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あとで自分で見る用。色々と雑多に勝手なことをいってます。 お気になさらず。平気でネタバレするよ!

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ゴールデンカムイ23巻

 

 

色々ありますけど、とりあえず宇佐美時重さんの唐突な狂気について。

第七師団の父権制の闇については前ちょっと書きましたが
月島さんや尾形や鯉登さんへの働きかけは解るんです。
でもそれとは違うよね。

いや、宇佐美の鶴見への感情の強さがちょっと、理解を超えていて…

鶴見さんが一番と認めてくれていた事がそんなに重要なんだ…
両親も仲良く兄弟も明るく自分を認めてくれてるいい関係ぽい家で、いい友人もいて、なぜそこまで鶴見に固執するのか今一つ入ってこないので、宇佐美、サイコだなって微妙に違和感がある感想に。いや、前からそう思ってましたけど、方向性の違う湿度高めのサイコ。
「俺は欠けている」(中二病的兄様の呟き)に対して、両親揃ってあったかい家庭でも関係なく異常者は異常ですよ~、という事実を突きつけてきます。

宇佐美の感情は好きな学校の先生を独り占めしたい的な部分が行き過ぎてコントロールできていないようなもので、愛とか執着とはちょっと違うように感じられます。

つまり心の鍋が小さいのですぐ沸騰してしまう、子供の未発達な感情そのまま。
弟妹が産まれて上の子が嫉妬のあまり殺してしまう感じ。
あるいは「犯行現場に何度も戻ってきて自慰をする」変態性欲者で、殺人と性欲の結びつきに鶴見を利用しているという側面もあるかもしれません。

鶴見先生は戦争で人を殺すハードルを越えさせるのは愛✨って言ってますが、やってる事の仕込み効率が悪くて時間かかるしバレちゃってたりするし、洗脳教育の方が手っ取り早いんではと思ったりする。鶴見さんの父権成り代わり美意識では正しい方程式なのだろうけど、忠誠や「上官の期待を裏切りたくない」って、愛じゃなくて自我の譲渡、前もっての服従だからね…
教養教育は心の鍋を大きく深くして簡単に沸騰したり枯渇したり溢れたりしないようにするものなので、やっぱり自分で考え判断するための教育が大事!なによりもね!と思った次第でした。


杉元さんが鳥ちゃんを毟ってる顔は宇佐美と対なのでしょうか。
誰の中にもウサミはいるよ…みたいな。こわあ。

インカラマッさん出産おめでとう!

鯉登少尉の光属性凄いね!!

月島さんが好きなのでいいことがあるといいなって思ってます。

萌えではないと思うのですが概念としての勇作さんにはとても興味があります。
初読の時に、両親が揃ってたら愛情一杯の家庭~?そんな単純な話あるか弟側にも山岸凉子先生の狂気母みたいなのがいるに違いない、 と歪んだ心で思ってしまったせいで、あの夢小説みたいに純粋に兄を慕う弟って幻みたいな気がして仕方がない。
兄様の単純幼稚な家庭観…それでアクロバティック思考で親兄弟を殺しても愛されてていいなぁ。でも愛されるのはなにか分かるというのはいけ図図しいですが、わかる気がします。


誰が好きっていったら、白石が一番好きです。
イジラれるしチャラいけど人に対する視野が広くて人間の芯がまとも。もっと皆褒めてあげて!
ゴカム合コンがあったら

「シライシ、マジでいいやつだから、ちょ、つきあってみ?」って勧める。誰目線。



 

 

 

 

 

季節のない街に眉毛兄弟はいる

 

友達が眉毛兄弟のマンチェは山本周五郎の季節のない街、というので青空文庫で読みました。

なんといっていいか…とても胸につかえて言葉にならない。

山本先生は赤ひげ診療譚もですが、貧しい市井の人間模様を描くけれど、ささやかに懸命に助け合って生きる人々という安直な美化をしません
そんな単純なヒューマ二ストじゃない。だからこそ本当に優しいのです。

 

例えば、隣近所へ醤油や味噌を借りに行くのは、足りていたとしても「あの家よりうちはましだ」と優越感を与えるための隣人愛の発露である、という。
貧しい人が剥き出しで虚飾もなく生きているのが時に美しく見えるのは、感情や思考を深めるお金も時間も余裕がないからで、浅く見透かされる素直さであり哀しいという。
そこで犠牲になるのは(死ぬのは)子供だと書いている。
美しいのではなく、哀しいのです。哀しいから美しいのです。その哀しさを哀しいで終わらせない。憤りがある。それを誰にぶつけて正義を気取ることもなく、ただ離れたところから歯を食いしばって人を信じたいと書いているのです。

その街で星は冷酷な傍観者として輝き、いまのうちに眠っておけ、明日もまた踏みつけられ生きてかなきゃいけないのだからな、という

私は星を美しく仰ぐ克己心の象徴のようなもの(『あたしは星を見るわ』というように)と思っていたので、この描写に泣きたいほどの気持ちになって、自分の秤で人を測る事の愚かさを突きつけられた気がしました。

衣食住足りて教育を受けたのに自分を縛ったり飾ったりして生きづらいのであれば、解決策は、やりたいようにやれ、誰かのせいだ、自己責任だではなく感情と思考を正しく深めなさいであるはずです。

それをせず近視眼的な幸不幸や手近な快楽や思考停止やルサンチマンに陥り、ありのままの私を振る舞うのはただの怠慢と傲慢だと、そういう事を考えていました。

『年の瀬の音』の最後の節が私の思う周五郎先生の端的なイメージです。

いま仕事部屋の外で宣伝カーなるものがわめいている。いよいよ押し詰ってまいりました。私はなんのためともなくぞっとし、机の前で身をちぢめる。私は赤児を背負って雨にぬれながらゆく男であり「おばちゃん」はうちにいて会うことはできたけれど、目的ははたされずに子をつれてむなしく帰る若妻に似ているのである。これをもし舞文曲筆だなどという人があったら、その人こそ年末の秒読みを感ずることのない、幸福なしかし恵まれざる楽天家というほかはないでしょう。そういう人たちはすでにもうめでたいので、めでたいと申し上げても皮肉にはならないと思う

 

 

あと眉毛の兄弟はいますね、あの街に。見えました

 

 

 

「先生は静かに見ていらっしゃるんだけど一度だけ我慢出来ずに出て来ちゃう。きみ、どうしてあの子を病院へ連れていかないんだ、あの子が見えないのか、って 」

「あと、家の事耐えて耐えて好きな男の子を刺しちゃう女の子の話。どうして?って聞かれて、怖かったのって、死のうと思ったらあんたに忘れられるのが怖くて堪らなくなったって 男の子がまた無邪気で、なんで?忘れたりしないよって… もうさ、もう…」

話しながらカレーやで泣く。今も思い出して一人泣く

 

 

毒づき

「山本先生は小学校卒だから文壇から低く見られてたんだと思う」
「山本周五郎賞ができた時ファンが激怒したって言うもん」
「あ~ほんと! 先生があらゆる賞を辞退していた気持ちがわからないのかって」
「長谷川町子先生のご家族が文才があってさ、菊池寛に会ったときのどんな人っていう絵が着物の胸元から札びらが出てる絵だった」
「さすが町子先生。風刺が効いてる」
「太宰なんて帝大仏文科ですけど、芥川賞下さいって手紙書いて」
「自分のことばかり言ってんの。ボクはダメ人間です人にどう見られてるか気になって」
「どうでもいい」
「山本先生が人を描きながら人が嫌いで訪ねてくる人にも会わなかったってよくわかる」
「少数の人との交流を大事にしていたね」
「ジョン・メリックだよ。大事なものはそっと心にしまっておかねばならない」
「なぜなら人間が怖いからです、ってね」

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟

 

マスク事件勃発

 

ノエル・ギャラガー「俺はマスクを着けないことにしたんだ。ウイルスにかかったら、他の人のせいではなく、自分のせいだよ」

 

イギリスでは一部の人(子供、健康問題罹患者)を除き、小売店、スーパー、公共交通機関でマスクを着用することが法で強制されています。

今は自由を奪われすぎている、と前振りしてマスク拒否を宣言したノエル。


お兄ちゃん、バカなの?


俺はマスクするよ、手洗いするよ、家に居ろよ、と前々から言ってる弟の方が一億倍ちゃんとして見えますが、もっとちゃんとした人から曲でメッセージが公開されました

 

「Oh Noel/It’s not about whether you catch it/You stupid knob/It’s more about if you’ve got it/Asymptomatically/And you pass it on/To somebody who dies/You stupid shit

(おお、ノエル/あなたがかかるかじゃないんだよ/最低な奴だな/あなたがかかっても無症状だったら、亡くなる人にうつす可能性があるんだ/最低な奴だな)」

 

https://nme-jp.com/news/93424/

 

お前が感染しようがどうでもいいんだよ、バカだな、自分のことばかり言ってんなよ恥ずかしいな

という至極真っ当な指摘。顔真っ赤にして毛布被って恥ずかしがって欲しいです。


法でマスク強制というのは日本では考えられないですが、日本におけるマスク着用の浸透率は公共モラルと普段からつけ慣れてるのと同調圧力などによる前もっての服従により自由剥奪に慣れている等理由があるので、個人主義の意識が強い国民性の国とは違うので、そこは価値観の相違なわけですが。

日本でも対コロナ感覚は人ぞれぞれなので、郵便物も全部消毒する人もいるし、対面は怖いから並んで飲みましょうって四人がけテーブルに二人で横並びで座ったこともあるし。

まあとにかくマスクについては「人に移す可能性があるからつけろ。効果があるかないかの議論はおいとけ、とにかく感染リスクを高めはしない」でいいと思います。基本のき。

っていうか、マスクごときで奪われる自由ってなんだよ。
アーティストならもっと違う形で自由を標榜してください。

弟も噛みつくだろうなと思う前にもうマスク姿を投稿してました。

No mither no clue up your bum fuck You
騒ぐな、知ったかぶるな、けつ野郎、ファッキュー


更にボーンヘッドまで便乗してマスク姿でインスタ登場。

https://rockinon.com/news/detail/195779

ボーンヘッドがリアムサイドに立つことをはっきり表明したせいか、最近リアムのツイートにリプしたボンへにリアムが即返事を。

これにはウォッチャーたちも、え?ってざわつく。むしろそっちの方が気になる。


「リアムは自分の感情に素直だから思ったらすぐ反応するけど、だからこそすぐ忘れて次は無視のほうに一万点かけてもいい」

「賭けにならないよw」

適当にあしらわれてこそ輝くボーンヘッドの良さを生かしていってほしいです。

あと、ボンへのインスタをモリーがフォローしてるのがほんと、優しい 

 

これまでの眉毛兄弟その2

 

近年の眉毛エピソード、BEST2をすっ飛ばしてBEST1

 

モリーの登場

 

です。

2018年、長年疎遠にしてきた娘、モリーと対面したリアム。

モリーの母は元Kill Cityのボーカルだったリサ・ムーリッシュ。ベイビー・シャンブルズのピート・ドハティとの間にも一男がいます。
リアムの息子、レノンとジーンの母親も違うので、3姉弟は全員母親違い。モリーは父親違いの弟がいて互いの父親が不仲というややこしいつながりです。

https://rockinon.com/news/detail/166000

 

さて、娘に対して「会わない方がいいと思うんだ」と20歳まで疎遠だったリアム。きっとリサママが会わせないようにしてきたのではないかとウオッチャーは思っていますが、それまでノエル一家とは交信があったらしいモリー。

20歳にして父親と対面し、親交を深めはじめます。それを機にノエル一家とは疎遠になり、兄嫁サラが「あいつと付き合うならもう無理だから」とイジメたと思っているリアムとサラの中はますます険悪になります。


リアムとジーンとレノンはあらっぽい眉毛一族に現れたシャイで優しくてかわいいお姉ちゃんにめろめろ。飲みに行ったり誕生日を祝ったり、家族旅行をします。

https://rockinon.com/news/detail/185090

 

モリー21歳の誕生を祝って21の風船を持って現れたリアム。
ウオッチャー界隈では「スティーブン・キングのITより怖い」「ピエロなんか目じゃない」と今でも語り草に。

1年以上異常な父親が異常な距離のつめ方をしてくるのを優しく気を遣いながらつきあっていたモリーですが、インスタで「電車の中で物を食うな」と言われてついにぶきちれ「Straight to hell」と返します。

地獄へ落ちろ。です。

記録によればウオッチャーは、彼女が俺にうんざりしないことを願うよ、というリアムがうんざりされがちな自覚があるんだと驚きつつ、もって3か月、と述べています。
少なくとも1年はもったことを思うとモリーの我慢強さに平伏です。

その後も、冷静になってちゃんと父親にコメントしつつも、最近は距離をとっているように思われますが、無理もないでしょう。

リアム・ギャラガーは自分がモテると思っているせいか、恋人、妻といった深い付き合いの女性たちへは全く執着心がない代わりに、ノエルをはじめとした血縁への執着依存が凄く強いという変な人です。

そして眉毛一族の女性は、血縁のない兄嫁サラを含め皆キレやすく、ノエルの娘アナイスは「おまえがモデルできんのは親の七光りのおかげ」と言ったジーンをすぐさまブロックし、サラはリアムを「太ったバカ」「死ねばいい」と罵り(先にリアムが罵ったからにせよ)、そこにきておっとりと優しいモリーの登場は眉毛一族の大事件でした(ウオッチャー的に)

モリーには「面倒な身内とは距離をとりつつ、暴れる犬にミルクを与え撫でる」というやっかいなミッションをどうにかこなしていってほしいと思います。

ほんとにかわいいから。平和に生きていってほしいです。

 

 

 

 

 

 

マイルスデイビスの映画

クールの誕生


ネットフリックスでも見られます。
でも映画館で友達と見てよかった。感想言い合えないと何か滓がたまるとこだった。

なんというか……うん、愛がないよね。
女性を殴るとかどんな理由があっても絶対ダメ。
しかも理由は他の男を褒めたからってチンケな嫉妬。
最初は男前なのにどんどん人相が悪くなっていくし。音楽性はともかく人としてちょっと。人種差別だって、俺はマイルスだぞーって言ってんのに殴られたって恨んでる。いつだって自分自分。

「でも若手の才能を見出して使ってたとこはえらい」

「それも若い奴は自分の言いなりになるからって気がするな…」

「ああ…まあ。そりゃコルトレーンももういいんで、って去るよね」


マイルスの周辺の人々ももう老体なのですが、若い頃綺麗だったとかすごかったとか肩書に関係なく、顔!顔に出ちゃうんだなと。
人類のDNAに書かれた寿命はどんなに平均寿命が延びても30台後半だといいます。
その年を超えると持って生まれた素材だけではやっていけなくなって、顔に人間性がありありと出ると実感しました。

そして殿下がずっと美しいのが奇跡!
ペイズリーパークの競演シーン、一瞬で全部持ってかれた。
魂の高貴さがお姿に現れてる…

信者の感想で最後は終わりましたが、いや本当に。

 
 

 

これまでの眉毛兄弟

 

映画公開を前に、眉毛の思い出を振り返っていました。

近年のベスト眉毛エピソード

BEST3.
 ノエルのハサミ演奏をからかい、リアムがライブで芋の皮を剥くヤツを募集

https://nme-jp.com/news/46022/

前段階として、ノエルのバックバンドのフランス人女性がステージ上でハサミをチャキチャキ鳴らすという事件があったんですね。

「彼女に楽器ができるかと聞いたら、ハサミならできるっていうんだ。サイケデリックなフランス女性って感じだろ」

みたいなたわごとをぬけぬけと言うノエルに、リアムならずとも思わず

「ゴダールってカッコいいみたいなおフランス憧れっすか!? いつの時代だよ! だっせえな!!」

突っ込みたくなります。別に弟は言ってないけど。私が思っただけですが。
ちょっとびっくりしました。お兄ちゃん、しかも本気でイケてると思ってやったからね。人一人包める絆創膏が必要なレベルの痛みです。他の人なら別にいいんですが、ノエルは毒舌とか辛辣とか、知的でシニカルなおれ自意識が強いので、いやそれでそれはないのでは、自己認識がおかしいでしょ、となるのです。
リアムはだっせえ、バカと言われても、ああマンチェスターの貧乏人で高校中退だからなと素直に言いそうですが、お兄ちゃんは絶対に言いませんから。言うとしたら、いえいえそんなことはありませんよ、あなたは才能あふれるシンガーソングライターでギタリストじゃないですかというフォローを得るためです。周りがそれを察して気を遣ってるのをいいことにハサミですよ。

誰か指摘してやってください。って言ってるか、弟が。そして永遠に仲直りできない。
お兄ちゃんが好きで仲直りしたくて仕方がないけど、そこは曲げないリアムのそういうところ、好きです。



なので、そのダサさを嘲って、俺なら鉛筆削りを鳴らすか、いや、ピーラーで芋を剥くのがいいか、となったわけです。
そしてその募集に応えて観客がライブで芋を剥くという動画が投稿されました。

https://nme-jp.com/news/46030/

リアムがリアムなら客も客。あらっぽくていいですね。
お兄ちゃんのハサミのことは絶対に忘れずに時々言及してほしいです。
相手が嫌がる事を絶対忘れないからね。骨を埋めた犬みたいに時々しゃぶってます。
そういう野性味あふれるところが、リアム・ギャラガーの美点のひとつです。
サイコパスで血族への執着が強すぎるという欠点で相殺されてますけど。うおっちゃ的には。



ベスト2と1はのちほど(思い出せたら)

 

 

 

 

 

最近の眉毛兄弟


眉毛兄弟というか弟のほうですけど、だいたい。

何と言っても今月はドキュメンタリー映画が公開されますよ!
公開延期になっていつになるかと思ったら、誕生日月にとはよかったね!
お兄ちゃんからプレゼントあるといいですね。

ロックンロールスターの挫折と再生とかうたわれてますが、眉毛はずーーーっと眉毛だから! わかったつもりでいると噛みつかれるから! たぶん!
ウオッチャー的にはもっと違う見どころを期待しています。

  • 楽しみポイント

    ・存在感のない長男ポール(自称写真家だが実際はニートだと思われる。ポール・ギャラガーという写真家がいるが別人。風評被害に近い。気の毒)

    ・ボーンヘッドのボーンヘッドらしさ


    ・モリーとレノンが父親をどう思っているか。一瞬の引きつりなど言葉にしない部分も見逃したくない


    ・ゴッドマザー、ペギーの肝っ玉


    ・暴れ犬が凹んで尻尾がくーんとなってるところ


    ・調子に乗り始めても冷めることのない兄への異常な執着

 

こんなところでしょうか。もちろんまだまだありますが。

最近はボーンヘッドがぐいぐい絡んでくるのを無視しつつ、
飴と鞭を与えたり、一般人に「どうしてボンへをフォローしないの?」と聞かれ
「興味がないからな」と答えるなど、ボーンヘッドの相手にされないキャラクターを存分に生かしています。

ボーンヘッドのボーンヘッドらしさは、「相手にされない」「つまらないやつ」「話が通じないずれてる」といったネガティブな言葉で表されるのですが、総合してまあボーンヘッドだしという許容も否定もないところに落ち着くのがボーンヘッドらしさです。




公開に向けて著名人のコメント
https://nme-jp.com/news/92946/

 

「いや、誰ですか?」
「リアムにしてもボーンヘッドより興味がない人々のコメントでしょうが、なんというかなぜ馴れ馴れしいうえに上から目線ですか」
「ウォッチャーはファンではないけど敬意は持ってるからね!弁えはね!」

ウオッチャーはウオッチャーで大変めんどくさい。




進撃の巨人と死にきれない昭和と壊れたままの平成とこれからの令和


いや~暑いです。はじまりが冷夏だったので、今年は暑さが長引きそうな予感。10月くらいでも暑いんだろうなという気がします。
(過去のメモを見返したら、10月でも30℃とか11月でも半袖と書いてたので、この数年はそんな感じなんですね。温暖化。5月から30℃なので一年の半分は夏ということに…)

さて、夏季休業中、進撃の巨人を一気読みしました。
一応、連載初期から読んでたんですけど、10巻あたりで一度ブランクがあって、それから22巻団長さよならでまたいいかな、となったのです。
巨人は人間兵器でした、外国がありました、なんだそうか~で止まっちゃったので。

どうもすみません! 浅はかで。ジャンピング土下座。

最新刊までがっちり面白かったです。破綻がない。
逆側の立場から描くのは、あぁ…みんな事情がありますよね、知ってますけど、という陳腐あるいは「じゃあどうすればいいんだよ!」と作者が制御しきれなくてややこしくなりがちですが、凄くうまくバランスが取れてて名監督の映画みたいです。

うちは兄弟をさらにどす黒くしたようなイェーガー兄弟。
わりと兄弟萌え性癖なんですが、全然萌えを感じなくて、ジークの絶対的な不快感が安易に萌えさせない強い意志を感じて、それがいい。
ほら、こう、萌えって眼を曇らせるから…。
幼馴染がグレちゃって、家のしがらみがやたら重くて、というのもNARUTO第二章っぽいです。
しかもサスケが主人公のNARUTO。こりゃ色々な意味でしんどい。
もうずっと目回りが黒い。アバを見てるジョルノくらい黒い。

 

まだ父権とエンタメのインチキ自己流社会学みたいなのを引きずってるので、世界とイェーガー兄弟と父親について考えていました。

父権というのは現実の家庭ではとっくに崩壊しているのに、そのイデオロギーは社会に連綿と亡霊のようにとりついている。

イニシエーション=成長のための通過儀礼とすると、エレンが父親を食べて巨人の力を引き継いだというのは一方的で記憶に残っていなかったため、その役割を果たしていません。
イニシエーションではない父親殺しにより受け継がざるを得なかったものによる世界破壊は、まさに終われない昭和ゾンビに対する平成の息子といえるのではないでしょうか。

『お前が始めた物語だ』

だからお前が終わらせなければならなかったのに。

俺は父親の被害者→こんな世界に生まれてこなければよかった→子どもなんか生まれなければいいよ民族安楽死、はジークという後昭和期~平成前期の子供で、

生まれてきたから自由を求めて進み続ける

なので俺の大事な人たち以外を全部殺す(…!)


は平成中期以降の子供という感じがします。
島の中にいる自分と仲間を守るためなら、外は全部いらない。

いやもう危険! 早くあの子止めてやって! みんなの力とやらで!


平成前期のこじらせエンタメ代表であるエヴァンゲリオンでは、父親というのは権力者で理不尽で抑圧的なもの、という捉え方で、そこには逆説的な「超えるべき壁」としての父の絶対性が厳然とありました。
ジークはある意味碇シンジのベクトル上にいるともいえます。
そして、お兄ちゃんがお前を救ってやるからなエレン、というのは、そうすることで虚空にいる自分が父親に成り代わる手段なわけですが、結局自己中心的に空回りするだけで何ものにもなれないまま沈んでいくのです。
グリシャ・イェーガーもその父親の在り方により人生が変えられたことを思うと、グリシャからジークまでは終われない昭和の中から抜け出せない人といえます。

エレンは違います。エレンにとって父親は壁ではないです。もっといえば「破壊された壁」です。彼が壊したのではない。グリシャは既に崩壊しているのです。そういう意味で、あるように見えているけど終わっている昭和の亡霊なのです。と、思います。
いずれにしても、少年雑誌の大ヒット漫画の展開として画期的ではないかと思います。
あまり最近の漫画を読んでいないので、自分でも知ってるくらいのメジャー作品の範囲ですが、だからこそすごいというか。

 

 

少女漫画では、父権に対する懐疑というのはそれこそ70年代からありましたが(現在の少女漫画がどうなっているのかは知りませんが)少年漫画では長年、血族であれ象徴であれ敵であれ父親とは「超えがたく強く大きく頼もしい存在」であったわけです。頼りないお父さんや、ちゃらんぽらんのダメ父や、家族を顧みない父親というのも、結局わかりにくいけど大きな愛で家族を守っていた、という形で、少なくともメジャーな作品ではそのように描かれてきたと思います。(平成の代表的少年漫画であるワンピース、ハガレン、ハンター、キングダム、銀魂など)
お父さん(のような人)はすごい、僕もお父さんみたいになるんだ。現実にはもう崩壊しているのに、ドリームとして続いていく父権制があったのです。

少女向けの「父権社会での抑圧と生きづらさ、そこにずっぽり入った母親もしんどい、無理」は、世の中的には女子供の話で、つまりいずれ父となる能天気な少年たちには関係なかったのでした。

でもそこから、いや、いまどうなってる? おかしくない? 終わってない? 終わってなきゃいけないのに終わってないよ? 乗っかってきた「男にとって正しい」ものに従っていればよかったはずなのに、実際は誰も守ってくれないし、導いてくれないし、頼りになんかならなくて、昭和の父からもらえるはずだった既得権は取り上げられ、先細りの未来を押し付けられ、あげく自己責任とか言われる。

それって騙されてたんじゃない?
というところに王道の少年向けエンタメが来たというのは、遅いよ!という感触もありますが、いまだに死にきれない昭和が好きで疑わない人もいるので、やっぱり画期的だなと思うわけです。
あと、少年向けでは父だと共感が遠すぎるのか兄とか先輩がその身近な代替的存在だったりしますが、進撃はお兄ちゃんどうでもよすぎて新鮮。

※少年少女向けというのは読者性別比率ではなく、掲載誌のコンセプトが少年少女向けということです。


では、「俺の自由を求めて不要な旧世界を痛みをもって破壊する=連綿たる父権社会との決別」であるならば、若者はどんな新しい価値観をもてばいいのか。
昭和ゾンビに取りつかれ、大人になれない30年のまま閉じた平成はどこに行けばいいのか、どこにいけるのか、どうやって年を重ねられるのか。生きていけるのか。
31巻では、エレンのやり方は間違っている、世界を救いに行こうみんなで、というところで終わっていましたが、では救われた世界が果たしてその後どうなるのかは本誌を見ていないので謎です。
どんな回答を提示するのか、そもそも回答なんてあるのか、「森の中から出られなくても出ようとし続ける」なのか、ちょっとわからないですが、思いもつかない新しい世界があることを期待しています。

 

 進撃は、驚くほど性差がない、というか、女性を性的な目で見ていないのもすごいです。娼婦や愛人とか立場として性的に搾取される女性はいるけど、そうではない女の子の肉体が性的に見られることのない世界というか。説明が難しいですが、同級生の女の子のお風呂を覗くような行為が入ってこない感覚というか。
かなり意識的にやっていると思うけど、いうほど簡単なことじゃないです。女とは男とはこうあるもの、肉体的にこう見られるもの、というのはものすごく深くこの社会で刷り込まれている感覚だから。

肉体的な性差というのは存在するけど、人が性別以前に人としてあるという感覚が当たり前の世界観。これもかなり新しいというか、ちょっと今までなかったほどのフラットさで、でもそれはホント当たり前のことのはず。

むしろ、普通のエンタメが女性を、あるいは男性をどういう眼で見ているか、描いているか、社会がそれを当然としているのが異常じゃないかという気がします。


閑話休題


家父長というのは社会制度における役割であって、個人ではないです。
でもその制度を構築しているのは個人の思考あるいは思考停止です。
システムは終わるし変わるし新たな価値観を探さなけらばならない時がある。
エレンが駆逐してやりたいのは人ではなく巨人という圧倒的な力に象徴されていたシステムであって、彼が自由を求めて自らの外にあるものを全部壊そうとするのは、ハンジさんが再三揶揄うようにわかりやすく反抗的で視野狭窄な若者だからです。そうじゃないと大きな変革をしようなんて思わないからです。

ジークが29歳であることを思うと、ジークの歪みと折れ方はそのまま平成の30年に重なる気がして、共感はできないけど切ない。でもまだこの先も人々は生きていかねばならないし、令和がどうなるかはこれからなわけで、その前に昭和と平成をちゃんと相対化しないと進めない気がする。のでこういう、愚にもつかないことを延々考えてるのでした。
誰かに伝えるというより、自分Aから自分Bへの、どうですかね、という問いかけなんですが、Bからは全然返事が来ない。仲良くしたいのに俺の村わりと分裂気味です。

ただ社会システムの生きづらさ、不自由さといってもいいですが、と人間の本質的な生きづらさは別物で、前者は改善できるもの、後者はできないものなので、「私の生きづらさ」「あなたの生きづらさ」が何なのか、考えて仕分ける必要はあると思います。そこを混同すると無意味に絶望的または楽観的になって、さらにそこに酔ったあげく変な自己満足に着地するから。

様々なものが終わっているのに、死にきれなくてゾンビになって他者を貪り、食っているのは恐ろしいことで、進撃の巨人とはその恐ろしさをものすごくダイレクトに感覚的に見せてくれる作品で、そこで個がどう生きるか、組織・仲間・絆の中で人を人として対等に描く作品で、凄いなと思いました。唐突に読書感想文な感じで、まる。

 

 

 

 

 

 

 

橋本治の恵みとゴールデンカムイ

最近何かが足りないんですよね
なんだろうなあ~と思っていたら

「橋本治じゃない?」

と言われ、それだ!と本屋に行きました。
『そしてみんなバカになった』河出書房新社

ものすごーーーく面白かったです。
もどかしいことをこんなにもわかるように言葉にしてくれるのは、治のほかにいない!


「エラそうなもの」が「売れるもの」に変わっただけというのはすごく納得。
日本における反知性主義ってそれでは。
米国での元々の意味合いは全然違うらしいですが。
売れればいい、ってなかなかに貧乏臭い発想。貧乏はいいけど貧乏臭いはいやだな。


昭和は終わったが昭和という時代のイデオロギーは終わっていない、そこにアップデートされた思考はなくて経済のことばかりになってる。日本人はずっと経済を何とかすることで問題をやり過ごしてきたから「経済ではなく人間の問題」という根本の原因が見えていない。昭和とともに終わったものを終わらせられずにいる

オタクなのでオタク趣味から考えてしまうんですけど、その後ゴールデンカムイを読み返したら、明治っていうとこに遡ってるのがすごく面白くて
近代を最初から考えてみよう、何を切り捨てて、ないことにしてきたのか、今に至る原因は歴史の中にしかないから、そこから検証しようってなるのかと。そして物理的にも象徴的にも父親ごろしが沢山出てくる。失われてしまう父権に対して、成り代わろうとする人もいるし、新たな価値観を探す人もいる。それはリーダーがいて従っていればよかった時代よりずっと難しい。ヒロインの名前が新年、未来を表していて、終わる時代に傷つけられた主人公と対等な相棒として未来を模索する、対して第七師団は父権制の闇でもがいてるというのは凄く意味深だなと思います。
優れた作品には時代が事象として顕れてくるので、意図した内容ではなく、エンタメだからどう進んでいくかはわからないけど。そして自分の読解力が15歳の男子並なので、他の大人の解釈だとどうなのか聞きたいです。


平成が死に切らない昭和に取りつかれた空虚な30年だとしたら、『おそ松さん』は、昭和イデオロギーというゾンビの中で俺たちは成熟も自立もできず、バカのまま最終局面で、でも仕方ないじゃん、自分たちのせいじゃないもん、それでそれなり楽しくやってるし、でも未来ないけどね、まあ俺たちこのままでいいか!考えたくないしな、こっちを笑ってるそっちも似たようなもんだよ、という物凄い批評と自嘲に満ちているがゆえに新しいこの先を模索する作品だったと思うんですよね。

三期にはそういう方向に戻ってくれればいいな、と思います。

 


 

 

最近の眉毛兄弟

 

リアムの息子、ジーンに娘が生まれたらしいです。


眉毛のDNAが…!!!繋がっていく!眉毛だけに


しかしジーン、こないだ高校中退になり、リンゴ・スターの孫とコンビニで事件を起こして警察沙汰とかになってなかった!?

子ども作ってる場合か!?

そんなことを全く考えない由緒正しいマンチェスターブルーカラーの強さを見ました。

孫誕生おめでとう。