンダーグラウンド」のような戦争と人間に関する深い作品世界を漫画で表現できるかと言ったらできないと思う。
その代わり、漫画には漫画にしかない心理表現や荒唐無稽な物語表現ができる。
絵と話を空間でつなぎ合わせ、行間、想像の余地を持たせて、表現しきれない部分をカバーする。特に心理描写にすぐれているので、感情表現による共感を描くのに適した表現方法です。
エモーショナルな表現が過多になり、それが読者の共感を得やすいのは、思想がなく狭く単純化された世界では最終的に感情しか訴えるものがなくなってくるからです。


閑話休題

社会や歴史における人間の複雑さを描く作品としては手塚先生の「火の鳥」が最高峰だと思うけど、手塚先生ですら超越的火の鳥という存在を通して、しかも完結させることができなかったわけで、凄く難しいのですが、その困難に諌山先生が自らの信じるところに従って挑戦し描こうとした事は本当にすごいです。と、いうところで最終巻です。
めちゃくちゃ漫画的に終わらせてきた!
これはこれでものすごい着地で、そんな高いところからそんなところにって空中でどんだけ回転して高速で斜め上に降りてきましたかってもうスタンディングオベーションです。


2021.7.12追記
手塚先生の「アドルフに告ぐ」と「火の鳥」を再読して、上記の未熟な内容をお詫びします。火の鳥、すごすぎる。手塚治虫は漫画の枠を普遍の芸術作品にした日本というより世界で類のない作家です。
私の言いたいことは松岡正剛さんがこちらで余すところなく語ってくださっています。

https://1000ya.isis.ne.jp/0971.html 

 特にこれ!と思った部分
・手塚治虫はゲーテであってドストエフスキーであって、アレクサンドル・デュマである。つまり文豪だが漫画家に対して文豪に類する言葉がない。手塚治虫の為に新しくその言葉がつくられるべき。

・「愛」「罪」「悪」等々のテーマは文豪以外にとっては陳腐か恥ずかしいもので到底扱えない。それが文豪の手にかかるとほかのすべてを含んでよどみなく永遠に見える。

・悪が多く、善は見つかりにくい。火の鳥における普遍において、「読者は自分の共感や反意を登場人物にも託せず(なぜならすべての登場人物はすでにその感情と意識を描き切られているから)、といって自分の内側にも行けない(なぜなら読者の内側よりずっと大きな意識のドラマが描き切られているのだから)」ので作者に意識が向いてしまう。
「そこを凡百の通俗作家たちは善ばかりを終盤に残して、ドラマを消費財にしてしまうものである」


これはすごい、自分が何となく思っていたことをずばり言葉にしてくれています。
そして意識を内側に向けられない人はどんな作品でも消費財にしてしまうのだと思います。
さらに

・「つまりはこれは至芸や名人芸というもので、ワイドショー的なるもの、糸井コピー的なるもの、吉本お笑い的なるもの、パパラッチ的なるもの、そしてアンニュイ的なるもの、アンチ芸術的なるもののいっさいと、激しく対立するものだったのである」

つまり大衆的流行物・曖昧な情感やセンスやエモーションと本質的に真逆の古典芸術的な方向を向いているし、それ以外にできないということでしょうか。
文章を読んでこうだと思った事を再度言葉にするのは難しい…
手塚治虫先生の偉大さはまだ全然、自分のサイズでは難しいです。
死ぬまでに読み返しながらもう少しずつ大きくなっているとよいのですが。

 

 

 

 

ミネアポリス美術館展

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サントリー美術館の「ミネアポリス美術館  日本絵画の名品」展を見に行きました。

前売り券買ってたのに緊急事態宣言のせいで…
都内の美術館は去年の四月の段階で人数制限、検温、消毒、会話の制限、それらへのスタッフ監視、できること全部をやってるんです。
愚策を繰り返し、美術館に行くこともないどこかの国の政治家は知らないのだろうが、上から施し営業許可みたいなこと言ってんなよ。
怒りで眩暈がしそうですが、現場の方が耐えておられるから…

外国の美術館と交渉し、契約し、美術梱包、保険掛け金算出、輸送に開梱に図録出版キャプション展示デザイン、…等々、コロナもあり更に条件が厳しくなるなか企画を進めていたサントリー美術館の方の気持ちを思うと、本当に腹が立つし、軽々しく中止とかさせて、しかも感染拡大五輪はやるとか、知能ゼロ通り越して狂気邪悪だと思うけど、現場の方が耐えておられるから…

一企業であるサントリーが身銭を切って文化活動を行い、殿下の街からお招きしてくださった名品たち
感謝しかありません。
もっと、ウイスキーが飲めたらな。
サントリー山﨑工場、武蔵野工場のビールウイスキー試飲見学も最高なので、
山﨑から大山崎山荘美術館、武蔵野から府中市美術館の一日お散歩デートコースもお勧めです。


さて、日本美術の名品、作品は16世紀の室町・戦国から江戸・明治、近現代まで多岐にわたっています。
ミネアポリス美術館では近年日本美術のコレクションが数倍(細かい数字を忘れた)になっているのだそうで、関心の深さが伺えます。

まず狩野派の作品が多いですが、私は狩野派があまり好きではないというか、世襲とか派閥で美術をやる人は基本へたと思っているのであまり。
なかでは清原雪信の絵がいいなと思いました。狩野探幽の一族で女性。上手。

一番素晴らしかったのは作者不詳の武蔵野図屏風。17世紀。
近くで見ても遠くで見ても違う様相で、マチエールの立体感や、背景がもうアブストラクトで、緑の草の表現、花の表現が大胆かつ繊細で密度が非常に濃い。気品がある。

友人が「これが見たかった」と言っていましたが、確かに見たくなるなあ。
図版ではちょっと、わからないです。
図版や画像では本物の質感や密度が全然わからないので、現物を見ないと見たことにならないんですよね。
ボッスの「快楽の園」を楽しみにプラド美術館へ行ったのですが、実際に見たらベラスケスが圧倒的で。
ボッスはわりと図版通りなんです。だからあまり面白くない。


若冲。もてはやされすぎだと思う。
若冲の絵はフォルムというかデザインなので、結果として商業美術的要素が強いんですよね。
そして芸術はみせものではないから。
「佐藤可士和と本質的には同じだよね」
凄いこと言うな。でもそういうこと。


浮世絵や現代になってくると、いささか大衆的で美術としてつまらないなというのは和洋共通です。

美術の名画と言われているものの良さがわからない、という人がいますが、
そういう人もアニメや漫画の絵の上手い下手は分かると思う。
沢山見ているからです。子どもの頃から身近にあってたくさん見ていると自然に評価軸というものができる。
だから昔の美術パトロンだった王族や貴族は見る目があったのです。

ピカソの絵がアート?これが上手いの?って問題は今さら言うのもなんですが、
あれはものすごく上手い人がこれじゃつまらないと考えて描いたものだからすごいのです。
セザンヌのように基礎から下手とは違う。
印象派問題というのが自分の中であるんですけど、印象派が評価されたのは西洋美術史の文脈の中であんな絵を描く人たちはいなかったからで、下手なのに自己流の感覚で描くのが物珍しく新しかったからで、そういう意味ではみせものなんです。と思う。日本で印象派が好きな人が多いのは、明治に開国したころ丁度欧州で印象派が流行っていて、これが西洋の本物の芸術だ!と勘違いしたところからの価値観がそのまま来ているんじゃないかと思う。だって印象派、基本的に下手だもん。フォービスムとかキュビスムとかシュールレアリスムとか19世紀後半から20世紀初頭の芸術活動はみんなそうです。
だから印象派が好きだという人がいると、なぜ? それは自分ではなく誰かがいいといったからそう思いこんでいるだけでは? と思ってしまいます。
あと日本美術は西洋の文脈と違うんだよなーだから見る側の目もメガネをかけ替えるみたいなことが必要になってくる。
等と分かったようなことを言っていますが、自分も大学で美術史やりつつマチスが好きとか思ってて、近代日本教育感覚から長いこと逃れられなかったです。
学校の無力さというか環境があっても愚かだと学ばないというかね。
そして今さら英語の論文を読む力も伊語を身につける気力もないので、来世、来世。。

現代の、技術と感性優先の美術は西洋の長い古典的写実手法へのアンチテーゼとしてまだあるけれど、結局、上手くてつまらない絵は美術史上多いけど、本当に上手い絵はまったくつまらなくない。
なのでダビンチや応挙は時代や感性がどれだけ変わっても人の「美しい」と思う心に響くので、そういうものを自分の目で沢山見たいなあと思うのでした。まる。

 

 

最近の眉毛兄弟&うちの弟&アメリカン・ユートピア

 

 

世界中のウォッチャーが見守ってるのに、5/29、誕生日に発言無し。

でもその前にノエルの「過去10年について質問募集」に反応していたことがわかりました。


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オアシス再結成にこれ役立つ? ああ、すごくな
なんつってますが、この前に
「なんでお前そんな最低のくそ野郎なんだ?」的な質問をぶつけて、あとで消したらしい。

 

大人になったのか、サイコなストーカーのままなのか、
前者ならちょっと寂しいし後者だと心配、って中二の子の親みたいな気持ち。


いや、自分が中二なんですけどね。
こないだの、
「この理想主義者!人間はそんなに強くないの!」と怒られた件について弟からコメントがきて

「理想いーじゃん
 理想がないとだらけるだけじゃん
 理想は理想であって実現不可能だって認識することが重要」

 

ぐううう。おまえ…くそっ…大人だな。
お姉ちゃんこんなだったよ。


       ∩        ∩  <わかってるよ!だからこそ克己が必要なの!
     ∩彡 ∩   ∩ ミ∩
   ∩  _, ,_∩ 彡 ミ∩_, ,_ ∩
  ⊂⌒(; `Д´)彡☆☆ミ(`Д´ ;)⌒⊃
   `ヽ_⊃⊂彡⊂彡 ミ⊃ミ⊃⊂_ノ
     ⊂ ⊂彡     ミ⊃ ⊃
                 こっきって黒い麒麟?>

 

早くデイヴィッド・バーンみたいな大人になりたいな!
アメリカン・ユートピアとても良かったです。
ピーター・バラカンさんの字幕監修というのがまたね。
バラカンさんも知的紳士だから…仰ぎ見ちゃう

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟

 

人の中二病をみて我が身を直せ

毎度、ノエル兄さんの中二病をなんやかんや言ってしまいますが、当の自分のことを省みて穴があったら入りたいという久しぶりの落ち込み。

酒+中二病はモンスター召喚の黒呪文だからほんとに厳禁。
法律で規制すべき。自転車の飲酒運転と同じくらい規制すべき。死者が出るから。

「人間の本質的な愚かさをどうとらえるか」について言い争うのも死ぬし、「そこが愛おしい」も「だからこそ克己を持つべき」も前提が等しく傲慢なので、早めに周りに突っ込んでほしかったです(人任せ)
でもな…私は人の無自覚な愚かさを愛しいとは思わないんですよ…そこに自覚や廉恥やがんばりがないかぎり…愚かさが愛しいってなんだ神目線ですか。
まだいってる。とにかく、あーーーッて恥ずかしいッて

「人が敗北する原因は…『恥』のためだ。人は『恥』のために死ぬ。あのときああすれば良かったとか、なぜ自分はあんな事をしてしまったのかと後悔する」 「ミスなんかではない…… これは試練なのだ…… このことを勝利のために変えれば良いのだ」

素数数える。19まで。

ただもう周りにすまんかったです。何言ってんだって感じですね。
後で自分で繰り返し反省するためのマイルストーンです。

さて、ノエル兄さんですが、ニューアルバムを出したためインタビューでいろいろ発言しています。

「俺たちの音楽業界には1億ポンドの金はさすがにないわけでさ。今、1億ポンドでオファーがあったら、やるよ。1億ポンドのためだったらやるね」とノエル・ギャラガーは『ジョナサン・ロス・ショウ』で語っている。

 

カネって。
オアシスとして最後のライブをやっておけばよかったとかあれは伝説だからとか、よく言えば当時をいい思い出にしたい。ツッコんで言うと、ちやほやされた俺の記憶だけでいい、って言ってるほうがまだ面白かったのに。あられもない。

俺はタダでもやるよ、って弟に言われちゃって。
弟にすら突っ込まれなくなったらおしまいだよ!
あいつがどれだけあなたの事を愛していたか、弟はあなたの座敷童だよ。
いなくなってから気づいても遅いんだから!
噛みつかれているうちが花だから! 
ウォッチャーにとってはですけれども。

もうすぐノエルの誕生日。
今年もウォッチャーがのけ反るくらいの報われない愛を見たいものです。
報われたらもっといいですが、もちろん。

 

 

 

萩尾望都先生の冷凍された荒ぶる神

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前回にわかに萩尾望都先生の世界を再発見して、色々と借りたり買ったりして読んでいます。

新しく読んだもの
『恋するあなた*恋するわたし」対談集2000年代編
『マンガのあなた*SFのわたし』対談集1970年代編
『萩尾望都 紡ぎつづけるマンガの世界』
『手塚治虫文化賞作家が選ぶBestof手塚's work』
『文藝別冊 総特集 萩尾望都』
『新選組』手塚治虫
『フラワー・フェスティバル』
『海のアリア』
『バルバラ異界』

持ってた
『半身』『トーマの心臓』『ローマへの道』『銀の三角』『残酷な神が支配する『感謝知らずの男』

友人が貸してくれた
『危ない丘の家』
『11人いる!』
『一度きりの大泉の話』

 


なぜ読みたい知りたいと思ったか。
それは、なぜ自分が今まで「萩尾望都にぴんとこなかった」のか知りたかったからです。
物事は、比較対象によってよく見えるもの。
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の、萩尾望都、山岸凉子、大島弓子論を再読して、もしかしてこうなのかなと感じました。

[...]

ポーの一族 萩尾望都先生

 

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例のDMM70%オフクーポンで色々買いました。その中に「ポーの一族」があります。
じつは、以前読んだときはあまりに抒情的でぴんと来ていなかったのです。
「銀の三角」や「半神」のほうが好きでした。
この機会にもう一度最新刊まで読んでみようと思ったのです。

 



これはなんという、本当に名作…!
素晴らしすぎて3度ほど読み返してぼーぜんとしてしまった…

 

 

にわかに関連書やインタビュー、評論をよみあさり
萩尾先生が漫画家になるきっかけとなった手塚治虫の「新選組」を求め
ファンサイトをめぐる日々です。
ちょっとまだそれらを読み切ってないので、話題の大泉の話までは当分いきつけそうにありません。

 

作品のすばらしさについては多くの方が書いておられますし、そのほかまだまだ自分が言葉にできるようなものではないです。


何をいうのも大変畏れ多く僭越ではあるのですが、
何というか、初めて萩尾先生の家庭の事情や人となりを垣間見て、そういう方だからこういう作品なのかな…と思いました。

 

 

 

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[...]

パンドラの鐘(東京芸術劇場)

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野田秀樹さん脚本の舞台を見に行きました。

演出は野田さんではないのですが、去年のルーマニアの演出家(シルヴィウ・プルカレーテ氏)による「真夏の夜の夢」が野田演出とは違うところが素晴らしく良かったので、期待して。

 

 

 

うううううーーーーーーーーんん

 

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[...]

府中市美術館に行こう!!

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府中市美術館の与謝蕪村展へ

雨の水曜日、人がいなくて良き。
待ち合わせた友達と「人がいなければあの世もこの世になる」「全くその通り」バルス的な言葉を交わしつつ公園の鳥や芝を堪能。

府中市美術館は、展示ごとにスタンプしおりや子ども向けのおまけ企画をつくってくれ、スタッフの方はやさしく、ミュージアムショップの品ぞろえ(今は亡き旧INAX出版のブックレットやフィンランドの古い切手がある)も素敵ですが、何と言っても

貶しながらいいところを語るキャプション


これがもうすごい。
キャプションが面白すぎて絵より見ちゃう。
批評を炎上させない文章テクニックとしてぜひ参考にしたいものです。


へた、ぎこちない、雑、不安になる、人まね、現代ならパクリの誹りを免れない、等々解説しつつ、無邪気、こころざし、個性、おかしみなど何か良いところを見つけて褒める。
よく読むと決して褒めてないんだけど、クスッと笑えて何となく優しいいい感じで終わらせる。
なんたる技巧。

日本絵画の中にある「ヘタウマ、へそまがり、ぎこちなさ、かわいさ」に着目し、新しい視点を提示しながらも、


円山応挙への揺るぎない推し


上手い絵、美的な見事さの頂点は応挙先生であり、個性やおかしみ、かわいさなどは本道の見事さを鑑賞する目があるからこそ。

このブレない視点が常に貫かれているため、どの展覧会でもどこかで必ず円山応挙に言及します。

「また応挙先生!」
「べた褒め」
「こんなに他の絵師をけなすのに、応挙先生には称賛オンリー」
「そりゃあね~与謝蕪村には悪いけど、ちょっとレベルが違うもん」
「しかも応挙先生、線三本で画面構成完璧にできるほど空間感覚が尖ってるのに、かわいい絵も得意」
「子犬とかね…しかもご本人の性格が謙虚」
「そりゃリスペクトしかない」

何だかんだ最後には、応挙先生すごいよね~という感想に落ち着くわけで
まんまと担当学芸員の手の平で踊らされているといえましょう。

 

メンバーカードをつくると一般2500円学生1500円で一年間何度でも観覧無料。
冊子を送ってくれ、喫茶店メニューも50円引きになる(ビールもあるよ!)

去年4/2に作ったカード、一年過ぎていましたがコロナ禍で休館が多かったため、3ヵ月延長してくれました。

何という優しさ!!! 心の底から言える

 

府中市美術館に行こう!!

 

子どもが興味を持つ工夫をとてもしているのに、あまり子どもが来ているところを見たことがありません。
公園では沢山遊んでいるのに。

「なんでかなあ。小中学生の観覧料150円だし、未就学児なんて無料だよ。安い」
「ミネアポリスが殿下の街で殿下があんなにもメッセージを送っているのに黒人射殺事件が起きるのと同じだよ」
「見ようとしなければ、聞こうと、考えようとしなければそこにあるものも存在しないんだね…我々も見えていないものがあるよきっと、気をつけないと」


府中市美術館に行こう!


伝わってください(花京院)

 

 

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 一年延期になった動物の絵展。
2021年秋に!
モローや若冲や上様(徳川家光)の兎図やもちろん応挙先生の子犬もいるはずだよ!

 

 

 

 

 

 

 

ノマドランド


NOMADLAND

2021 アメリカ
監督: クロエ・ジャオ
原作者: ジェシカ・ブルーダー
音楽: ルドヴィコ・エイナウディ


映画館を出て友人と最初に交わした言葉

「運転免許取らなきゃ」
「そうだね、免許必要だね」


自分の能力を信用していないので、人を巻き込んで事故を起こしたらと思っていましたが、大自然で人けがないとこなら大丈夫、自由のために免許が必要な場合もあるな、と。

 


見る人によって受け取るものが違ってくる映画です。
おそらくどの表現作品もそうだろうと思いますが、この映画は見る側が何を自分の中に持っているかで受け取るものがかなり違ってくると思う。語られることより語られない事の方が重要で、人生や社会が複雑に絡み合っているので、経験や価値観によって視点の置き場が変わってくる。


個人的な所感

・主人公ファーンのキャンピングカーで季節労働をしながらの放浪生活は、喪失をきっかけとしているけれど、もともとそういう方向性の人間だったのであり、ノマド仲間も、社会からこぼれ落ち余儀なくされたのではなく、そういう人生を選ぶ人たちなのだと思う。最底辺でも悲惨でも落伍者でもなく、彼らにとってはデメリットもあるが、選びたい生活。
西行法師の「願わくば花の下にて春死なん」です。
少なくともファーンが関わる人々はそのように描かれています。
彼らは放浪生活のスキルを共有し、相互扶助しつつ、「訪問お断り」「寄ってかない?」「散歩してるからいい」と個の領域を優先する。
排他的な連帯や絆をもたない。人ではなく犬と旅する。
デイブは違います。
彼はファッションノマドです。だから息子夫婦の家に帰り裕福な屋根の下でまた定住を始め、車のタイヤがパンクしているとファーンに言われても「ああそう、もうどうでもいい」と流すことができる。
故障した車を手放して新しいのを買った方がいいと言われたファーンが「それはできない。手をかけてつくりかえてきたの。私の家なの」と断るシーンとは対照的です。

※ファーンとデイブ以外の出演者は、役者ではなく本物のノマドの人たちなのだそうです。


・人生はある地点まで、人間関係や地位やお金や不動産やキャリアなどさまざまなものを積み重ねていくものだけれど、どこかでそれを一つずつ手放して、失っていくものだと思う。そしてそれは寂しいことではなく、当然の、自然で、そう思って受け入れていけるかどうかが生き方を大きく左右するものだと思う。
残るのは、思い出だけ。
だから、スワンキーが、病気でもうすぐ死ぬのだといいながら、今までの人生で見た美しいものをいくつも言葉にしたとき、ああ、人生で真に必要なのはそれ以外にある? と思い、命の終わりが近づいたとき、どれだけ美しいものを見てきたかを思い出せる人生を送りたいと思いました。


・原作はノンフィクションで、高齢ワーカーがどのように巨大企業に搾取されているかを取材しているのかもしれない(読んでない)。おそらく語り方は映画と違うのでしょう。
映画ではアマゾンの工場は非人間的な現場と絵面では感じるが、働くノマドたちにとっては「稼げる悪くない場所」です。
ビーツの収穫でも巨大な非人間性システムを垣間見ることができる。
だが、人間はもはや自給自足で生きていく事はできない。
少なくとも文明社会の恩恵を受けている以上、ノマドたちも同じ。綿を育て服を自分でつくり、小麦を栽培してパンをつくり、車をつくり石油を採掘することは一人ではできない。排泄物を処理することもできない。
それらは分業で、巨大なシステムに依存することで相互補助の社会をつくりあげている。そのシステムが人を搾取しないように努力しなければならないけれど、個人の手が届かない怪物でもある。私たちは怪物に寄生して生きている。
一人で放浪するデメリットを知っているノマドたちはだからシステムの一部に依存し、責めることはない。
だが、それと、強欲を抑制せず意識的に人を踏みつける個人は違う。だからはっきり意見する。
ファーンが、姉夫婦の同僚の不動産関係者の「土地は儲かる。サブプライムローンの時もっと儲ければよかった」に対して「それは違う。返済能力のない人に借金をさせるのは、おかしいでしょう」と言うのは、そういうことである。
普通の、富裕な生活をしている姉夫婦にとっては厄介な義妹、だけれども、お姉さんがまともないいお姉さんでほっとしました。


・人を疑っているので、カリスマノマド氏がいつカルトのボスみたいになるのかとはらはらした。
人が誰かを見下したり利用したり故意に傷つけたりしない、やさしい話でした。


風景が美しい。人間がいない世界はほんとうに美しいね(滅びの呪文)

音楽がとても良かったです。ピアノ。
音楽担当のルドヴィコ・エイナウディはイタリア政府音楽大使で、祖父ルイージ・エイナウディはイタリア共和国第2代大統領を務めた経済学者だそうです。
教養と教育の正しい形…
クロエ・ジャオ監督も非常に教養の深い、どんな人へも敬意のある、知識ではなく知性を持つ方なのだろうと感じました。30代でこの映画を撮れる成熟度がすごい。

 

スワンキーのインタビュー

「この映画に出演するために、実生活の状況を少しの間、忘れることにしました。出演してよかったです。ジャオは、なんと、わたしの腕のギプスのことも映画の筋に入れてくれました。素晴らしい人でした」

フランシス・マクドーマンドは「まるでわたしが有名な映画スターで、彼女がわたしの熱烈なファンであるかのようにふるまってくれました。“一緒に映画に出られてとても嬉しい”と言ってくれました。なんだか、長い間離ればなれになっていた旧友に再会したような気持ちになりました。撮影中は今までに感じたことのなかったような愛、存在意義、感謝を感じました」

引用元 シネマカフェ 記事

 

 

 

わかりやすい、言葉にしやすい、多くの共感を得る作品は、受け手のポテンシャルに任せる部分が少ないものです。感情を全部セリフで説明してくれたりもする。
お客様扱いの答えがある説明、わかりやすい感情表現に慣れてしまうと、自分で考え感じねばならないことを不親切と思うようになったり不快に感じたりするようになります。
そういうものが売れがちな世の中でこういう映画がつくられ、きちんと評価されるアメリカは様々な点でガタがきているけど、まだまだ大丈夫だなと思いました(そして日本はあまり大丈夫じゃないと思った)

 

 

「自分の部屋がキャンピングカーみたいなもんだよね」
「うん、一番安心する」
「このちっちゃい自分の領域に守られて漂ってる」
「モリッシーの歌詞を刺青にしてるじゃん。もうそこから信用するね」
「アマゾンで全然働けるよ。掃除とか、まずいコーヒー作って配ったり」
「できるできる」

 

 


2021.4.26
アカデミー監督賞、作品賞、主演女優賞おめでとうございます。
中国人、女性、30代
日本では受け入れられない要素がある(嘆かわしいことに)かもしれないし
監督が漫画好きということが話題になるけど、そういう本筋とは違う自分たちにわかるラベルを貼って物事を引き出しに入れようとするの、やめたほうがいいと思います。
とりあえず見て。話はそれから。











 

六部アニメ化!

 

おめでとうございますウェルカム天国の時!!!

 

これでまた生きる気力が沸いてきた!

ぷっちたんのことをまたずっと考えるよ…好き…素数19くらいまでしか出てこないけど…

 

そしてペイズリーパークに行こう!(決意)

この機に! このタイミング、殿下が来いと仰っている!天国への階段を登れと!!

 

ビヨンセとレディー・ガガの女子刑務所MVがめちゃ六部